ここまでカーツワイル氏のシンギュラリティ論に関する議論で、あらゆるテクノロジーが指数関数的に成長しているわけではないこと、指数関数的な成長が観察されているのは、ただ情報テクノロジーの隣接分野に限られることを説明しました。
けれども、「単独のテクノロジーが指数関数的に成長するわけではない」という事実自体は、必ずしもシンギュラリティ論に対する有効な反論ではありません。カーツワイル氏は、あるテクノロジーの指数関数的成長が停滞し始めると、新たなテクノロジーの「パラダイム・シフト」が生じて指数関数的成長が継続し、全体として見ればやはり大きな指数関数的な成長が続いていく、という法則性が見られると主張しているからです。
これが、カーツワイル氏が主張するシンギュラリティ説の根拠である「収穫加速の法則」です。
ただし、より正確に言うならば、「収穫加速の法則」において指数関数的に加速するとされているのは宇宙全体の「秩序」です*1。秩序が向上した結果として、そのアウトプットである情報処理テクノロジーの指数関数的成長が観察されると主張されています。けれども、カーツワイル氏は現象毎の「秩序」を量的に表現したデータを一切示していないため、ここでは秩序に関する議論は無視します。
まず、最初に「収穫加速の法則」の定義を確認しておきます。カーツワイル氏が初めてまとまった形でこの「法則」を提示した『The Age of Spiritual Machines (スピリチュアル・マシーン)』では、「収穫加速の法則」の定義は以下の通りに述べられています。
収穫加速の法則--秩序が指数関数に増加すると、時間は指数関数的に速くなる。(つまり、新たに大きな出来事が起きるまでの時間間隔は、時間の経過とともに短くなる)*2。
また、広義には「進化のプロセスにおける産物が、加速度的なペースで生み出され、指数関数的に成長*3」するという法則、あるいは、他のサイトやシンギュラリタリアンによる定義では「テクノロジーが指数関数的に成長していくという法則*4」、「科学技術の進歩は、(中略)時間の経過とともに次第にその速さを急激に増し続けて加速度的に、長い期間で見れば指数関数的に、その進歩を急速に加速させつづける*5」とも表現されています。
カーツワイル氏は、収穫加速の法則が適用されると主張する「ムーアの法則」を取り上げ、半導体トランジスタの処理速度だけではなく、それ以前のパラダイムである真空管や機械式計算機にまで延長しても、計算力において指数関数的な成長が起こっていることを示しており、半導体集積回路の指数関数的な計算能力向上が低下しても、更なる新しい何らかのパラダイムが生じ、全体として見れば指数関数的成長が今後も継続されると主張しています。
また、カーツワイル氏は、更に野心的に、生命誕生から人類への生物学的進化、人類の歴史的な事象とテクノロジーの開発にまで延長してみても、これと同等の指数関数的成長が見られると主張しています。カーツワイル氏が作成したグラフは両方の軸が対数で表現されており、1目盛進むごとに10倍の効率(1/10の時間)で新しい「パラダイム・シフト」が続いている、とされています。
カーツワイル氏は、この「収穫加速の法則」を元にして、未来のテクノロジーや社会の変化が指数関数的に進んでいくことを予測し、「2030年には人間の脳に匹敵する能力を備えたコンピュータが、1ドルで購入できるようになる」「無数のナノロボットを体内に取り入れた人体は、ついに永遠の寿命を手に入れる」そして、やがて人類の歴史が「シンギュラリティ」という点へと達すると主張しています。
けれども、1点指摘をしておくと、カーツワイル氏は著書『ポスト・ヒューマン誕生』の中で「収穫加速の法則」という言葉を複数の意味で用いており、この法則の意味するところは必ずしも明らかではありません。
次回のエントリでは、まず「収穫加速の法則」を議論するためにこの法則の定義を確認します。