シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

予測をするのは難しい。未来についてはなおさらだ。

ニューヨークヤンキースの偉大な監督ヨギ・ベラ (大リーグの長嶋茂雄さんみたいな人) が言う通り、予測をするのは難しく、特に未来についての予測はなおさら難しいものです。未来予測は、ほとんど外れます。これは、よく指摘される「30年以内に石油が枯渇する」「空を飛ぶ機械ができるまでには何百年も掛かる」といった、悲観的・否定的な未来予測だけに限らず、楽観的な未来予測についても同様です。

ジョン・フォン・ノイマンは、1950年代にこう述べたと伝えられています。「数十年後には、エネルギーはおそらく無料で手に入るようになる。従量課金などされない空気のように*1」 1950年代、60年代の人々に聞けば、専門家も一般人も含めて、2018年になっても核融合発電が実用化できないなどという未来予想は、誰一人として信じなかったでしょう。

その当時に書かれた未来予測を読んでみると、核融合から無尽蔵のエネルギーがもたらされ、超音速旅客機や宇宙旅行は当たり前のもので、皆が空を飛ぶ車やジェットパックで移動し、食料や商品も無限に供給される世界が想像されていたようです。その一方で、コンピューターはパンチカードや磁気テープで計算し、自宅に据え置かれた巨大なテレビ電話が最先端の未来技術であるかのように扱われており、一人一人が当時のスパコンを超える高度な電子機器を持つ未来はほとんど想像されていなかったように見えます。

過去の将来予測では、エネルギーや運送技術の成長については大きく過大評価されており、また情報技術については過小評価しているか無視しているとさえ言えます。


SF作家のウィリアム・ギブソンは「SFは、未来世界の姿を通して現在の世界について語るものだ」と述べていますが、これは未来予測についても同様に言えるのではないかと思います。つまり、未来予測は、ある時代の常識をもとに同時代人に向けて語られるものであり、その目的は、希望を提示して前へ進むよう鼓舞したり、あるいは悲観的な世界像を用いて現在の社会問題に対して警鐘を鳴らすものです。つまり、将来において読み返されることは実際のところ未来予測の本来の目的ではなく、現在の時点で人々の認識を変えたり課題への注目を集めることこそが、未来予測の本来の意義であると言えます。

けれども、もしも真摯に未来の世界のあり方について考えようとするのであれば、過去の未来予測を振り返り、何が的中し外れたかを検証する必要があります。その上で、なぜ予測が的中したか、あるいは外れたかを考え、予測発表時点で前提としていた仮定や理論と現在世界の実状との差異を考え、理論と予測を更新することは避けて通れないステップです。


さて、カーツワイル氏は1990年代から将来予測を発表しているため、予測時期の一部は既に到来しています。カーツワイル氏の理論においては過去の傾向を見ることで未来の予測ができるとされているため、過去の予測のうち何が当たり、何が当たらなかったかを考えることを通して、今後の予測の妥当性を考える上での重要な示唆を得られると考えています。

 

この項続きます。

*1:『ナノ・ハイプ狂騒』下巻 p.285