シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

翻訳:レイ・カーツワイルのあいまいな未来予測

この文章は、アメリカン・サイエンティスト誌の元編集長ジョン・レニー氏が、2010年11月にIEEE Spectrumのサイト上で発表したエッセイ"Ray Kurzweil’s Slippery Futurism"の翻訳です。 

レイ・カーツワイルのあいまいな未来予測

今日、もしも自分のコンピュータを探して見つけられなかったとしても、パニクらないでほしい。それは、テクノロジーの専門家であるレイ・カーツワイルが予測していたことであり、今年[訳注:2010年]コンピュータは小型化により消滅するとされている。2005年2月に、彼がTEDのカンファレンスで述べていた通りである。

2010年までには、コンピュータは消えるだろう。コンピュータはとても小さくなり、洋服や環境に普通に組み込まれている。映像は我々の網膜に対して直接投影され、完全没入型のバーチャルリアリティ強化現実 (オーグメンテッド・リアリティ) を生み出す。我々は仮想パーソナリティとかかわっているだろう。

もし、今現在の世界について違った印象を受けるというのならば、カーツワイルは自分の予測は技術的には正しいのだと言うかもしれない。もし世界の誰もがそれでは不十分だと考えるのならば、間違っているのは世界のほうなのだ。

もちろん、カーツワイルは全てのコンピュータが実際に消え去ると言うつもりではなかったのだろう。そうではなく、組み込みのマイクロプロセッサによって、以前はコンピュータだけが実行していた機能の多くが、携帯電話、タブレット、コンピュータ、そして自動車、洋服、キーホルダーにさえ普及するという意味だったのかもしれない。そしてある意味、2010年には実際にカーツワイルの予言の正しさが証明されつつあると言えるだろう。なぜなら、スマートフォンiPadはどこにでもあるからだ。

けれども、少し考えれば、カーツワイルの拡大解釈はさして意味のないものであると結論づけざるをえないだろう。その理由は、同種のデバイスは2005年に製品として既に多数存在していたからである。スタイラスを使ったコンピュータインターフェイスは1980年代ごろから存在し、マイクロソフト社は携帯とタブレット版のWindowsを2000年と2001年に発売している。スマートフォンPDAは1990年代半ばに登場した。ハンドスプリング社はPalmOS Treo*1を2002年に発売した。RIMブラックベリースマートフォンも2002年である。

ゆえに、カーツワイルの不明瞭な定義によれば、彼が舞台に立った2005年には、既にコンピュータは消え去っていたと言える。実際のところ、TEDの聴衆も類似のデバイスをポケットに入れていたかもしれない。「2010年までにコンピュータが消える」というレトリックが文字通りの解釈を意図していないなら、カーツワイルの主張は、本質的にはスマートフォンやの他のデジタルデバイスが、よりスマートに、小さくなり、もっと普及するということでしかない。これでは、高得点を与えられる予測とは言いがたい。

この点において、テクノロジー預言者としてのカーツワイルのブランドに対するフラストレーションが横たわっている。厳密に検証すれば、カーツワイルの最も明快かつ正確な予測は、たいていオリジナリティや深遠さを欠いている。そして、彼の予測の大部分にはとても多くの抜け穴があり、不正解との境界線上に位置していることもある。けれども、彼の言葉はテクノロジーの神託として真剣に受け止められ続けるだろう。高価なカンファレンスで高額の講演料を徴収し、ベストセラー本を執筆し、シンギュラリティ大学を運営するために。そこでは、企業のエグゼクティブなどがかなりの大金を支払って、消えつつあるコンピュータが人間を時代遅れにし不死身にする日に備える方法を学んでいるのだ。

レイ・カーツワイルの天性の才能には異論はない。彼はナショナル・メダル・オブ・テクノロジー、レメルソンMIT賞、そしてその他の国際的な栄誉・名誉学位を授与され、全米発明家殿堂入りも果たしている。高校在学中、彼はクラシック音楽家のスタイルで作曲するソフトウェアを書いた (それにより1965年にテレビゲームショー"I've Got a Secret"に出演している) 。彼は、どんなフォントでも読取可能な世界初の光学スキャナを発明し、更に初のCCDフラットスキャナと文章読み上げ用の音声合成機の作成を指揮し、視覚障害者向けのカーツワイル・リーディング・マシーンの開発に継がった。彼は世界中で使われている商用の音声認識システムを開発し、いくつもの会社を立ち上げ、ヘッジファンドも設立している。

けれども、発明の才に対する賞賛を集める一方で、カーツワイルはテクノロジーの未来予測者としても有名である (あるいは、悪名高い)。彼の予測は、ベストセラー本『インテリジェント・マシーンの時代 (The Age of Intelligent Machine) (1990)』『スピリチュアル・マシーンの時代 (The Age of Spiritual Machine) (1999)』『ポスト・ヒューマン誕生 (The Singularity is Near) (2005)』で説明されている。端的に言えば、これらの本では彼が発見した「収穫加速の法則」が説明されており、それはテクノロジーの進歩を支配するものであるという。カーツワイルの主張によれば、コンピュータの知能と他のテクノロジーは指数関数的な速度で進化していくため、真の人工知能、人間の不死、途方もないナノエンジニアリングの能力が、数十年以内に実現するのだという。1世紀以内に、テクノロジーは歴史の流れを技術的特異点に押し上げ、文字通りに想像を超えるできごとが起こるとされている。

カーツワイルは、たとえば、2029年までには研究者が人間の脳をリバースエンジニアリングし、人間と同等のAIが構築されると強く信じている。(彼は、コンピュータのパイオニアであるミッチ・ケイパーとこの予想に対して20,000ドルの賭けをしており、ロング・ベット・ウェブのサイトに掲載されている。) 神経科学者、AI研究者などは彼の予想に反論している。今日、そのような偉業を達成する方法についてはごくわずかにすら理解されておらず、それゆえ彼の時期予測は極めて非現実的であると言う。カーツワイルは、これらの反論を全て却下している。ムーアの法則と止まることのない加速するテクノロジーによって、間違いなく障害は溶け去っていくだろう、と。

カーツワイル自身の話によれば、テック企業のビジネスが失敗する主な原因は、意図した通りの製品を製造できなかったからではなく、タイミングが間違っていたからだと気付いたのだという。そのため、彼はテクノロジーの変化速度に関する研究を始めたのだそうだ。企業のイノベーションが市場に登場した時には、時期が早すぎたり、的はずれなものとなっていたり、あるいは他の人や物に市場を押さえられている、など。収穫加速の福音を広められるように、カーツワイルと起業家のピーター・ディアマンディスはカリフォルニアにシンギュラリティ大学を設立した。これは、9日間のエグゼクティブ・トレーニングのコース (費用は15,000ドル) と10週間の「大学院」の研究 *2 (費用は25,000ドル) を提供しており、指数関数的に進歩するテクノロジーを理解しマスターする方法を学ぶのである。

これら全ての事業は、カーツワイルのビジョンの信頼性の上に成り立っている。彼は20年前から予測を発表しているため、現在までの彼の予測の正確性を評価することは意味があるだろう。残念なことに、カーツワイルの予言を評価するのは、困難で論争的なものとなる。

カーツワイルの神託の卓越性に対する賛歌は、通常1990年の彼の本「インテリジェント・マシーンの時代」から始まる。本の中で、カーツワイルは公衆通信、商業、教育、娯楽のメディアとしてのインターネットの台頭を予測していた。「次世紀の初頭までには、パーソナル・コンピュータはポータブルなラップトップ型デバイスとなるだろう。それは、人と機械両方に対する携帯電話のテクノロジーもしくはワイヤレスコミュニケーションを搭載している。我々のポータブルコンピュータは国際的な図書館、データベースと情報サービスへのゲートウェイとなるだろう…」と彼は記していた。

世界銀行の推定によれば、1990年代にインターネットにアクセスしていたのはたった200万人であった。2000年までには、革新的かつ猛烈なワールドワイドウェブの台頭により、その利用者数は1億2400万人に増加した。これだけを見れば、カーツワイルの予測は宝石のように見えるかもしれない。しかし、いくつかの事実がその光沢を傷つけている。

第一に、1990年代に日常業務のためにコンピュータ・ネットワークを使用する社会を見ていたならば、将来を予測するために預言者である必要はない。フランス人であればそれを知っていただろう。フランス政府は、1981年に電話契約者に対してダム端末を無料配布し、有料のミニテル・オンライン情報サービス (あるいはビデオテックス) の利用を奨励していた。ミニテルを利用すれば、電話番号の検索、電車・飛行機チケットの購入、掲示板やデータベースの利用、メール注文を通した商品の購入などが可能であった。

「フランス人は、およそ300万台のコンピュータ・ターミナルを使って、電話番号の電子的な検索、あるいは「電子独身バー」なるものを通じて身知らぬ人とコミュニケーションを取ることなどに利用している。」1987年9月15日のアンドリュー・ポラックによるニューヨークタイムズの記事はそう報道している。

この記事は、アメリカ合衆国の現状に対する落胆から始まっている。「消費者がニュースを読んだり、自宅のコンピュータ上で支払いや飛行機の予約を取るといった電子社会のビジョンは、幻想的なものである。」 つまりは、カーツワイルの出版の3年前には、オンライン社会の到来を想像していた人が存在していたのである。のみならず、アメリカもオンライン社会にキャッチアップできるかどうか懸念を抱いていた人さえ存在していたのだ。とはいえ、1980年代後半までには、CompuServe、GEnie、Prodigy、Dow Jones News/Retrieval *3 や他の商用サービスが、メール、チャット、情報とエンターテインメントのサービスを利用者のパーソナルコンピュータに提供していた。それらは、特別なサービスを得るために1分毎に最大12ドルを喜んで支払う人のためのものではあったが。

1987年、ビデオテックス・インダストリー・アソシエーションは、およそ40種類のオンラインサービスが75万人の消費者に提供されていたと推定している。加えて、何百も、あるいは何千もの非商用の電子掲示板が、様々な興味を持った人々に電話回線を通して提供されていた。

これらのサービスがメインストリームで成功を収められなかった理由は、高いコストと技術的な難易度のためである。ポラックの記事は、業界紙インタラクティビティ・リポートの発行者であるゲリー・アーレンの言葉を引用し、ビデオテックスは「衰退しており、誰もが次のブレイクスルーを待っている」と述べられている。

そのブレイクスルーとは、ご存知の通りワールドワイドウェブである。WWWは、ティム・バーナーズ=リーが1989年に提案し、1993年12月に一般公開された。ウェブは、インターネットをより容易に、安価に、そしてより多数のユーザに対応できるように作り変えた。しかし、アーリーアダプター層の一般人は、それより数年前からオンラインサービスを渇望していたのだ。

1980年代のポップカルチャーの中にも、高度にコンピュータ化されネットワーク化された社会のビジョンには事欠かない。それらのほとんどは、ウィリアム・ギブソン1984年の小説『ニューロマンサー』にまで遡ることができるだろう。「サイバーパンク」シリーズの作品によって、「サイバースペース」という単語が一般化したのである。よく知られている通り、ギブソンが語るところでは、ニューロマンサーを執筆したとき彼はコンピュータについてほとんど何も知らなかったという。そのため、彼のビジョンはテクノロジーに対する深い洞察から得られたものではない。1982年の『ブレードランナー』や『トロン』といった映画、あるいはブルース・スターリングの1988年の受賞作『ネットの中の島々』や1989年の日本の漫画シリーズ 『攻殻機動隊』など、当時既に広まっていたアイデアを取り上げたにすぎないのだ。

カーツワイルの予測以前に、多くの人々が既にオンライン社会の発展を予期していたという事実は、彼の予測の信頼性を損なうものではない。けれども、彼のアイデアを独創的だと賞賛した場合、それ以前の全ての人の予測を過少評価することになりかねない。

カーツワイルは多くの予測を立てている。彼は1999年に『スピリチュアル・マシーンの時代』で大きく躍進を遂げた。この本には2009年の生活についての具体的な主張が含まれている。(そしてこれは始まりにすぎない。本書は2099年までのシナリオを提示し、更には今から1000年後、宇宙が知能で満たされる方法も想像している)

カーツワイルの予測はかなり正しい。けれども、一つ一つ取り上げてみると、明白に正しい予測にも多少ズレた文章が付属している。それはまるで魚眼レンズを通して見た世界の説明のようだ。

「時は2009年。人々はおもにポータブル・コンピュータを使っている。それは10年前のノート型よりはるかに軽くて薄い。コンピュータは、その大きさ形とも、さまざまな種類があり、」このようにカーツワイルは記述している。ここで文章が終わっていたら、誰にも異論はなかっただろう。しかし、次のように続く「洋服や、腕時計、指輪、イヤリングといった装飾品に普通に組み込まれている。高品位なビジュアル・インターフェイスを備えたコンピュータは、指輪、ブローチ、クレジットカードから薄い本のものまで、いろいろある。」更に、「ほとんどの人が少なくとも10個のコンピュータを身につけており、それらは「ボディーLAN」(ローカル・エリア・ネットワーク) でネットワーク化されている。」

本当だろうか? スマートフォン、音楽プレイヤー、さらにはICチップ搭載のクレジットカードも、マイクロプロセッサを含んでいるのだからコンピュータと見なすことにしよう。そして、これらは広い意味で洋服や、腕時計、指輪、装飾品と呼べるかもしれない。そうだとしても、何人がこれらの「コンピュータ」を少なくとも10個も身につけているだろうか? ブルートゥース接続の携帯電話とイヤホン以外に、どれだけの機器がネットワーク化されているだろうか? 「高品位なビジュアル・インターフェイス」はいくつあるだろう?

あるいは、カーツワイルが教育について述べている部分を検討しよう。彼は、教室におけるテクノロジーの役割が拡大すると正しく予測しており、遠隔授業や教育ソフトウェアのトレンドが進んでいくことも予想していた。しかし、彼はまた、「あらゆる年齢の学生が自分のコンピュータを所有」するとされており、それは「主に声と鉛筆に似たデバイスによってインタラクションする、重さ500グラム以下のコンピュータ」であるという。教師は「生徒のやる気 (モチベーション)、精神的安定、社会性といった問題にまず目を向けるようになっている」一方で、授業を担当するのはソフトウェアだという。これは今日の学校の姿の正確な描写だろうか?

また彼は、抗血管形成剤という抗腫瘍剤に対して10年前に大きな期待を寄せていたようだ。脚注には、1998年5月3日のニューヨークタイムズ紙の一面記事が示されている。これは、研究の将来性を過大評価していることでサイエンスライターの間では悪名高い記事である。彼の書籍の本文中の議論では、カーツワイルは単に抗血管形成剤が癌の軽減に有用であるかもしれないと示唆しているに過ぎない。しかし、カーツワイルが「モーリー」という架空の未来のインタビューアと会話している珍妙な章では、彼はモーリーに次のように言わせている。「ガンが減るっておっしゃってたけど、ちょっと説明が足りないと思うの。生物工学的治療、とくに腫瘍が必要とする毛細血管の成長を妨げる抗血管形成剤のおかげで、ほとんどのガンが撲滅されたわ。」カーツワイルの返事は「控えめな予言にとどめておきたかったんだ。」というものである。

日付の解釈についてある程度のブレを許容するのは公平であると思われる。しかし、その場合もカーツワイルの予測の正確さや間違いを定義するのは困難である。

しかし、カーツワイル自身にとってはこんな困難は存在しないだろう。彼は自分がどれくらいうまく予測できていたかを正確に知っているだろうから。昨年1月、同じくフューチャリストのミハイル・アニシモフは、自身のブログ「Accelerating Future」で、2009年のカーツワイルの予測のうち7つが間違っていると指摘する記事をポストしている。カーツワイルは、『スピリチュアル・マシーン』中の108件の予測のうち、たった7件だけの予測の誤りを取り上げるのは間違っていると反論した。

「私は現在これらの予測1件1件に対する分析を執筆しているところである。もうすぐ公開できるし、あなたにも差し上げたいと思う。」と彼は書いた。*4 「しかし、要約すれば、全体で108件の予測のうち、89件は2009年の終わりまでには完全に正しいことが分かるだろう。」他13件は、「本質的に正しい」つまり、これらの予測はあと数年以内に実現するだろうということだ。「他3件は部分的に正しく、2件は10年以上先のことであると思う。あと1つは、ともかく、心にもないことを言えば、間違いであった。」と彼は書いている。つまり、彼自身による評価では、正確性は94.4%であるということだ。

カーツワイルはまだ自己評価を公表していないため*5、彼の2009年の予測のいくつかをどう考えているのかは分からない。--たとえば、インテリジェントな道路による自動運転車、癌の減少、2019年までの株式市場と経済の連続的な成長など-- おそらく、これらは「心にもないこと」なのかもしれないし、彼はこれらを真の予測だと考えていないのかもしれない。さもなければ、これら全てが部分的に正しい、あるいは本質的に正しいと見なしているのかもしれない。読者自身が判断してほしい。

しかし、アニシモフが疑問視した項目に対するカーツワイルの自己弁護から考えると、彼の分析は批判者を満足させることはないだろうと思われる。たとえば、カーツワイルは2009年には三次元の半導体チップが一般的になると主張していた。「今日製造された半導体の多くは、実際に垂直積層技術を使用した三次元チップである」と彼は主張している。「明らかに、これはより広範なトレンドの始まりにすぎないが、しかし三次元チップは今日一般的に使われている。」

実際のところ、現在の三次元集積回路は極めてニッチな製品であり、DRAM、イメージセンサや少数のアプリケーションでの使用に限られている。フランス、リヨンのヨール・ディベロップメント社が実施した2008年の市場調査によると、2015年までに三次元デバイスがメモリ市場の約25%、それ以外の半導体市場の約6%を占めると予測されている。カーツワイルの言うとおり、今後数年間に三次元チップが広く普及するのは間違いない。しかし、現在既に普及しているという主張は、端的に誤りである。

また、カーツワイルは、コンピュータディスプレイが眼鏡に組み込まれ、ユーザの目に映像を投影するという予測を擁護している。なぜならば、このようなシステムは確かに存在するからだという。「この予測は、全てのディスプレイがこのようになるとも、多数を占めるとも、あるいは一般的であるとも主張しているわけではない。」同様に、「電話の翻訳ソフトウェアが「一般的に使われる」ようになり、異なる言語を通したコミュニケーションができるようになる」という主張について、2009年の終わりに登場したスマートフォンのアプリを取り上げて自身の主張を弁護している。どれほど「一般的」であるかについて、屁理屈を述べているようである。

「これまでのところ、私にはカーツワイルが正直に自身の誤りを認めていないように見える。私が思うに、彼がそうすることで利益を得ているからではないだろうか。」ブログ記事でアニシモフはそう指摘する。彼はカーツワイルを賞賛しているようだが、フューチャリストは自身の予測について責任を持つべきであるとも考えているようだ。

カーツワイルによる返信では、彼はフューチャリストとしての責任に賛同すると述べている。「しかし、このようなレビューはバイアスから自由で公平であるべきだ。選択バイアスを避け、言葉の用法と現在の現実の双方に対する近視眼的な解釈を避けるべきである。」それでも、アニシモフの反論を「近視眼的」と退け、法律家じみた字義解釈によって正確な言葉づかいをねじ曲げ、日常言語の意味に対するクリエイティブな解釈をもとに自身の主張を擁護することは困難であろう。

カーツワイルは開発中のテクノロジーについて熟知しており、テクノロジーがどのように相互作用しながら進んでいくかを深く洞察している。特に、短期的なトレンドについては正確である。彼は技術開発のトレンドを見極めており、その予測はとても刺激的だ。彼の話を聞き、また本を読む人々にとっては、おそらくそれで十分だろう。

一方で、ビジネスの失敗の主な原因はテクノロジー変化のタイミングを見誤ったことである、というカーツワイルの洞察が正しいのであれば、誰も厳密な意味で額面通りに彼の予測を受け取ることを望まないだろう。10年前の90年代中に、サイバネティック運転手やリアルタイム音声翻訳の普及に依存する製品やサービスを市場に投入しようと考えた人は、問題に陥っている可能性がある。

それでも、「収穫加速の法則」に対する揺るぎない自信によって、矛盾した事実や視点は一時的な不具合だと無視することができるだろう。1年後も、10年後も。永遠の真理によって支配されたテクノロジーの収穫加速が、その途中にある全てのものをなぎ倒し、人間の想像を超えたシンギュラリティへと進んでいくだろう。-- レイ・カーツワイルは、これまでも、これからも常に正しいのだ。

いずれにせよ、少なくとも今のところ、94.4%は。

*1:訳注:Palm Treo - Wikipedia

*2:訳注:シンギュラリティ大学は「大学」を名乗っているものの、大学として認定を受けていない私企業である

*3:訳注:全て、かつてアメリカに存在していたインターネット以前の商用パソコン通信サービス

*4:訳注:2010年10月にカーツワイル自身による予測の評価が公開されている。http://www.kurzweilai.net/images/How-My-Predictions-Are-Faring.pdf

*5:訳注:上述の通り、本記事公開後に公表された