以下の私の記事に対して意見がありましたので、返信します。
この記事の中で私が検討したカーツワイル氏の主張は次の通りです。
わたしのモデルを見れば、パラダイム・シフトが起こる率が10年ごとに2倍になっていることがわかる。(中略) 20世紀の100年に達成されたことは、西暦2000年の進歩率に換算すると20年で達成されたことに相当する。この先、この西暦2000年の進歩率による20年分の進歩をたったの14年でなしとげ(2014年までに)、その次の20年分の進歩をほんの7年でやってのけることになる。別の言い方をすれば、21世紀では、100年分のテクノロジーの進歩を経験するのではなく、およそ2万年分の進歩をとげるのだ(これも今日の進歩率で計算する)。もしくは、20世紀で達成された分の1000倍の発展をとげるとも言える。
ここで、「わたしのモデル」と呼ばれているものは「収穫加速の法則」を指しています。カーツワイル氏が原著を発表した時点の2005年では、まだこの主張は未来の予測でしかありませんでした。けれども、発表後12年経過した2017年現在においては、既にこの主張は過去のものです。それゆえ、実証的な根拠にもとづいて、定量的に「収穫加速の法則」の成否に関する議論が可能であるはずだと考えています。
私は、人類のパラダイム・シフトの総量を間接的に推定できる量からは、この主張の成立は確認できないと述べました。
なお、私の立場を明確に述べておきます。私は、科学技術の進歩に対して反対するラッダイトではありませんし、現在でも科学技術は進んでいると考えています。ただし、その速度はカーツワイル氏やシンギュラリタリアンが主張するような指数関数的な速度ではない、と考えています。
(1)「映像技術だけ」で、次の進歩が起こりました。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
1900年頃
(a) リュミエール兄弟が上映した動画の長さは1作品1分 × 10作品 = 10分
(b) 上映中に視聴可能な人数は数十人ぐらい(?)
(c) 上映してる時しか見れない
(d) 上映してる場所でしか見れない
(2) 2014年頃
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
(a') youtubeでは、毎分100時間分の動画がアップされる
(1年間で3,153,600,000分の動画)
(b') 視聴可能な人数(ネット人口30億人)
(c') 24時間365日見れる
(d') ネットさえ使えれば基本的にどこにいても見れる
(3) (a)と(a')を比較。10分→3,153,600,000分の変化(1900年頃の1年間を315,360,000回(3億回)繰り返したぐらいの総量)
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
(b)と(b')を比較。数十人→30億人(1億倍)
(c)と(c')を比較。延べ上映時間が分からないから比較できなかった
(4) (d)と(d')を比較。「人類が居住し一定の社会を形成し,経済生活を営み,規則的な交通を行っている生活空間」は、全陸地の88%。面積は約115億ヘクタール。ネット人口は30億人。よってネット可能面積を50億ヘクタールと仮定する。(d)と(d')で50億倍ぐらい違う。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
(5) テクノロジーのうち、映像テクノロジーだけを見ても、これぐらい進歩しています。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
実際のところ、私はこの種の「反論」に対する回答を既に述べています。
『ポスト・ヒューマン誕生』における「収穫加速の法則」という言葉の意味を整理してみると、大きく4通りの意味で使われていることが分かります。 (以下のページ数は全て日本語版『ポスト・ヒューマン誕生』におけるページ数を表わします。)
1. 単独のテクノロジーの指数関数的な成長 (p.87)
2. 拡張されたムーアの法則 (p.73)
3. 「パラダイムシフト」が発生する時間間隔の指数関数的な減少 (p.31)
4. 一定期間における「進歩量」の指数関数的な増大 (p.22)
カーツワイル氏 (あるいはシンギュラリタリアン) は、この4つの意味での「収穫加速の法則」を複雑に使い分け、ある1つの意味における「収穫加速の法則」に対する批判に対して、別の意味での「収穫加速の法則」を持ち出して再反論し、議論をはぐらかしている場合がしばしば見受けられます。他のシンギュラリタリアンも、3や4の意味における「収穫加速の法則」への批判に対して、2の「拡張ムーアの法則」を取り上げて反論している場合があります。けれども、4通りの「収穫加速の法則」はどれも意味が異なっており、互いに同値ではありません。ムーアの法則が成立しているとしても、なお3、4の意味での文明論的な「パラダイム・シフト」の加速は起きないと主張することは十分に可能です。
元記事で私が取り上げているのは(4)の意味の「収穫加速の法則」ですが、それに対する反論として小鳥遊りょうさんは(1)を挙げてしまっています。
個別のテクノロジーにおける指数関数的成長の事例をどれほど挙げようとも、なお「あらゆるテクノロジーが指数関数的に成長している」とは主張できませんし(帰納法に関する議論も参照)、なお人類文明全体の「パラダイム・シフト」が加速しているかどうか分からないからです。
まず、「論文発表数は指数関数的な成長が見られない」ということですが、論文発表数だけを見た場合、テクノロジーの総体の進歩を過小評価しすぎています(もちろん、これも”合計”する必要がある)例えば、youtubeの動画の一つ一つも科学技術ですが、それらは論文発表数には含まれません。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
Youtubeの動画一つ一つが「科学技術」(あるいはパラダイム・シフト)であるという主張は私には納得しがたいです。結局のところ、この議論が不毛であるのは、カーツワイル氏の元の議論において、何ら「パラダイム・シフト」の定義がなされていないことが原因です。
他にも数多くの論文化されないテクノロジーが存在します。また、論文発表数が現在、指数関数的な成長をしているように見えないのは当たり前で、まだ論文執筆作業が人間の生物的な生成能力に頼っているからです。この時点ではまだ線形性と指数関数性はデータを見ても同じに見えます。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
つまり、まだ情報テクノロジー化していないからであって、渡辺さんも認めているように論文執筆作業もAIが行なえるようになり、その時点で情報テクノロジー化され、指数関数性がはっきりと分かるようになるでしょう。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
そして、私はここでは将来においてどうなるか、という議論はしていません。過去の定量的、実証的なデータにもとづいてカーツワイル氏の主張が成立するかどうかを検討しています。
定量化可能なテクノロジーの一つを見るだけでカーツワイルの主張する進歩は起こっているので、他の個別テクノロジーの進歩を合算すると、それを超えます。よって、渡辺さんの「停滞論」よりも、カーツワイルの主張のほうが当たっていると言えそうです。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
ここで、小鳥遊りょうさんは簡単に「合算する」と述べられていますが、実際のところ、単位も意味も異なる量をどのようにして合算するのか不明です。
(1) それは違います。個別テクノロジーで全体を考えてよいかどうかは文脈によって決まりますから。渡辺さんの文脈では個別テクノロジー1つの停滞を論じるだけではダメで、この場合はすべての個別テクノロジーが停滞していることを述べる必要があります。その理由を次に述べます。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日https://twitter.com/jaguring1/status/897374992832135169
(2) 渡辺さんは僕と同じで技術者なので、数式を用いて説明させてもらいます。そのほうが渡辺さんにとっては分かりやすいと思います。まず、S(t) = a1(t) + a2(t) + a3(t)を考えます。a1(t), a2(t), a3(t)はそれぞれ単調増加し、時刻の関数とします
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
(3) S(t)がS(t + Δt)に変化した時の差分ΔS = S(t + Δt) - S(t) = { a1(t + Δt) -a1(t) } + { a2(t + Δt) - a2(t) } + { a3(t + Δt) - a3(t) } = Δa1 + Δa2 + Δa3
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
(4) ここで、Δa1とΔa2が未知で(仮に0であったとしても)、Δa3が増加していることが分かれば、ΔSは正と言えます。よって、この場合はΔa3(個別)に着目すれば、全体Sの増加は確実に言えます。このように全体を観察しなくても分かることはありますが、それは文脈次第です。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
(5) 一方、渡辺さんは「Δa1(t) (個別)を見て0だからSは増加していない」と決めつけているので、それは間違いです。渡辺さんの文脈では、個別テクノロジーの事例だけを取り上げてもダメなのです。この場合は、すべてのΔa_nを考察する必要があります。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
(6) なぜなら、どれか一つでもΔa_nが増加していたら、Sは増加してしまうからです。なので、渡辺さんの文脈では、すべての個別テクノロジーを取り上げる必要がありますが、僕の文脈では個別テクノロジーだけを取り上げるだけで次のことが言えます。「Sの増加はΔa3以上である」
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月15日
私は、数理モデルをこねくり回す技術者ではなく、泥臭い現実の「もの」をこねくり回すタイプの技術者ですので、測定対象や数理モデルが現実世界において何に対応しているか、ということが気になります。
そこで、この数式の各項は一体何を表しているのでしょうか。私が求めていることは、Sやa1(t), a2(t), a3(t) をいかにして計算するかを定義し、その定義にもとづいた量が20世紀と2000年〜2014年で等しいことを示すことです。定義が無ければ、a1(t)やa2(b)が加算可能であるかどうかも不明です。(たとえば、「映像の録画時間」と「自動車生産台数」をどのようにして加算するのでしょうか。)
そして、更に付け加えるならば、その量は現在も成長が続いている必要があり、今度は2014年から2021年の間での量と等しい必要があります。このような量が存在するのか分かりませんが、おそらく存在しないだろうと私は考えています。それゆえ、人類文明全体の「パラダイム・シフト」が指数関数的に加速しているという意味での「収穫加速の法則(4)」は、最大限好意的な表現をすれば「証拠不十分のため、成立しているか不明である仮説」だと言えます。
結局のところ、この不毛な議論の存在自体が、以下の私の主張の傍証となっています。
「収穫加速の法則」は「法則」と呼ばれているわりには曖昧であり定量的ではなく、法則を証明、または反証・反論をするためにどのような定量的なデータを提示すれば良いのかが明確ではない、と感じています。
また、以下のツイートも私に向けたものであると捉えていますので、ここで取り上げます。
カーツワイルは「収穫加速の法則は飽和するまで続く。飽和とは・・・」みたいな記述を残していたと記憶している。だから、反論として「物理的限界がある」と述べるだけでは不十分。カーツワイルも物理的限界があることは述べているんだから。なので、物理的限界はどの程度か?が議論の分かれ目になる。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月18日
私は多分、「収穫加速の法則」について「物理的限界がある」と述べてはいないはずです。(半導体微細化の限界に関する記事で微細化が物理的限界に達すると述べましたが)私の「収穫加速の法則」に対する批判は、次の記事で挙げた通りです。
- 「収穫加速の法則」自体の定義があいまい
- 「パラダイム」の定義が恣意的である
- 実証的に人類文明全体の指数関数的な成長が観察できない
「新しい技術をRTしてカーツワイルの意見を確かめてると、確証バイアスになるから宗教っぽい」って意見を何度も見てきた。でも、カーツワイルの予想は新しく生まれる技術に対するもの。それ確認しないとダメだろう。新しい技術を確認せずに、予想が正しいか外れたかを検証してる奴のほうがヤバいだろ
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月18日
既に述べた通り、カーツワイル氏の『ポスト・ヒューマン誕生』の出版から12年が経過していますので、その間の予測については実証的に議論が可能です。未来の技術進歩の予測や、現在研究段階の技術については水掛け論になりがちですので、ここではカーツワイル氏の予測のうち、既にその時期が過ぎたものに絞って議論しています。それによって、カーツワイル氏の将来の予測の妥当性を判断するための手掛りが得られると考えています。
「カーツワイルの予言が外れ、その熱心な信者ほどさらに宗教性を強めるだろう(認知的不協和理論)」みたいな、意見を何度か貰ったことがあるけど、その時に思ったのは「カーツワイルの予言は外れるに違いない」という予言が外れても同様のことが言えるだろうってことだった。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月18日
不誠実すぎて僕はあまり好きにはなれないけど、あえて不誠実に言うと「アンチ・シンギュラリティ教徒」の熱心な信者はカーツワイルの予想が当たっても、やはり色々と理由を付けて反論するのだろう。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年8月18日
無謬ではない不完全な被造物である私自身も、自分の主張が覆された場合には同様の否定をする可能性があることは認めましょう。その場合には指摘してください。けれども、今ここで議論しているのは、小鳥遊りょうさんが擁護しているカーツワイル氏の主張『「20世紀の100年」と「2000年から20014年まで」になしとげられる「パラダイム・シフト」の量が等しい』です。
私の眼からは、小鳥遊りょうさんはこの主張を根拠づけるデータを挙げることができないために、今現在においてまさに「収穫加速の法則」という信念と現実の認知的不協和に陥り、非論理的な詭弁を口にしているように見えます。
オウム返し、レッテル貼り、仮定にもとづいた決めつけによる私に対する人格攻撃をしても、何ら小鳥遊りょうさん自身の主張の正当性が高まるわけではありません。