シンギュラリティ教徒への論駁の書

«Il n'y a rien qui ressemble plus à une exponentielle que le début d'une sigmoïde.» —Yann LeCun

分子ナノテクノロジーの予測とナノハイプ

私は、カーツワイル氏によるナノテクノロジーに関する予測は、もはや議論に値するものであるとは考えていません。『ポスト・ヒューマン誕生』におけるナノテクノロジーに関する予測が既に外れていることはほぼ明らかであり、現在ですら議論が古びており、その影響力は既に失なわれているからです。

たとえば、『ポスト・ヒューマン誕生』におけるカーツワイル氏の予測では (分子) ナノテクノロジーの発展は「強い」人工知能の開発よりも先行するとされており、2010年代からナノテクノロジーの実用化が進み初め、2025年頃には完全に普及すると主張していました*1 *2

また、カーツワイル氏は、ナノテクノロジーによって2020年までにエネルギー供給の指数関数的的な加速が開始されると主張していました。*3

また、2010年を予測した記述には「2010年代が始まるころには、コンピュータは基本的にはその姿を隠すようになっているだろう。つまり、衣服の中に編み込まれたり、家具や環境の中に埋め込まれたりしているのだ。*4」とあります。

そして、現在のシンギュラリティに関する議論において、機械学習研究者、計算機科学者や脳神経生理学者ではなく、ナノテクノロジー研究者が何か発言を求められることがどれだけあるでしょうか? シンギュラリティを題したシンポジウムやカンファレンスに、どれほどのナノテクノロジー研究者が出席しているでしょうか?

これら全ての記述を、どれだけの人がリアリティを持って受け止め、真剣に考えているでしょうか。端的に言えば、ナノテクノロジーに関するカーツワイル氏の記述は、既にテクノロジーの将来に対するビジョンとしての力を失なっています。

そして、現在のナノテクノロジーの主流な研究においては、ドレクスラー型の分子ナノテクノロジーのビジョンはほとんど共有されていないように見えます。現在主流の研究は、穏当な材料工学の一分野であるか、あるいは生物が分子を扱う原理とそれほど異ならない、リチャード・ジョーンズ氏が呼ぶところの「柔らかい(ソフトな)」ナノテクノロジーであるからです。

ナノ・ハイプ

けれども、ここで私がナノテクノロジーについて取り上げることには別の意図があります。現在の人工知能に関するハイプ -誇大広告と過剰期待- を考える上で、ナノテクノロジー研究の歴史と発展が極めて有用な題材となるからです。

つまり、有用な技術開発よりもサイエンス・フィクション的な想像力が先行して大衆的イメージが作り上げられ、ある種のトリックスターによる空想めいた書物がハイプを更に加速させ、ありとあらゆる種類のステークホルダー、官僚、政治家、産学界のリーダー、投資家、環境活動家などが自身の利益のために期待と恐怖のハイプを煽り、その後、急速に膨れ上がった期待の裏返しにより大衆の熱狂が冷め研究者がしっぺ返しを喰らい、しばらく経ってからハイプとは無関係な形で有用な技術が開発されるという傾向が見られるからです。

ナノテクノロジー」に関する物語とその分析は、登場人物を「人工知能」に変更すれば、そのまま現在でも通用するものであるように見えます。そこで、私はここではナノテクノロジーを通して、テクノロジーに対するハイプのあり方を探ってみたいと考えています。

なお、ここでのナノテクノロジーに関する議論は、リチャード・ジョーンズ氏による反トランスヒューマニズム電子書籍Against Transhumanism』と『ナノ・ハイプ狂騒』を参考にしました。

 (『ナノ・ハイプ狂騒』は、テクノロジーとハイプを考える上で極めて有用な書籍なので、広く読まれてほしいと願います)

ナノ・ハイプ狂騒(上)アメリカのナノテク戦略

ナノ・ハイプ狂騒(上)アメリカのナノテク戦略

ナノ・ハイプ狂騒(下)アメリカのナノテク戦略

ナノ・ハイプ狂騒(下)アメリカのナノテク戦略

*1:『ポスト・ヒューマン誕生』p.332

*2:近年のインタビュー記事では、いわゆる汎用人工知能の開発後にナノテクノロジーが進歩すると述べていますが、予測を変更した理由に関しては何も述べられていません

*3:近年では確かに太陽光発電の進歩が続いていますが、これを「分子」ナノテクノロジーの功績に含めるのはやや後講釈が過ぎる感があります

*4:『ポスト・ヒューマン誕生』p.402