シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

精神転送(マインドアップローディング)は不可能である (縮約版)

精神転送に関して、私の主張を要約します。個々の主張の根拠や詳細な議論は、個別エントリを参照してください。

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 要旨

ここまで、カーツワイル氏が主張する精神転送 (マインドアップローディング) の実現可能性の根拠を検討してきました。私は「原理的には精神転送は不可能ではないにせよ、カーツワイル氏やシンギュラリタリアンの議論においては、その実現の困難さが相当に低く見積もられており、今生きている私たちの寿命のタイムスパンで実現される可能性は相当に低い」と考えています。

まずはじめに、コンピュータを用いて行なわれる「シミュレーション」の技法を、3つに分類しました。すなわち、工学的・人工的に何かを再現 (エミュレーション) すること、物理的な基礎方程式の数値シミュレーション、およびモデルを用いたシミュレーションです。この3つは、意味も目的も異なります。現在、「脳のシミュレーション」と呼ばれている研究は、あくまでもモデルを用いて巨視的な現象を抽象的に表現したものであり、脳の「再現」や「数値シミュレーション」を目指したものではありません。

次に、カーツワイル氏による脳の複雑性に関する推定の前提に誤りがある、という分子生物学者からの指摘を紹介しました。すなわち、ヒトゲノムの数と、脳の冗長性を元にした複雑性の見積もりにおいて、それぞれの仮定に誤りがあり、あまりに人の脳を単純化しすぎていると批判されています。


現在のところ、脳をどれだけ詳細にモデル化しシミュレーションすれば知能や意識が生じる、あるいは再現できるのかは不明です。けれども、生命の情報処理の基本原理は分子の相互作用です。そのため、人間の脳をエミュレーションし精神転送を行う場合には、ニューロンシナプスのレベルではなく、脳を分子レベルまで再現することが必要なのではないかという指摘をしました。
その傍証は、脳どころか神経細胞すら持たない単細胞生物でさえ、原始的な記憶や知能の存在を示すこと、人間の脳も進化の過程を通して分子レベルの情報処理メカニズムを保持し続けていること、生体内の分子が論理回路として働きうる可能性を示す研究が存在することです。

分子レベルの相互作用が人間の知能や意識を再現する上で必要不可欠であるならば、精神転送の実現に対して2つの困難が生じます。脳を再現するハードウェアと計算量が莫大になること、およびシミュレーションに必要な分子の初期状態、つまり脳内の分子の位置と速度を把握することがほぼ不可能であることです。高い解像度を持ち、かつ脳全体を広範囲で観察できる手段は現状存在しませんし、仮に精神転送の提唱者が主張しているように脳内へ侵入できるナノマシンが存在したとしても、妥当な時間内に情報収集が完了するとは考えにくいからです。

カーツワイル氏は、脳には階層性が存在するため、分子レベルの相互作用はモデル化の際には捨象でき、ニューロンシナプスのレベルでの動作の再現ができれば、精神転送の実現という目的のために十分であると述べています。けれども、進化を通して発達した生物の脳には、トランジスタ素子や論理回路とは異なり、明確な階層性は存在しません。そもそも、現状では分子レベルでの脳の動作メカニズムどころか、神経細胞シナプスのレベルでの動作原理すらよく分かっていません。それゆえ、分子レベルの動作を捨象しても問題がないかは今のところ不明です。


計算機科学、脳神経科学ナノテクノロジーの3つの分野において、途方もない進歩がなければ必要な前提条件を満たすことすらできません。そして、前提となる知識と技術が得られたとしてもなお、人間を対象とする実用的な医療処置としての精神転送技術を開発するというハードルは残ります。

その際に大きな問題となるのは、精神転送の成功と失敗をどのような操作的な手続きで判定するかです。他人の眼から見て区別ができないような、ある人の精巧なコピーを作ることを目的とするのではなく、この<私>の自我を複製あるいは転送したいのであれば、チューリングテストのような外部からのチェックだけではなく、主観的・内的な意識体験を対象とした検証を行なう必要があります。

けれども、脳に器質的な障害を負った人や精神疾患患者が、自身の精神状態の異常性を認識できず、自分は正常であると言い張るという臨床事例が存在しています。これが意味することは、人間が自身の精神活動に意識的にアクセスできる範囲はごく限られているということです。

それゆえ、精神転送の成否判定において、対象者本人の自己申告を信じることは不可能です。そして、誰も他人の内的意識体験にアクセスできない以上、精神転送の成否は (本人含めて) 誰にも分かりません。この制約は、脳を少しづつ入れ替えるなど、どのような手段を取るにせよ逃れることはできず、現実的な医療処置として考えた場合、開発と認可に相当の時間を要すると考えられます。

実際のところ、精神転送実現に必要な時間と労力に対する見積もりは、提唱者のある種の宗教的な「不死への願望」 によって非常に激しく歪められているように見えます。

 

以上の理由から、私は、現在生きている人の寿命のタイムスパンで、人間を対象とする医療処置として精神転送が実用化されることは無いと考えています。