シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

脳の階層性:カーツワイル氏は創造論者か

前回述べた通り、生物の情報処理の基本原理は分子であるため、ニューロンシナプスのレベルでの動作メカニズムの解明のみでは、精神転送の実現のためには十分ではないと考えられます。

けれども、カーツワイル氏はこの点に対する反論を用意しています。曰く、脳の機能には階層性が見られるため、高次のレイヤーでの動作原理を解明し模倣できれば良く、分子レベルでの動作機構の再現は不要である、と主張しています。

・脳の領域の設計は、ニューロンの設計よりも単純だ。
モデルは、高次のレベルに行くにつれ、複雑になるのではなく、単純になる。コンピュータの例を考えてみよう。トランジスタをモデル化するには、半導体の詳細な物理特性を理解することが必須だ。それに、ひとつのトランジスタを支えている方程式は、とても複雑だ。ところが、二つの数を掛け合わせるだけのデジタル回路は、数百個のトランジスタが載っているにもかかわらず、数個の公式だけで、もっと簡単にモデル化できる。数十億個のトランジスタを搭載したコンピュータ丸ごと一台でも、命令セットとレジスタ記述部を用いてモデル化することができ、ほんの数ページのテキストと数学の変換式だけで記述できる。*1 

 

けれども、生物に対して言えば、この考え方は完全な誤りです。確かに、デジタル回路については階層性が存在し、低位のレイヤーの原理 (半導体の物性) は高位のレイヤーの動作 (論理演算) を考える上では無視できます。

けれども、偶然に、あるいは必然的に階層化された抽象レイヤーが生じるわけではありません。人間がトランジスタ論理回路をそのように設計したからです。

設計者たる創造主の存在を信じる一神教徒の私からすると、生物に設計者が存在するという考え方はなるほどと思える部分もあるのですが、けれども、機械論と進化論の立場に立つのであればそのように主張できないはずです。そして、実際のところ、脳機能には明確な抽象レイヤーは存在していません。

そもそもの話をすれば、脳の持つ高次の機能、認知能力や知能や意識や感情といった多義語で表現される機能が一体何なのか、未だ厳密な意味で定義できていません。命令セットアーキテクチャによって、高いレイヤーの機能が厳密に定義できる集積回路とは異なります。

脳の機能が完全に階層化されていないという事実は、私たち自身も日々実感しています。人間の意識レベルは、完全な昏睡状態から睡眠状態、まどろんだ状態、ちょっとした疲労で注意力散漫な状態から意識清明な状態まで、連続的なグラデーションを成しています。また、アルコール、ニコチン、カフェイン、あるいは向精神薬や風邪薬などに至るまで、比較的単純な分子でできた物質ですら、人間の意識レベル、認知能力や思考に影響を及ぼします。もし、脳が完全に階層化されているのであれば、不正な入力は、出力に対して何ら影響を及ぼさないか、あるいは出力を完全に停止・破壊するかのどちらかであるはずです。

比較のために、半導体トランジスタで作られた論理回路を考えてみます。論理回路に対して設計時の想定を超えた高電圧を印加した場合、回路は動作不良を起こし完全に停止するか、あるいは何とか正常な出力をするかのどちらかです。半導体のレイヤーでの複雑な物理特性は、明確な閾値と強い非線形的な動作仕様を設定されたトランジスタ素子として構成された後では、無視することができます。

その一方で、自然淘汰と進化という設計者は、脳の全体最適を達成するために抽象レイヤーを実装するという贅沢を許しませんでした。進化は、あり合わせの材料の中でわずかな修繕や改善を加えていく、いきあたりばったりのプロセスであり、進化の産物には明確な階層は存在しません。

 

フランスの病理学者・分子遺伝学者であるフランソワ・ジャコブ氏は、著書『可能世界と現実世界』の中で、進化のプロセスを次のように表現しています。

  自然淘汰の働きは、エンジニアの仕事に例えられる。しかし、この比喩はあまり適切なものとは言えない。第一に、エンジニアは、進化の最中に見られるのと対照的に、あらかじめ作られた計画に基いて仕事をする。第二に、エンジニアが新しい構造を作るときは、必ずしも古いものからそれを作り出すわけではない。蝋燭から電球ができたわけではないし、内燃機関からジェットエンジンができたわけでもない。何か新しいものを作り出すとき、エンジニアは、個別の事情に即して書かれたオリジナルの青写真や、その仕事のために特別に用意された材料や機械を意のままに用いるのである。最後に、エンジニア、少なくとも優れたエンジニアによって新たに作られたものは、こうして、その時代の技術でなし得る完璧なレベルに達している。これとは逆に、完全な創造という論法と一戦を交えなければならなかったダーウィンが繰り返し強調したように、進化というものは、完全さから遠く離れている。…
  エンジニアとは違い、進化は、ゼロから新たなものを作り出すことはない。進化は、すでに存在しているものに作用して、ある系を新しい機能を持ったものに変換したり、いくつかの系をより複雑なものにすべく組み合せる。自然淘汰は、人間の活動のいかなる面とも類似点を持たない。あえて何かになぞらえるとするなら、この仮定は、エンジニアリング(engineering)ではなく、ティンカリング(tinkering)、フランス語で言うブリコラージュ(bricolage)に似ていると言わねばなるまい。エンジニアリングが、加工していない材料と仕事にお誂え向きの道具に頼っているのに対して、ブリコラージュの方は、ガラクタを用いる。大抵の場合、何を作ることになるのかさえ分からないまま、古いボール紙、糸屑、木や金属の切れ端など、周囲にあるものを何でも使った末に、何かしら使用可能なものを作り出す。…
  ある面で進化による生命体の派生は、こうした作業のやり方に似ている。多くの場合、また明確に設計された長期計画なしに、ブリコラージュはたまたまストックにあったものを引っ張り出してきて、それに思いがけない機能を与える。…
  進化は、ブリコラージュと同じく、何百万年もの間、少しずつこっちを付け加え、あっちを切り取り、そっちを伸ばしというふうに、あらゆる変形と創造の機会を捉えて、その産物を改良してきたのである。*2

生命の進化は、何かしらの目的を持った、意図を持った進歩と改善のプロセスとして表現されることがあります。カーツワイル氏が「収穫加速の法則」の証拠として例示している「特異点へのカウントダウン」のグラフにも、生命進化を進歩として捉える考え方が暗黙のうちに含まれています。

けれども、進化論の観点からは、合目的的な進歩と設計という考え方は完全な誤りであると言えます。生命進化は進歩ではなく、ある環境内における適応 (生き残り) のプロセスであり、そこには一切の方向性もランク付けも存在しないからです。

生命進化の産物である脳の機能にも、それと同じことが言えます。そこには、明確な方向性も階層性も存在していません。意図を持った何者かが人間を設計したと信じるのでない限り、脳に階層性が自動的に生じると想定する理由はありません

つまり、精神転送の実現という目的に限って言えば、脳の機能にはそもそも明確な階層性は存在しないため、「高次のレイヤーの動作を再現するのみで十分である」という主張は誤りです。

可能世界と現実世界―進化論をめぐって

可能世界と現実世界―進化論をめぐって

*1:『ポスト・ヒューマン誕生』p.179-180

*2:『可能世界と現実世界』p.44-47