シンギュラリティ教徒への論駁の書

«Il n'y a rien qui ressemble plus à une exponentielle que le début d'une sigmoïde.» —Yann LeCun

人工知能と天然知能の違い

これまで何度か述べてきた通り、私は必ずしも「人間と同様の知能を持つ人工物」が不可能であるとは考えていません。けれども、人間と同様の知能を持つ「人工物」は、おそらく現在の「コンピュータ」ではなく、また、それが実現されるまでには現在想像されているよりも長い期間を要するでしょう。

これまでの人工知能研究が、なぜヒトと同等の知能を作り出せていないのかという問題は、回答が非常に難しい問題です。けれども、人間と同等の人工知能を作成するために必要であると考えられ、また、現在の人工知能研究ではあまり着目されていないと思われる点を三点挙げたいと思います。

 

まず、人間は後天的に得られる情報だけをもとにして学習しているわけではないということです。

精神転送に関する連載の中で、生後数日の新生児にすら人の顔を認識し識別する能力が備わっていることを示した研究を紹介しました。あるいは、母語獲得の過程において、子供が耳にする言葉は比較的少数の事例であり、また必ずしも周囲の大人から正解と誤りの事例を明示的に示されるわけではありません。それでも、子供は (何らかの障害が無ければ) ほぼ必ず正しい言語を習得することができます。五歳の子供ですら文法的な正しさと誤りを区別し、外国人の言語学習者が犯す間違いを指摘することが可能です。一方で、機械翻訳システムは人間が一生のうちに聞いたり読んだりする言語をはるかに越えた大量の事例をインプットされていますが、それでも不可解な間違いを犯すことがあります。

イマヌエル・カントは、「人間の心は時間や空間の枠組みを(少なくともいくらかは)アプリオリに持つ」ということを指摘しています。人間の知能は、進化の過程で獲得された本能的な能力に根差しています。この本能的な能力の原理が部分的にでも解明されない限りは、あらゆる面で人間を越える人工知能の実現は難しいのではないかと思います。


次に、人間の知能は自身の状況や思考、あるいは知能そのものに関するメタな認識を持つことができるということです。

私たちは普段、歩き方を意識せずとも無意識のうちに歩行しています。けれども、滑りやすい氷の上や不安定な山道を歩く際には、「歩く」というプロセス自体に注意を向け、次にどこに足を置くか、足に対する体重のかけ方をどのように移動させるかを検討して、意識的に歩行することができます。

人間がメタな認識を持つことができる対象は、身体的な運動に限りません。人間は自身の精神的活動、思考そのものに対しても再帰的に思考することができます。自分の記憶や能力といった単純なものから複雑な問題解決の推論の過程に至るまで意識的に注目することができ、それを言葉で説明することもできます。

この種のメタ認識には、おそらく「意識」と呼ばれる人間の精神活動が密接にかかわっています。人工知能が知識や記憶を統合的に処理し、一度学習した結果を別の領域で使用できるようになるためには、人間の持つ意識の機能が部分的にでも解明され、知識や知能そのものに対する認識がどのように生じているかを理解することが必要となると考えています。


最後に、人間の知能は他の知能を持つ主体との関わりの中でも発揮されるということです。

近年の「人工知能」研究では、ボードゲーム、画像認識、音声認識や自動運転など、抽象的な思考能力や外界の物に対する認識や相互作用が研究の対象となることが多いようです。けれども、私たちが日常で「知能」や思考能力を使用する場面は、抽象的な思考や外界の物体との関わりだけではありません。職場や家庭において、他人の意図や感情や知性や知識を推測しながら他人と会話し、お願いごとをしたり協力したりしているのではないでしょうか。つまり、人間は他人も自分と同じような心と知能を持っていることを認識し、自身の立場だけではなく他人の立場に立って考える能力を持つということです。

この種の他人の心や知能を推し量る能力も、進化の過程において、他者と協力し、あるいは支配し、時には騙したり裏切ったりすることを通して培われてきたと考えられます。「他者の意図を推測する能力」は、特に真の意味で言語を理解するためには必要不可欠な能力です。

 

以上の三点、すなわち、人間の本能に根差した知能、知能に対するメタ認識と他者の知能との相互作用が、真に人間らしい人工知能を作るためには必要になると考えています。もちろん、私は上記のことが人工物には原理的に永遠に不可能だと主張しているわけではありません。けれども、従来の機械学習手法の延長で上記の問題が解決できるとは考えにくいでしょう。

少なくとも、人間がこれらの問題に対してどう対応し、解決しているのかが解明されない限りは、人間を全般的に越える人工知能の実現は難しいだろうと考えています。