シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

分子ナノテクノロジー

ここまでのナノテクノロジーに関する議論において、私は「分子ナノテクノロジーはそもそも可能なのか」という議論を避けてきましたが、このビジョンの実現可能性を改めて検討してみたいと思います。

確かに、我々は、ごく限られた状況において、個々の分子の位置を観測し、操作・配置することもできます。私も以前に取り上げた走査型電子顕微鏡のように、分子スケールにおける計測手法は既に実現されています。また、分子の操作に関する有名な事例としては、IBM社の研究者であるドン・アイグラー氏による1989年の実験が挙げられます。これは、35個のキセノン原子を使って、微小サイズの「IBM」のロゴを作成したデモンストレーションです。

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キセノン分子で描かれた「IBM」のロゴ。図はWikipediaより

けれども、現在実用化されている「ナノテクノロジー」と、シンギュラリタリアンやトランスヒューマニストによる想像上の「分子ナノテクノロジー (Molecular nanotechnology; MNT)」との間には、馬車と宇宙船との間にある以上の巨大な隔りが存在しているように見えます。

MNTの構想は、工学者であるK・エリック・ドレクスラーの1992年の書籍『ナノシステムズ』によって拓かれました。その基礎をなすアイデアは、端的に言えば「機械工学の原理を化学に適用する」ことであると言えます。
なるほど確かに、生物の身体構造はそれほど合理的であるとは言えません。たとえば、「車輪」という非常に効率的な移動方法は、進化を通して生物が獲得することはできませんでした。また、人間が設計し製造した飛行機は、どんな鳥類よりも速く遠くまで飛ぶことができます。これと同様に、分子サイズの機構においても、人間の設計を通して合理的で高効率な「分子機械」ができるだろうとドレクスラーは主張していました。

この想定は、決して根拠を欠いた荒唐無稽なものではありません。MNTの提唱者は、生物の細胞は分子レベルの機械的な機構を用いてタンパク質や細胞を構成していることを例として挙げています。典型的な事例は、RNAからタンパク質を合成する翻訳の機構でしょう。このプロセスは、細胞内に存在する器官であるリボソームが、メッセンジャーRNAから情報を読み取り、遺伝子のコードをアミノ酸の配列へと変換するもので、このアミノ酸から複雑なタンパク質の三次元構造が作成されます。(Wikipediaにこのメカニズムを表現した模式図とアニメーションがあります。)

分子の合成において、自然淘汰と進化に由来する生物的な脂質やタンパク質のような柔らかい素材を使うのではなく、ダイヤモンドのような「固い」素材を用いることによって、生物的な限界を超えた分子機械を作ることが提案されています。ちょうど、自動車や飛行機が馬や鷹の能力を肥えているように。すなわち、強固なアームを用いて原子や分子を任意の位置へと移動することで望みの分子を作り上げることによって、薬品や食料や電気製品どころか身体や臓器までも作成することが可能になるのだ、と主張されています。

このような分子機械は、既知の物理や化学法則には違反しておらず、原理的には、不可能であることを示す根拠は存在しません。

けれども、MNTはドレクスラーらの想像よりも非常に困難なものであるかもしれないという指摘は、実際のところ、『ナノシステムズ』出版直後から存在していました。代表的な批判としては、以下に挙げたような指摘があります。

  • 微小な世界においては、水などの流体のレイノルズ数は低い値となる。
    すなわち、液体の粘性が高くなり蜂蜜のようなドロドロしたものとなるため、巨視的な環境においては動作する機構が働かなくなる。
  • ファンデルワールス力(分子間力)など、巨視的な環境では無視しうる力が支配的となり、近接した物体同士が付着する傾向がある。
  • 酸素による酸化、分子のブラウン運動などにより、分子スケールの構造が破壊されて機能を失なう。
  • 巨視的な視点からは、正常な分子機械と故障した分子機械を区別する方法がない。


イギリス、シェフィールド大学物理学科教授であり、ナノテクノロジーを専門とするリチャード・ジョーンズ氏は、2008年の記事で以下のように述べています。

…最終的には、「ハードな」ナノマシンパラダイムを採用することに対して、分子生物学の知見が疑問を投げかけている。しかし、もしこの種の機械工学的なアプローチが身体内で働くことがあったとしても、私の見解では、その提唱者はいくつかの問題について深刻に過小評価している。

 

最初に、分子機械の構成要素 --シンギュラリタリアンの見解を支持するものとして、無数のシミュレーションで有名になった歯車など-- は、やや疑わしい化学的性質を持っている。これらの分子機械は、本質的には奇妙で特殊な形状をした分子クラスターであり、安定した原子配列であるか、より安定した形状へと自発的に変形してしまうことが無いのかどうかはまったく明らかではない。これらの結晶格子は、分子モデリングソフトウェアを用いて設計されたものであり、原子価が満たされ、通常の結合角からの歪みが大きくないのであれば、形成された構造が化学的に安定であるという原則に基いている。しかし、これは問題を含んだ仮定である。

規則的な結晶格子は、原子や分子による三次元構造であり、それぞれの間の結合角は明確に定まっている。自然ではない結晶格子 --たとえば、平面ではなく曲面を持つような結晶-- を作る場合は、原子間の自然な距離と角度を歪め、結合に強烈な負荷をかけなければならない。モデリングソフトウェアは、結合が維持されえることを教えてくれるかもしれない。しかし、現実の世界はコンピュータモデルよりも複雑である。たとえば、極小の球形のダイアモンド結晶を作ろうとすると、表面の炭素原子の1つか2つの層が自発的に再配列して、ダイアモンドではなくグラファイトへと変化してしまう。

 

次の問題は、表面力およびこれらのナノボットが持つと思われる広い表面積である。既存の微小な電気機械システムをナノスケールに縮小することを試みた研究者たちは、摩擦と固着の組み合わせが壊滅的な影響をもたらすことを既に発見している。ナノロボットは非常に高いエネルギー密度で動作することが想定されているため、摩擦力がごく小さいものであったとしても、ナノロボットは蒸発ないし炎上してしまう可能性がある。少なくとも、摩擦と固着によって分子機械の化学的安定性は損なわれるだろう。

 

それ以外にも、反応性の物質 --たとえば、水や酸素-- がナノロボットの露出した表面に付着して化学的な性質が乱された場合、ナノロボットに不可逆的な損傷を与える可能性もある。これらの反応性分子を避けるためには、ナノデバイスは完全にコントロールされた環境下で製造されなければならない。医療用のナノロボットを、人体という高温で混雑した外乱の大きな環境においてどのようにすれば保護することができるのか誰も分からない。

 

最後に、高い作業精度と剛性に必要となる複雑な機械的機構が、室温における熱雑音とブラウン運動によってどのような影響を受けるのだろうかという疑問がある。ナノロボットが受ける外乱は、工学的に設計された巨視的構造が受ける外乱を遥かに超える。そのため、ダイアモンドのような固い物質であっても、外乱の影響により曲げられ揺さぶられてしまう。たとえて言うなら、ゴムで作った時計を乾燥機の中に入れて回転させた後、どうして動いていないのかと考えるようなものだろう。つまりは、複雑で固い機械的なシステムがナノ世界で生きのびられるのかどうか、全く分からないということである。

 

これら全ての複雑さをまとめると、私には、ハードなナノマシンが動作できる環境の範囲は、まったく存在しないか、もしくは極めて限られたものであることを示唆しているように思える。もしも、たとえば、このようなデバイスが低温・真空中でしか機能しないのであれば、その影響と経済的な意義は、事実上ゼロであろう。

Rupturing The Nanotech Rapture - IEEE Spectrum

もちろん、ここで挙げられた指摘はMNTの提唱者も認識しており、上記の制約を克服する理論上の手法も提案されています。(そのうちのいくつかはカーツワイル氏も『ポスト・ヒューマン誕生』の中で取り上げています) けれども、当然、MNTの実現可能性に対する真の証明は、実験によるデモンストレーションで実際に示すことです。

ところが、ドレクスラーのデビュー作『創造する機械』の出版から約30年が経過していますが、この分野においては、指数関数的な成長はおろか、MNTに直接的に関連する成果はほとんど見られませんでした。(半導体産業における30年前との差異を比較すると、隔世の感があります) 現在存在する「ナノテクノロジー」の研究室からは目覚ましい進歩が起こっていますが、これはドレクスラー型のビジョンとはほとんど関連の無いものです。

 

もちろん、遠い未来において、ドレクスラーをはじめとするMNTの提唱者たちが描き出した技術が、最終的に何らかの形で実現される可能性までも否定するものではありません。長期的なタイムスパンにおいては、MNTの提唱者が想像したビジョンが、異なる形で実現されるかもしれません。

けれども、上記の事実と過去のナノテクノロジー研究の経緯を考慮する限りにおいて、カーツワイル氏の『ポスト・ヒューマン誕生』の中での予測、つまり、2025年までに分子ナノテクノロジーが「完全な普及」を迎えるという予測を真剣に受け止めることは、極めて困難であると言わざるを得ないでしょう。

参考文献

Nano-nonsense: 25 years of charlatanry - Locklin on science

Soft Machines: Nanotechnology and Life

Soft Machines: Nanotechnology and Life

創造する機械―ナノテクノロジー

創造する機械―ナノテクノロジー

  • 作者: K.エリックドレクスラー,K.Eric Drexler,相沢益男
  • 出版社/メーカー: パーソナルメディア
  • 発売日: 1992/01
  • メディア: 単行本
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