シンギュラリティ教徒への論駁の書

"Unending exponential growth? What drugs are those people on?" - Linus Torvalds

人工知能とサイエンスフィクション

前回のエントリでは、ナノテクノロジー概念の起源を探っていく中で、その系譜がサイエンスフィクションと魔術へと辿れることを指摘しました。

そして、ここで私が問題にしている人工知能とシンギュラリティ論の起源が、サイエンスフィクションに由来することは、今更改めて指摘するまでもなく、広く知られた事実でしょう。

現代的なシンギュラリティ論を唱えたヴァーナー・ヴィンジ氏は、数学者であると同時にサイエンスフィクション作家でもありました。初期のシンギュラリティ論は、研究者よりはむしろサイエンスフィクションの作品を通して議論が進められていたものです。

人工知能そのものに関しても、実用的な技術開発よりもサイエンスフィクション的な想像力が先行して大衆的なイメージが作られたと言えますし、人造人間や人工的な生命体の創造という観点で考えれば、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』から錬金術パラケルススホムンクルスに至るまで、人間のイマジネーションの中において非常に長い歴史が存在しています。

もちろん、現代の人工知能 (機械学習) の真摯な研究者は、現代の人工知能研究はそのようなオカルト的/サイエンスフィクション的な想像力からは離れたものであると主張するでしょう。けれども、前回のエントリで取り上げたナノテクノロジーの場合と同様、シンギュラリタリアン/トランスヒューマニストのビジョンの中では、魔術的な思考は極めて一般的なものであるように見えます。

 

第2回シンギュラリティシンポジウム ⑥ パネルディスカッション「日本からシンギュラリティを起こすには〜その具体的な方策」 | シンギュラリティサロン

「シンギュラリティ」を題したシンポジウムにおいて、松田卓也氏、山川宏氏や高橋恒一氏といったシンギュラリティ論に親和的な研究者たちが、「地球派」や「宇宙派」といったサイエンスフィクションと見まごうばかりの語彙を使いながら人工知能の未来について語っている姿を見ると、オカルト/サイエンスフィクション的な発想と汎用人工知能の研究の現場は、さほどの隔たりが存在しないように感じられます。

これまで私が延々と述べてきた通り、シンギュラリティ論は「あまりにありそうもないことであるため、真面目に検討するに値しない」議論であり、この種の議論に参加する研究者は、残念ながら研究者としての能力と資質に疑問を感じざるを得ません。もしも彼らがこの種の議論を全て信じ込んでいるのであれば彼らの能力と知性を疑わざるを得ませんし、研究資金や投資獲得のために自分ですら信じていない与太話を利用しているのであれば、今度は研究者としての知的誠実さに対する問題となります。

このような大風呂敷を広げた未来予測と、伝統的な科学的・学問的価値観との葛藤が、科学技術研究そのものに対するある種の冷笑主義を招きかねないという懸念は、おそらく理解できるだろうと思います。端的に言えば、学者は論文以外の場所、研究提案や自身の成果のメディア向けリリースなどでは、ホラを吹くものだと見なされかねません。

 

このブログでも度々取り上げているナノテクノロジー研究者のリチャード・ジョーンズ氏は、90年代から2000年代に広まったナノテクに対するハイプ、つまり非現実的な期待と恐怖を煽る誇大広告が、ナノテク分野の健全な発展を損なったとして、シンギュラリタリアニズム/トランスヒューマニズムに対して非常に強い調子で批判を加えています。

現在の(汎用)人工知能研究も、ナノテクのハイプ、そしてかつての「人工知能の冬」と同様の運命を辿る可能性は非常に高いと考えています。そして、おそらく、その実現しなかった約束に対する支払いは、人工知能機械学習のコミュニティ自身が負うことになるでしょう。