シンギュラリティ教徒への論駁の書

"Unending exponential growth? What drugs are those people on?" - Linus Torvalds

カーツワイル氏による科学論文の不正確な引用

以下はイギリス、シェフィールド大学物理学科教授リチャード・ジョーンズ氏のブログ Soft Machines の記事 "Brain interfacing with Kurzweil" の翻訳です。

シンギュラリティ大学におけるレイ・カーツワイル氏のやや誇張された計画について [訳注:ジョーンズ氏の過去記事コメント欄にて] 進行中の議論において、私はもう一度彼の本『シンギュラリティは近い』を読み返すように薦められた。また、ダグラス・ホフスタッター氏のやや侮蔑的なコメント、ガーディアン紙上で公表され私も以前の記事で引用した文について、その全ての文脈を見返すようにも薦められた。ホフスタッター氏の発言は、このインタビューで読むことができる。[リンク切れ]

 

「それは確実で優れたアイデアと狂ったアイデアの奇妙な混合物である。まるで、素晴しい食事と犬の排泄物を混ぜ合わせ、何が良くて何が悪いものであるか見分けられないようにしたもののようだ。それはゴミと良いアイデアの密接な混合物であり、その2つを分離することは非常に難しい。なぜならば、彼ら [ハンス・モラベックとレイ・カーツワイル] は賢い人たちであり、馬鹿ではないからだ。」

 

もう一度この本を見返してみると、ホフスタッター氏の指摘は適切だったということは明白である。難点の1つは、カーツワイル氏は現在の科学技術開発を数多く参照していることであり、ほとんどの読者はカーツワイル氏の技術開発に関する説明が正確であると信じていることだろう。しかし、あまりにも頻繁に、カーツワイル氏が論文から引き出した結論と、実際に論文が述べていることの間には大きな乖離が存在しているのだ。

これは、以前私の記事で説明した「約束の経済 (The Economy of Promises)」の極端な事例であろう。つまり、「将来のあいまいな可能性が、近い将来における確実な結果へと変換されてしまう」というプロセスである。

ここでは、ランダムに選択したものではあるが、重要な例を挙げよう。

 

カーツワイル氏の予測において、2030年には(私の版ではp.313) [日本語版 『ポスト・ヒューマン誕生』p.404]「ナノロボット・テクノロジーは、現実そのもの、完全に見る者を取り込むヴァーチャル・リアリティ空間を作りだす。」と予測されている。この予測の根拠は何だろうか。「既にニューロンと双方向で情報伝達する電子デバイスを作る技術があり、それは直接ニューロンと物理的に接触する必要はない。たとえば、ドイツのマックス・プランク研究所の科学者が開発している「ニューロントランジスタ」は、近くのニューロンの発火を検出するか、あるいは、発火を起こしたり抑止したりできる。これは、電子工学に基づいたニューロントランジスタニューロンの間での双方向の情報伝達に等しい。」

この主張には脚注が記されており、科学文献に対する印象的な参照が示されている。唯一の問題は、参照された文献を読まないことには、カーツワイル氏が述べていることと、研究者が実際に行なったことが食い違っていると理解できないことだ。

「マックス・プランク研究所の科学者」とは、ペーター・フロムヘルツ氏を指している。彼は、神経細胞と電子デバイス -正確には電界効果トランジスタ(FET)- とのインターフェイスを積極的に研究している。私はこの研究について以前の記事 -脳チップ- で議論した。カーツワイル氏が引用している論文は、ウェイス氏とフロムヘルツ氏によって発表された論文である。(アブストラクト)

フロムヘルツ氏の研究では、確かにニューロントランジスタの双方向伝達が実証されている。しかし、明らかに、これはニューロンとの物理的な接触を必要としない方法ではない。ニューロンは、FETのゲートと直接接触している必要がある。また、これはin-situ [対象のトランジスタ上その場] でニューロンを培養することによって実現されている。つまり、この方法は特別に培養された2次元のニューロン網のみにしか使用できず、実際の脳に適用できる方法ではない。この方法がin-vivo [生体内] で機能するかは実証されておらず、実際にこの方法を生体で検証することも非常に困難だろう。

フロムヘルツ氏自身が述べている通り、「もちろん、バイオ電子ニューロコンピュータと電子的人工神経の夢想的な希望は避けがたいもので、また刺激的なものでもある。しかし、われわれは多数の実際的な問題を無視してはならない。」

(後略)

 

もちろん、カーツワイル氏は研究者ではなく、また彼の本は科学論文ではなく将来の予測と夢を記述したものであるため、論文の引用が不適切であるからといって直ちに信頼性が失なわれるということはありませんが、この主張がやや誇張めいたものであることは明白でしょう。

実際のところ、私自身でさえ、この種の恣意的で不正確な科学論文の引用による被害を受けたことがあります。

ネット上の有象無象の (消極的) シンギュラリタリアンから吹っかけられる議論を読んで私が奇妙に感じるのは、彼らの多くが自分自身で研究開発を進めるどころか公表された研究成果に自身でアクセス・読解し、調査する最低限の科学的素養すら欠いており、そもそも実際の科学技術研究のあり方と方法論に対してあまり関心も敬意も払っていないように見えることです。

おそらく彼らは、自分の希望的観測を満たす妄想の材料としてしか科学技術を見ていないのだろうと感じられます。