シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

未来予測をどう読むか

これから先の記事で、カーツワイル氏による過去の将来予測を取り上げ、彼の「収穫加速の法則」を元にした予測の精度を検証してみたいと考えています。ただし、本題に入る前に、未来予測の検証において、注意しておくべきことを挙げたいと思います。(これには自戒の意味もあります)

  • 予測の一部だけを取り上げない
    カーツワイル氏による2009年、2019年の予測は、かなり分量が多いものです。そのため、発言の一部だけを恣意的に取り上げれば、当たっている、または外れていると主張することができてしまいます。未来予測を評価する際には、発言の一部分だけを取り上げるのではなく、予測の全体を通した印象あるいは正答率を元にして検討する必要があると考えます。(これは、肯定派・懐疑派双方共に言えることです。)

  • 後知恵バイアスに注意する
    『スピリチュアル・マシーン』におけるカーツワイル氏の予測は、2018年現在時点から見れば、ごく当たり前のことを言っているようにしか聞こえないものもあります。たとえば、2009年の予測、「人々はおもにポータブル・コンピュータを使っている。」「ほとんどのポータブル・コンピュータにはキーボードがない。」といった予測などが挙げられます。これらの予測は瑣末で当然だとして、低い評価を下す人もいます。けれども、1999年時点ではこれらの予測は「ごく当然」であるとは言えなかったはずです。現在時点での知識を元に、過去の予測を「瑣末なものでしかない」と切り捨てることは避けなければいけません。

    何かが起こった後で、それは予測可能だったと考えてしまう傾向は「後知恵バイアス」と呼ばれています。
    一方で、また別の方向への後知恵バイアスも存在します。外れた予測に対して、「予測の方向性は正しい」、「本質的には正しい」という擁護がなされることがありますし、実際にカーツワイル氏の自己評価の中にもこのタイプの自己弁護が見られます。一例を挙げれば、2009年には「ほとんどの人が少なくとも10個のコンピューターを身につけており、それらは「ボディーLAN」でネットワーク化されている」という予測が挙げられるでしょう。この予測は、文字通りに捉えれば正しいとは言い難いものですが、「スマートフォンには10個以上の機能が搭載されているから、本質的には予測は正しいのだ」という擁護がされることがあります。

    けれども、時間の経過後でないと理解できず、後の時代において何らかの解釈を必要とする言葉は、将来予測として意義があるとは言えません。これもまた別種の「後知恵バイアス」であり、未来予測の帰結を評価する際には注意するべきものです。

  • あいまいさに注意を払う
    カーツワイル氏の予測を注意して読んでみると、予測のほとんどは定量的ではありませんし、「多くの」、「日常的に」といった量を表す修飾語や現在進行形が頻繁に用いられており、かなりのあいまいさが含まれています。
    実際、カーツワイル氏自身が発表した2009年時点の予測の振り返りの中でも、「メガネに組み込まれたコンピュータ・ディスプレイも使用されている。」という予測に対して、「私はこの種の技術が普及するとも一般的になるとも言っていない」という言い訳が使われています。これらの予測を都合良く解釈するのではなく、あいまいさが存在していたということを認識し明らかにする必要があります。

  • タイミングは重要である
    カーツワイル氏自身が何度も述べている通り、技術の未来予測において時期は非常に重要です。早すぎれば技術は普及せず、遅すぎれば利益を失います。また、失敗した予測に対して「今後実現する可能性がある」と言って時期を後倒しすれば、予測が外れたことを認めずいつまでも判断を先延ばしすることができるでしょう。
    特に、カーツワイル氏の予測手法において、そして「2045年にシンギュラリティを迎える」という予測などにおいても、テクノロジーの指数関数的な成長をベースとした方法を採っているため、方向性のみならずタイミングも予測成否に対する判定の重要な要素であると考えます。
    (ただし、2019年の予測はまだ「未来」のことであるため、私の判定自体にも予測が含まれます。約2年後の2020年時点で、もう一度予測の成否を判定してみたいと思います)


総合的には、以前にも取り上げたアームストロング氏が言う通り、未来予測もまたコミュニケーションであると言えます。未来の予測は、発表の時点で同時代の人々に理解され、何らかの行動や対策に繋げられてこそ意味があります。極端な例を挙げれば、ノストラダムスの謎めいた四行詩を後から解釈した「予言」のように、その時点では何を言っているのか理解できず、事象が起きた後でしか理解できない「予測」は無意味です。

端的に言えば、正確に予測を検証するためには、予測発表時点で読まれた通りに読む必要があります。