シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

翻訳:Uber、ムーアの法則、テクノフィックスの限界 (カート・コブ)

この記事は、エネルギー・環境問題のジャーナリストであるカート・コブのブログ記事 "Uber, Moore's Law and the limits of the technofix" の翻訳です。

 

Uberはテック界に愛され続けている。個人用自動車とその所有者の未使用のキャパシティを認識したディスラプティブなスタートアップと見なされている。Uberは、携帯電話テクノロジーを使って世界中の都市でそのキャパシティを解き放ち、従来型のタクシーや公共交通機関を利用していたかもしれない顧客に安価な輸送サービスを提供したのだ。

スタートアップがたき火のごとく資金を燃焼させるのは当然のことだ。けれども、世界規模の企業となってから9年間経過して、Uberは未だに資金を燃やし続けている。直近の四半期では10億ドル、2017年全体では45億ドル[の赤字]である。

悲惨な財務状況にもかかわらず、なぜUberが投資家とテック界を魅了し続けられるのかを理解するためには、多少の背景知識が必要となる。テック界での支配的なメタファーは、ムーアの法則である。ムーアの法則は、半導体のパイオニアであるゴードン・ムーアにちなんで名付けられた。ムーアは2年毎に集積回路上のトランジスター数が倍増することを述べたのだ。この急速な進歩は、速度、メモリと計算力についてコンピュータの能力の急速な発展を導き、同時に価格も劇的に低下していった。携帯電話、カメラや他のデジタルデバイスなど、実質的に、あらゆる電子回路を搭載するものの性能でもこのような進歩が見られた。

ウィキペディアに書かれている通り、ムーアの法則は物理法則ではない; 単なる半導体業界の歴史的なトレンドの観察である。けれども、ムーアの法則は、我々の日常生活のデジタル化に対して広く影響を与えているため -- たとえば、携帯電話はパワフルに、カメラ付きのポータブルなミニチュアネットワークコンピュータとなった-- ムーアの法則は、テック業界によって現代社会に解き放たれた神秘的な力の一種であると信じ込んでしまう傾向があるようだ。

他の点では知的な人々が、半導体業界のようには機能していない日常生活の領域にムーアの法則と類似の法則を適用することにより、不可能を信じるまでに至った。テック起業家でありフューチャリストであるレイ・カーツワイルは、太陽光発電のエネルギー市場シェアが2028年まで毎年倍々に増加することにより、12年後に太陽光発電が世界のエネルギー生産を占めるようになると2016年に予想していた。そのときには、太陽光がすべての世界のエネルギーの100%を供給すると考えられている。

カーツワイルが引用しているのが2016年の電力市場のデータであり、液体燃料市場のデータではないということは脇に置くとしても、電力についてさえ彼の予測が実現する可能性は極めて低い。以前の記事で説明した通り、エネルギートランジションには時間を、長い時間を要する。歴史的には、苦痛なまでのゆっくりとしたペースでしか動かなかったが、それには理由がある。エネルギーインフラの長期の寿命、政治的な力と結びついた複雑な経済的利害、新たなインフラ建設に対する物資的・財政的な制約などが挙げられる。

ムーアの法則の誤用によって生じたまた別の事例としては、1990年代半ばに私がミシガン州立大学 [MSU] の大学院生であったときに起こった。MSUの最大のライバル、ミシガン大学は、インターネットテクノロジーと組み合わせたいわば「遠隔学習」を展開し、100万人の組織となるだろうことをアナウンスしたのである。私は懐疑的だった。

結果的に、2018年秋のミシガン大学の総入学者数は46,761名であった。ミシガン大学は、現在MOOC[大規模公開オンライン講座]と呼ばれるものを公開している。けれども、これらの講座は100万人を入学させるところまではまったく近づいていないように見える。

ではここでUberの話題に戻ろう。最初に指摘しておきたいのは、優れたアプリを作り、それをタクシーサービスに接ぎ木したとしてもテクノロジー企業が生まれるわけではないということだ。自動車は半導体ではなく、道路は電子回路ではなく、Uberのドライバーは電気エンジニアではない (少なくとも、それらの多くは)

我々みんなが住んでいる物理的世界には実際上の速度制限があり、その速度は光速度よりも著しく低い。Uberのドライバーは、アメリカで車に乗る人すべてが直面するのと同じ交通状況に直面する。それらのドライバーは、所与の交通状況に対する最適な経路を予測するソフトウェアを用いて、少しだけ優位に立てるかもしれない。それでも、そのような優位性は平均移動時間を、言うなれば半分に削減するような種類の改善ではない。単純に、(現在の制限速度に違反せず) 都市路上を安全に高速で移動することはできないのだ。

Uberが顧客の輸送のために所有している車両は少数であるけれども、その輸送ビジネスは実際のところ資本集約的である。単に、この場合の資本はほぼ完全にドライバーが所有しているというだけだ。Uberは、そのため、他の輸送サービスと同じく情報ベースの企業ではない。Uberは、何らかの新しい、革命的な都市間の旅客輸送方法を編み出したわけではない。直接的な競合企業と同じく、自動車ベースの企業である。(明らかに、他のライバルたちと同じく乗合バスや地下鉄と競合している。)

明らかに、典型的な自動車はそれほど多くの人を乗せられない。通常の場合、後部座席に3人、前部に2人の5人である。だから、サービスの拡大にはより多くの車とドライバーを必要とする。ここでは規模の経済はそれほど働かない。 (Uberが直面している問題の優れた分析としては、ニューヨークマガジン誌に掲載されたアイブス・スミスの最近の記事を読んでほしい。)

ここで、ボーモルのコスト病に簡単に触れておきたい。エコノミストのウィリアム・ボーモルは、生産性向上が低い、またはまったくない職業の労働者の賃金も、製造業のような生産性向上の高い分野の賃金上昇に沿って上昇していることを発見したのである。それらの生産性が低成長である分野には、芸術、教育、医療ケアや公的サービスなどが含まれる; 実際のところ、意義ある個人サービスが必要となるあらゆる分野が、おそらくボーモルのコスト病の対象となる。

ボーモルの結論によれば、もしも我々が社会としてそれらの分野で人々を働かせたいと思うのなら、彼らに対して充分な賃金を支払う必要がある。さもなければ、彼らは高賃金の生産性の高い職へと逃げてしまうだろう。プロの弦楽四重奏団の過去100年間の生産性成長率はゼロであるが、しかし100年前と同じ賃金でライブ演奏を提供しているわけではない。演奏者たちは、今日の妥当な生活水準と見なされる生活を送れるだけの支払いを要求する。そうでなければ、彼らは生活のために何か別のことをするだろう。

我々は、たとえば、オペラ楽団がチケットの売上のみでは成り立たないということを受け入れるようになった。民間の寄付であれ公的資金であれ、補助金が必要となる。けれども、それ以外の人間依存の職業では、少なくとも部分的には、ムーアの法則を満たすことができるという幻想が抱かれ続けている。また、確かに一部の職業は自動化から多大な影響を受けているものの、そのような職業の大部分であっても、タスクは部分的にしか自動化できないということが明らかになった。自動化は、人間に対する需要を代替することなく人間を支援するのである。

ATMを考えてみてほしい。ATMは多くのルーチン的な取引を行なえる。けれども、その開発から40年経過しても、未だに多数の銀行窓口係が存在しており、我々を手伝っている。

そこで、私はUberはテック企業ではないと結論付けたい。Uberは単にテック企業に偽装したタクシー会社である。ニューヨークマガジン誌でアイブス・スミスが述べた理由により、Uberが遠い将来にまで生き延びられる可能性は低い。

今のところUberの利点として言えることは、利用者に対して安価な輸送サービスを提供していることだろう。それは、投資家の資金を消費し、また自身の車のランニングコストをカバーするのにも不足する額しか支払われていないと理解していないドライバーを搾取することで成立しているのだ。(Uberの乗客を輸送する追加の職務の結果として、当然、車両を通常より早く買い替えなければならないだろう。)

Uberの乗客は、引き続き、安価な輸送サービスの利益を享受する可能性が高い。計画中の株式公開の間に、現在のUberの投資家が持つ株式を、猜疑心の薄い「より愚かな」投資家に売りつけるまでは。けれども、証券取引委員会 (Securities and Exchange Commission) が要求する監査のもとでそのビジネスモデルの欠陥が明らかになったときに、同社が引き続き投資を引き付けることができるとは思えない。そして、ひとたび追加投資が枯渇すると、投資家の残存資本のすべてと共に同社も消滅していくため、おそらくUberの利用者は短期間のうちに別のどこかで輸送サービスを見つけることを強いられるだろう。


 

上記記事から参照されている、ニューヨークマガジン誌の記事も興味深いです。

 

記事の一部を引用・翻訳。

The only advantage Uber might have achieved is taking advantage of its drivers’ lack of financial acumen — that they don’t understand the full cost of using their cars and thus are giving Uber a bargain. There’s some evidence to support that notion. Ridester recently published the results of the first study to use actual Uber driver earnings, validated by screenshots. Using conservative estimates for vehicle costs, they found that that UberX drivers (...) earn less than $10 an hour. They would do better at McDonald’s.

Uberが達成した唯一のアドバンテージと言えるのは、ドライバーの財政的な洞察力の欠如を活用していることだ — ドライバーは、自身の車を使用するコストすべてを理解しておらず、それゆえUberに有利な取引をしている。この考えを支持する根拠もある。Ridesterは最近、実際のUberドライバーの報酬について初めての調査結果を公表した。結果はスクリーンショットにより検証された。控え目な車両コストの見積りを使用しても、UberXのドライバーは時給10ドル以下しか稼いでいないことが判明した。マクドナルドで働いたほうが良いかもしれない。