シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

小鳥遊りょうさんへの返信 -「20世紀全体」と「2000年〜2014年」で等しい量

以下の私の記事に対して意見がありましたので、返信します。

この記事の中で私が検討したカーツワイル氏の主張は次の通りです。

わたしのモデルを見れば、パラダイム・シフトが起こる率が10年ごとに2倍になっていることがわかる。(中略) 20世紀の100年に達成されたことは、西暦2000年の進歩率に換算すると20年で達成されたことに相当する。この先、この西暦2000年の進歩率による20年分の進歩をたったの14年でなしとげ(2014年までに)、その次の20年分の進歩をほんの7年でやってのけることになる。別の言い方をすれば、21世紀では、100年分のテクノロジーの進歩を経験するのではなく、およそ2万年分の進歩をとげるのだ(これも今日の進歩率で計算する)。もしくは、20世紀で達成された分の1000倍の発展をとげるとも言える。

ここで、「わたしのモデル」と呼ばれているものは「収穫加速の法則」を指しています。カーツワイル氏が原著を発表した時点の2005年では、まだこの主張は未来の予測でしかありませんでした。けれども、発表後12年経過した2017年現在においては、既にこの主張は過去のものです。それゆえ、実証的な根拠にもとづいて、定量的に「収穫加速の法則」の成否に関する議論が可能であるはずだと考えています。

私は、人類のパラダイム・シフトの総量を間接的に推定できる量からは、この主張の成立は確認できないと述べました。

なお、私の立場を明確に述べておきます。私は、科学技術の進歩に対して反対するラッダイトではありませんし、現在でも科学技術は進んでいると考えています。ただし、その速度はカーツワイル氏やシンギュラリタリアンが主張するような指数関数的な速度ではない、と考えています。

 

 

実際のところ、私はこの種の「反論」に対する回答を既に述べています。

『ポスト・ヒューマン誕生』における「収穫加速の法則」という言葉の意味を整理してみると、大きく4通りの意味で使われていることが分かります。 (以下のページ数は全て日本語版『ポスト・ヒューマン誕生』におけるページ数を表わします。)

1. 単独のテクノロジーの指数関数的な成長 (p.87)
2. 拡張されたムーアの法則 (p.73)
3. 「パラダイムシフト」が発生する時間間隔の指数関数的な減少 (p.31)
4. 一定期間における「進歩量」の指数関数的な増大 (p.22)


カーツワイル氏 (あるいはシンギュラリタリアン) は、この4つの意味での「収穫加速の法則」を複雑に使い分け、ある1つの意味における「収穫加速の法則」に対する批判に対して、別の意味での「収穫加速の法則」を持ち出して再反論し、議論をはぐらかしている場合がしばしば見受けられます。

他のシンギュラリタリアンも、3や4の意味における「収穫加速の法則」への批判に対して、2の「拡張ムーアの法則」を取り上げて反論している場合があります。けれども、4通りの「収穫加速の法則」はどれも意味が異なっており、互いに同値ではありません。ムーアの法則が成立しているとしても、なお3、4の意味での文明論的な「パラダイム・シフト」の加速は起きないと主張することは十分に可能です。 

元記事で私が取り上げているのは(4)の意味の「収穫加速の法則」ですが、それに対する反論として小鳥遊りょうさんは(1)を挙げてしまっています。

個別のテクノロジーにおける指数関数的成長の事例をどれほど挙げようとも、なお「あらゆるテクノロジーが指数関数的に成長している」とは主張できませんし(帰納法に関する議論も参照)、なお人類文明全体の「パラダイム・シフト」が加速しているかどうか分からないからです。

 Youtubeの動画一つ一つが「科学技術」(あるいはパラダイム・シフト)であるという主張は私には納得しがたいです。結局のところ、この議論が不毛であるのは、カーツワイル氏の元の議論において、何ら「パラダイム・シフト」の定義がなされていないことが原因です。

 そして、私はここでは将来においてどうなるか、という議論はしていません。過去の定量的、実証的なデータにもとづいてカーツワイル氏の主張が成立するかどうかを検討しています。

 ここで、小鳥遊りょうさんは簡単に「合算する」と述べられていますが、実際のところ、単位も意味も異なる量をどのようにして合算するのか不明です。

 

 

私は、数理モデルをこねくり回す技術者ではなく、泥臭い現実の「もの」をこねくり回すタイプの技術者ですので、測定対象や数理モデルが現実世界において何に対応しているか、ということが気になります。
そこで、この数式の各項は一体何を表しているのでしょうか。私が求めていることは、Sやa1(t), a2(t), a3(t) をいかにして計算するかを定義し、その定義にもとづいた量が20世紀と2000年〜2014年で等しいことを示すことです。定義が無ければ、a1(t)やa2(b)が加算可能であるかどうかも不明です。(たとえば、「映像の録画時間」と「自動車生産台数」をどのようにして加算するのでしょうか。)

そして、更に付け加えるならば、その量は現在も成長が続いている必要があり、今度は2014年から2021年の間での量と等しい必要があります。このような量が存在するのか分かりませんが、おそらく存在しないだろうと私は考えています。それゆえ、人類文明全体の「パラダイム・シフト」が指数関数的に加速しているという意味での「収穫加速の法則(4)」は、最大限好意的な表現をすれば「証拠不十分のため、成立しているか不明である仮説」だと言えます。

結局のところ、この不毛な議論の存在自体が、以下の私の主張の傍証となっています。
「収穫加速の法則」は「法則」と呼ばれているわりには曖昧であり定量的ではなく、法則を証明、または反証・反論をするためにどのような定量的なデータを提示すれば良いのかが明確ではない、と感じています。

 

また、以下のツイートも私に向けたものであると捉えていますので、ここで取り上げます。

 私は多分、「収穫加速の法則」について「物理的限界がある」と述べてはいないはずです。(半導体微細化の限界に関する記事で微細化が物理的限界に達すると述べましたが)私の「収穫加速の法則」に対する批判は、次の記事で挙げた通りです。 

収穫加速の幻影

  • 「収穫加速の法則」自体の定義があいまい
  • パラダイム」の定義が恣意的である
  • 実証的に人類文明全体の指数関数的な成長が観察できない

 

 既に述べた通り、カーツワイル氏の『ポスト・ヒューマン誕生』の出版から12年が経過していますので、その間の予測については実証的に議論が可能です。未来の技術進歩の予測や、現在研究段階の技術については水掛け論になりがちですので、ここではカーツワイル氏の予測のうち、既にその時期が過ぎたものに絞って議論しています。それによって、カーツワイル氏の将来の予測の妥当性を判断するための手掛りが得られると考えています。

 

 無謬ではない不完全な被造物である私自身も、自分の主張が覆された場合には同様の否定をする可能性があることは認めましょう。その場合には指摘してください。けれども、今ここで議論しているのは、小鳥遊りょうさんが擁護しているカーツワイル氏の主張『「20世紀の100年」と「2000年から20014年まで」になしとげられる「パラダイム・シフト」の量が等しい』です。
私の眼からは、小鳥遊りょうさんはこの主張を根拠づけるデータを挙げることができないために、今現在においてまさに「収穫加速の法則」という信念と現実の認知的不協和に陥り、非論理的な詭弁を口にしているように見えます。
オウム返し、レッテル貼り、仮定にもとづいた決めつけによる私に対する人格攻撃をしても、何ら小鳥遊りょうさん自身の主張の正当性が高まるわけではありません。