シンギュラリティ教徒への論駁の書

シンギュラリティは宗教だ!

情報の持つ不思議な性質

前回のエントリでは、指数関数的な成長はただ「情報」を扱うテクノロジーに限られた現象であると述べました。

現代の社会では、既に「情報」が広く扱われて売買されており、情報産業は既に巨大な分野になっています。けれども、改めて「情報」について考えてみると、非常に不思議な、とらえがたい性質を持っていることが分かります。

 

そもそも「情報」という単語は、軍事用語の「敵知する」という用語から発生した、という説があります。現在でさえ、「情報」という言葉が「インテリジェンス」すなわち「諜報」や「スパイ」とほぼ同じ意味で使用されることも珍しくありません (有名なアメリカ合衆国諜報機関「CIA」の訳は「中央情報局」です)。「情報」にまつわる軍事や諜報の後暗い影は、コンピュータの登場によってだいぶん薄らぎました。けれども、情報には未だに奇妙な特殊性が備わっています。

まず、情報の持つ奇妙な性質は「受け手によって価値が変動する」ということです。A氏の妻が不倫している、という情報は、(A氏が芸能人でもない限り) 多数の人にとってはどうでもいい情報ですが、A氏自身にとっては興信所に大金を払ってでも手に入れたい情報であるかもしれません。Googleの検索アルゴリズムや、Appleサプライチェーンマネジメントの営業秘密を、私が個人的に知ったところで生かす方法はありません。けれども、ライバルであるBaiduやサムソンにとっては、何兆円払ってでも手に入れたい情報になるでしょう。また、受け手が既に知っている情報は、受け手にとって何の価値もありません。

次に、情報は「いくらでも複製可能である」という性質があります。基本的に、物理的な実体がある商品は、一人が使ってしまえば他の人が使用することはできません。米は食べたらなくなりますし、自動車も一人が使っている間には他の人が使用することはできません。一方で、「情報」は、売った後でも売り手の手元にそのまま残ります。買い手も売り手自身も、その情報を使って別の相手にまったく同じ商売をすることができます。この性質のために、情報には所有権の概念が当てはまりません。経済学的に言えば、限界費用がゼロであるということです。

最後に、情報は「内容を受け取らない限り買い手はその価値を正確に判断できないが、受け取った後では返すことはできない」という性質が挙げられます。米や自動車など、所有権・占有権の概念が適用できる商品は、一部を試食したり試乗して試すことができますが、既に知ってしまった情報は「知らない」とすることはできません。そのため、情報提供ビジネスは、本質的に困難なものになります。ネットサーフィンをしていると、情報商材を売るサイトを一度は眼にしたことがあるでしょうが、サイトをよく観察してみると、商材の本質的な情報を提供しないまま、その商材が価値のあるものであると納得させるための、涙ぐましい努力がされていることが分かります。

上記の通り、情報には奇妙な特殊性があります。そのため、まだ本当のところ、産業的には情報をうまく扱えていないように見えます。たとえば、私はシステムエンジニアリング会社で働いており、情報を扱うためのシステムを設計・製造しています。サーバやネットワーク機器など、実体のある商品を売ることもありますが、本質的にはシステム企業は情報を扱うための情報を販売していると言えます。けれども、システムという情報の値段は、基本的にはそれを生産するために必要となる時間によって値付けされます(業界では人月計算と呼ばれています)。人月計算は、情報システムの価格決定には不合理な点が多く存在しますが、けれどもそれ以外の方法はまだ考え出されていないのも現実です。

ちなみに、蛇足ながら付け加えておくと、情報量についてはエントロピーをつかった物理学的な定義が存在しています。けれども、情報理論における情報は、元々は、「情報」ではなく「通信」を扱うものでした。情報理論を考案した天才的な学者であるクロード・シャノンの論文のタイトルは「コミュニケーション (通信) の数学的理論」です。つまりは、電信や電波などのノイズがある環境下で、符号 (記号) 化された通信の効率を表すためのものであり、もともとは「情報」それ自体とは関係の無いものです。

話を戻すと、このように情報とそれを扱うテクノロジーは、本当に異質で奇妙な特殊性を持っています。一方で、私たちの生活を物質面で支えるもの、石油やガスなどのエネルギー、食料、家電や自動車は「普通の商品」であり、人間の労働を通して生産されるものです。つまりは、「情報」と「物理的な商品」は、別の原理によって生産されており、全く別の扱いが求められるものであると考えています。