シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

フェルミのパラドックスに対する最もシンプルな答え

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引用元:Hubble Space Telescope Images | NASA 

カーツワイル氏によれば、知的生命体がシンギュリティを迎えた後、機械と融合した知性が光速ないし亜光速、もしくは超光速で宇宙へと拡大していき、宇宙が「精霊」で満たされると言われています。この「予測」は、あまり真面目に考える必要があるような主張ではないかもしれません。けれども、この予測を真剣に捉えた場合、一つの大きな問題が生じます。既にシンギュリティを迎え宇宙へ拡散していく地球外知的生命体の存在どころか、宇宙に何らかの知的生命体が存在しているという兆候が、これまでのところ一切発見されていないことです。

 

この宇宙には、10^24 (1𥝱、1兆x1兆) 個の恒星が存在しており、私たちの銀河系に限っても10^11 (1000億) 個の恒星が存在しています。そして、各々の恒星系にどれだけの惑星が存在するかは明確には分かっていませんが、けれども、合計すればとてつもなく膨大な数となり、生命の誕生に適した惑星も多数存在することは間違いありません。地球で知的生命体が発生したことは事実であり、その背後に何らかの奇跡の存在を認めないのであれば、必然的に他の惑星でも知能を持つ生命が発生しているはずだという推測は、妥当なものであると言えるでしょう。ところが、現在の人類の知識の範囲内において、地球以外に生命が存在するという実証的な根拠は存在しません。

1950年代に、イタリア人物理学者エンリコ・フェルミは、「みんなはどこにいるんだ?」という疑問を発したと伝えられています。ここで言う「みんな」というのは、宇宙人のことです。フェルミの計算によれば、かなり控え目な前提を置いてさえ、宇宙のどこかで発生した知的生命体が、既に銀河の星々を植民地化し、人類と接触するほどに進歩していなければならないと推定されるからです。高度に発達した地球外知的生命体が、統計的には、既に存在すると推定されるにもかかわらず、実証的にはその存在を確認できないという問題は、フェルミの質問にちなんで「フェルミのパラドックス」と呼ばれています。

このパラドックスは、60年以上に渡って科学者たちを悩ませてきました。宇宙文明の探索プロジェクトであるSETIの研究者は、これを「大いなる沈黙 (the Great Silence)」と呼んでいます。シンギュラリティの物語ナラティブにおいても、宇宙における知的生命体の誕生は (統計的に) 必然であり、かつ、知的生命体のシンギュラリティ到達は必然であるとされているため、このパラドックスについて種々の考察がされています。その中には、宇宙人は他文明と接触することによる悪影響を懸念しているのだという主張から、各国の政府機関や宇宙の権威者が他の宇宙文明との接触を妨害しているのだという陰謀論めいたものまで様々な主張があります。

けれども、フェルミパラドックスに対する最もシンプルな答えは、(現時点の、観測可能な範囲において) 高度な文明を発達させた知的生命体は存在していないからだ、という説明であると考えています。

元アーカンソー大学教授の天文学者、ダニエル・ウィットマイヤー氏は、人類が宇宙における典型的な知的生命体であり、基本的な物理法則や生命体の原理が宇宙のどこでも適用可能で、地球と人類には何ら特別性が無いという「平凡原理 (Principle of mediocrity)」または「コペルニクスの原理」を前提とするならば、星間通信や宇宙航行を可能とするような高度に発展した文明の持続時間は、ごく短いものであることが示唆されると主張しています。

平凡原理は、現代物理学と宇宙論の基本的な前提です。基本的には、地球も含めた宇宙全体に「特別な場所」はどこにも存在せず、知的生命体としての人類も全く特別な存在ではない、という仮定です。この仮定が妥当である一つの傍証は、たとえば、地球とリンゴ、地球と太陽との間に働く重力の法則は同じであり、まったく同一の重力の法則が100億光年離れた銀河同士にも適用できることが挙げられるでしょう。

ウィットマイヤー氏の主張は、宇宙の中において、人類が例外的な、発達の初期段階にある文明だという仮定が誤りであるというものです。人類が特異的ではなく、宇宙における典型的な文明であると仮定するならば、数百万年間発展を続け恒星間飛行を可能とするほどに進歩する宇宙文明の存在確率は、極めて低いものであると推定されます。

つまりは、人類が典型的なものであるならば、(これまでのところ) 工業文明は約1世紀程度しか持続しておらず、文明の持続期間は他の地球外生命体でも同等であると見なせば、今現在我々が観測できる範囲内において地球外文明は存在しないことに対する説明が付けられると言います。

そして、ウィットマイヤー氏は、高度な文明は短期間で絶滅を迎えるものであるかもしれないとも述べています。

けれども、私はここには論理の飛躍があると感じます。知的生命体の絶滅が必然的であるという根拠は存在しないからです。実際のところ、より妥当な理由は、今現在我々自身が直面している事象と同様のものでしょう。すなわち、知的生命体がひとたび工業文明を発達させる段階に達すると、せいぜい数世紀で濃縮されたエネルギー資源と非再生可能資源を減耗させ、生存基盤である惑星の環境を乱し、その後恒久的に工業化以前の文明レベルに留まるという理由です。

この結論が、私たちが信じる自明の前提、すなわち、進歩は必然であり不可逆であるという信念と真っ向から対立することは理解しています。けれども、これは「平凡原理」すなわち「人類は何ら特別な存在ではない」という仮定と、「宇宙に地球外知的生命体の存在が確認できない」という観察事実から論理的に導かれる、一番確からしい結論であると考えています。

 

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

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