シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

精神転送の改善的手法あるいはテセウスの船

通常、新しく開発される技術は、最初から完全であることは稀です。おそらく、精神転送についても同じことが言えるでしょう。通常の技術であればプロトタイプ的な手法から、完成形へ向かってだんだんと改善していく方法が取られますが、精神転送という特殊な技術を考えると、他の技術では存在しない特有の問題が発生します。

精神転送は動物実験も改善もできない

新薬開発や通常の医療処置であれば、動物実験臨床試験を通して改善することができます。けれども、精神転送の動物実験はあまり意味のあることではありません。動物がいかなる内的意識体験を持っているのか不明ですし、動物は自分の意識体験を言葉で説明することが不可能であるからです。

結局のところ、精神転送の実験は最初から人間を対象として実施する必要がありますが、その場合には倫理的な問題が生じます。おそらく、最初に脳をコピーし再現する手段が開発されるとき、その手法が破壊的方法であること、つまり、人間の脳に対して何らかの恒久的なダメージを与える手法である可能性は非常に高いということです。端的に言えば、対象者は複製される前に死にます。

対象者に対する倫理的な問題は、死刑囚を使うなり、死期の迫った病人からの献体として扱えば、解決できるかもしれません。けれども、最初から完全な人間の脳の複製ができると想定することはできません。最初の手法では、不完全なコピーしかできない可能性、たとえば、過去の記憶が再現できなかったり、新しい記憶を学ぶことができない精神体が発生するかもしれませんし、転送直後は正常であっても一定の時間が経過すると人格が崩壊するというような状況が発生する可能性もあります。そして、前回のエントリで述べた通り、どのような不具合が生じているかを対象者自身ですら意識できない可能性もあります。その場合、複製された(不完全な)精神をどのように扱うべきかという、更に巨大な倫理的問題が生じます。

この問題を防ぐためには、精神転送は漸次的な改善的手法を取るのではなく、最初から完璧な技術として完成されていなければなりません。けれども、精神転送という巨大で複雑な技術が、最初から完全な形で得られることは想像しにくいことです。


テセウスの船

ここまで、精神転送を「人間の脳機能と精神活動を、人工物の上で完全に再現する手法」として扱ってきました。このプロセスを一度に実行しようとすると、これまで述べてきた通りとてつもなく巨大な問題が発生します。

けれども、精神転送の提唱者は、別種の (仮説的な) 方法を用意しています。神経細胞と同等の活動ができるナノマシンを用いて、少しづつ人間の脳を入れ替えていき、最終的に完全な人工物で脳を置換するという方法です。ギリシャの伝説的なパラドックスにならい、「テセウスの船」型の精神転送と呼ぶことにします。

なるほど確かに、神経細胞は常に死滅しており、またシナプスは常時作り変えられ、神経細胞を構成する分子は新陳代謝により入れ替わっています。

けれども、生命進化における前提条件である新陳代謝と、人為的な変更を同列に扱うことはできません。人間の高次な精神活動、認知、記憶や判断の機能を強化したり代替したりする手法が遠い将来において開発される可能性は否定しませんが、前回のエントリで述べた通り、「人間は自分が異常であるか正常であるかを確実に判断できない」という制限は、テセウスの船型の手法を取るにせよ付きまといます。
この制限がある以上、仮にナノマシンが開発されたとしても、人間への適用は相当保守的にならざるを得ません。人間の寿命のタイムスパンで長期的な悪影響が発生しないことを確認しながら、何世代にも渡ってゆっくりと改善していくという方法が必要になります。


まとめ

ここまで、精神転送の実現可能性を詳細に検討してきました。そもそも、精神転送に必要となる計算機、脳を観察するためのナノテクノロジーの実現と脳神経科学の知見、その3つにおいて巨大なイノベーションがなければ前提条件を満たすことすら不可能です。カーツワイル氏の主張する指数関数的な成長がこの3分野で発生すると仮定してさえなお1, 2世紀の時間を要するでしょうし、常識的かつ妥当と思われる科学の進歩と技術開発の速度を前提とした場合、一体いつ人類が必要な技術と知識を手に入れられるのかは全く不明です。

そして、仮に技術的に可能になったとしても、成功判定に関する哲学的な問題が解決されない限りは、合法的な医療処置として精神転送を受けられる可能性はありません。

2017年現在において生きており、この文章を書き、読んでいる「私」や「あなた」が精神転送を受けることはありません。私はそう結論づけます。