シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

精神転送は不可能である「はじめに」

今回から、6, 7回の連載を通して「精神転送」あるいは「マインドアップロード」の実現可能性について検討します。検討を始めるにあたって、最初に議論対象の定義と私の主張、および議論の前提を整理しておきます。

 

ここで扱う「精神転送」の定義としては、「コンピュータあるいは何らかの人工的な機械の上で、現在実在している人間の脳の状態を再現し、対象者本人の精神、つまり、内的・主観的な意識も含め、記憶や認知において元の人間の脳と区別のできない機能と出力を得る手法」であるとします。

実際のところ、この定義の中で使用したそれぞれの言葉の意味を厳密に考えようとすると、即座にとてつもない認識論上の難問が生じることは私も理解しています。けれども、精神転送は古くからサイエンスフィクション小説、映画やアニメにおける典型的なテーマとして扱われており、近年では2014年の映画『トランセンデンス』でも中心的なテーマとして用いられていました。そのため、精神転送のイメージは多数の人に共有されているだろうと考えて、哲学的な諸問題は後のエントリに回し、共有されたイメージに沿って議論を進めます。

私の主張は、「原理的には精神転送は不可能ではないにせよ、カーツワイル氏やシンギュラリタリアンの議論においては、その実現の困難さが相当に低く見積もられており、今生きている私たちの寿命のタイムスパンで実現される可能性は相当に低い」というものです。

なお、タイトルでは「不可能である」と述べていますが、不可能であることは証明できないため、「精神転送の提唱者は、それが可能であるという十分な証拠を挙げていない、または議論に見落しがある」という意味だと捉えてください。


精神転送について、いくつか議論の前提を確認します。

まず、カーツワイル氏は、脳の再現と精神転送が汎用人工知能を実現する方法であると主張しているわけではありません。脳の機能的なシミュレーションによって最初の汎用人工知能が完成した後で、その汎用人工知能の能力を使って、脳の器質的な再現と精神転送に必要な計算能力と脳のリバースエンジニアリング手法が開発されると主張しています。

けれども、ここで最初に精神転送を取り上げる理由は、カーツワイル氏の議論においては、脳の機能だけを模倣するシミュレーションと、器質的な構造も含めて再現するエミュレーションとの間にある質的な差異が小さいからです。つまり、彼は脳のシミュレーションと脳の再現との間にある問題は、実質的には計算能力の向上と脳スキャンの解像度の量的な改善だけであると述べています。よって、ここで精神転送を取り上げることで、カーツワイル氏の脳のリバースエンジニアリングに対する見積もりの妥当性を同時に検討します。

 

次に、私がここで精神転送を取り上げる意味と意図について述べます。

実際のところ、精神転送は神経生理学や計算神経科学のメインストリームの研究テーマではありませんし、精神転送の実現可能性を真面目に捉えている科学者や一般人もごくわずかでしょう。けれども、カーツワイル氏はごく近い将来 (2030年代) には精神転送が可能になると述べていますし、一部のシンギュラリタリアンの中では精神転送がシンギュラリティ前後の生き方として真剣に捉えられています。

私が、技術者としてのバックグラウンドも持った信仰者であることは既に何度か述べました。技術者としての私から見ると、精神転送は、これから述べる通りいくつもの巨大なブレークスルーが無ければ実現できないことにも関わらず、まるで明日にでも可能になるかのように語られていることを奇妙に感じます。また、宗教家としての視点から見ると、精神転送は、宗教が持つ力が弱まった現代社会において、来世と永遠の生命のイメージを提供するものとなっているように見えます。けれども、テクノロジーに対して信仰を投影することは、テクノロジーの健全な発展と人間の霊的な側面の両方において、害を成すものであると考えています。

 

最後に、この議論における私の立場を明確にしておきます。上記の通り、私は創造主の存在を信じ、来世と不滅の霊魂を信じる者です*1。けれども、本論においてはその立場を取らず、おそらく多数のシンギュラリタリアンの暗黙の前提である機械論*2と進化論*3の立場に立って議論します。アリストテレス哲学を学び、その内部から哲学を論駁したガザーリーのように、私自身もシンギュラリタリアンと同一の立場と内部の視点からその矛盾を論駁することが必要であると考えているからです。

つまり、ここでの私の立場は以下の通りです。

  1. 人間の精神現象は、脳の物質的な構造と機能から説明が可能である
  2. 人間の精神現象は、何らかの情報処理プロセスとして記述できる
  3. 脳機能を説明するため、物理学、化学、生物学的に新たな法則は必要としない

 

これから、精神転送の具体的な技術的・生物学的な実現可能性を検討していきます。その前に、私が見るところでは、科学や工学における「再現(エミュレーション)」と「モデリングとシミュレーション」に対する混乱が存在しています。次のエントリでは、まずその2つの違いについて検討します。 

哲学者の自己矛盾: イスラームの哲学批判 (東洋文庫)

哲学者の自己矛盾: イスラームの哲学批判 (東洋文庫)

*1:おそらく、心の哲学においては実体二元論の立場に分類されるだろうと捉えています

*2:唯物論、機械論的唯物論

*3:実のところ、私は信仰上の立場でも進化論の現象的な説明を受け入れています