シンギュラリティ教徒への論駁の書

"Enjoying science fiction is not the same thing as doing science or making science policy." - Dale Carrico

カーツワイル氏の不老不死に関する何度も何度も外れた予言

カーツワイル氏は、20年後には人類の平均寿命は100歳を超え、30年後には120歳を超えると主張しています。

ただし、これは1999年の『スピリチュアル・マシーン』の中の予測です。つまり、ここで言われている「20年後」は2019年、「30年後」とは2029年を意味しています。2018年現在の平均寿命を確認してみれば、先進国に限っても85歳程度に留まっており、近い将来において平均寿命が10年単位で伸びる合理的な理由を想像することはできません。

そして、カーツワイル氏は、更に大胆に「10年以内に、人間の余命は1年ごとに1年以上延長され、死は遠ざかっていくと信じている。」と発言しています。

これは、2002年の発言です *1。既にこの発言から15年以上経過していますが、裕福な先進国、あるいはもっと小規模で健康的な集団を考えてみても「1年間に余命が1年以上伸びていく」という現象は観察できません。

同様に2001年にも、エッセイ『収穫加速の法則』において、10年以内に人間は「寿命の脱出速度」を迎える、すなわち、全ての人の平均余命*2が1年経過するごとに1年以上伸びていくため、その年まで生存していられれば不慮の事故がない限り望むだけ長く生きていられるようになる、と予測していました。

そして、2003年にも、2005年*3にも、2009年*4にも、2013年*5にも、2016年*6にも、最近2018年*7にも「寿命の脱出速度」到達と「実質的な不老不死」の実現まであと10年〜20年程度必要と述べています。

もちろん、最近の発言については、未だその期限が到来していない予測もあります。けれども、近い将来において「寿命の脱出速度」へ達することができるという合理的な見込みは存在せず、10年後も20年後も、あるいはカーツワイル氏が生きている限り「あと10〜20年必要」と主張していることでしょう。

私は、「寿命の脱出速度到達」が永遠に無理だとは断言しませんが、直近の数十年程度というタイムスパンで実現する見込みは完全にゼロだと考えています。現在の医学的知見に基づく限りは、長期的には120歳程度までは十分に寿命が延長されうるでしょう。けれども、予見できる範囲の近い将来においては、何ら定義も実証的根拠もない収穫加速の法則を安直に適用する以外に、寿命が望むだけ延長されると考える合理的な理由はありません。*8

結局のところ、カーツワイル氏は「死を克服して無限に生き続ける」ということに強い執着心を持っているため、医療技術に対して全く正確な評価ができていないように見えます。これまでも何度か取り上げた、カーツワイル氏に対する辛辣な批判者であるダグラス・ホフスタッター氏は、2008年に自身の新刊に関するインタビューの中で以下のように述べています。

レイ・カーツワイルは、自分が死ぬ運命にあるのを恐れており、死を避けたくてたまらないのだろう。彼の生命への執着は私も理解するし、執念の強烈さにはいくらか心を動かされるけれども、それが彼のものの見方を歪めてしまっているのだと思う。私が考えるに、カーツワイルの絶望的な望みは、彼の科学的客観性を深刻に曇らせてしまっている。*9

こと医療と人間の寿命に限って言えば、カーツワイル氏の予測は完全な誤りであり、自分が間違えた理由を理解しておらず、過去に間違えた予測と同じことを繰り返し、何度も何度も同じ間違いを犯しているように見え、最低限の知的な誠実ささえ欠いているように見えます。

実際のところ、フューチャリストとしてのカーツワイル氏の能力と知的誠実さに私が疑いを持った理由は、不老不死に関する過去の予測が何度も何度も外れているだけでなく、予測が外れた理由について何ら振り返っていないことです。

以前、マインドアップローディングに関連した記事において、この種の不死技術が実現されるまでの時間が過少評価され、しばしば予測者の寿命前後 (誕生から約100年以内) に実現すると「予測」される傾向があることを指摘しました。カーツワイル氏は、まさにこの罠にはまっているように見えます。

医療と寿命に関する「予測」においては、「願望」と「目標」と「予測」が著しく混同されているように見えます。永遠に生きたいという願望を持つことそれ自体は、否定できるものではないでしょう。そして、実現できないかもしれない高い目標を掲げ、そこへ向かって努力すること自体も、悪いことであるとは思いません。けれども、自分の願望や目標を未来の「予測」として提示することは、誤りというだけではなく、極めて不誠実な行為であると考えています。

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

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