シンギュラリティ教徒への論駁の書

シンギュラリティは宗教だ!

ムーアの法則には既に意味はない

前回のエントリでは、「ムーアの法則」の定義を確認し、半導体業界による「プロセスルール」の微細化はこの法則を論じる上では不適切な値であることを述べました。

 

ムーアの法則を「トランジスタの集積密度の指数関数的向上」という意味として捉えるならば法則は近年に至るまで成立し続けていると言えますが、けれども、2000年代〜2010年代には「トランジスタ集積密度の向上」自体は「プロセッサの性能向上」や「コスト低下」に繋がらなくなっています。つまり、ムーアの法則は現在でも成立しているものの、性能とコスト効率という実際上重要な指標において、法則は既に意味を成していないということです。

そもそも、なぜ微細化が半導体の性能向上をもたらしてきたのかと言うと、デナードのスケーリング則が働いてきたからであると言えます*1。この法則は、(MOSFET)トランジスタのサイズが1/kになれば、速度はk倍、面積密度はk^2倍、消費電力は1/k倍となることを述べるものです。

やや単純化してスケーリング則の原理を述べると次のように言えます。トランジスタは、たとえて言えば電気を溜めたり放出したりできる微小なスイッチであると言えます。スイッチ自体のサイズが小さくなれば、充電や放電に要する時間や信号の伝達距離はサイズに反比例して減少し、同じ面積に詰め込める電池の数はサイズの二乗に比例して増大します。それゆえに、微細化が進めば処理速度は向上し、同じ面積の中に複雑な回路を集積することができ、消費電力が低下することによりコストが低下していったのです。

2000年代の半ばごろまでは、スケーリング則は完全に成立しており、微細化が性能向上と消費電力減少をもたらしていました。けれども、現在ではスケーリング則は破綻しており、微細化がもたらすメリットは低下しています。

この頃から、微細化が進んでも消費電力を減らすことができないため、電力制約により動作周波数を向上させることが不可能となりました。2000年代中盤は、ちょうど半導体メーカーが単独コアの性能向上を諦めマルチコア化を進めていった時期に対応します。けれども、マルチコア化を進めると1コアあたりの面積が減少するため、コア毎の性能は低下します。また、アムダールの法則から予測される通り、並列処理を進めても性能向上の余地は限られます。つまり、性能の意味ではムーアの法則は既に意味を失なっていると言うことです。

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また、1ドルあたりのトランジスタ数は、28nmプロセス以降減少しています。つまり、コスト効率は微細化に伴って悪化しています。もう一度強調しておくと、将来予測値ではなく実測値であり、既にコスト効率が悪化したということが示されています。
国立情報学研究所佐藤一郎教授によると、半導体工場の設備投資に要する費用が企業1社の体力で投資できる額をはるかに超えてしまい、市場規模を考慮すると、スマートフォン程度しか最新技術で作られたプロセッサを利用できない可能性があると言われています*2。 既に述べた通り、物理的・技術的理由ではなく経済的な理由による指数関数的な成長の鈍化がここでも観察できます。

ムーア氏は、やや冗談めかして「第二のムーアの法則」を提唱しています。いわく、ファウンドリー (チップの製造工場) のコストは4年ごとに倍増する、と。実際、ファウンドリーの建設費用は現在では1000億円 (10億ドル) 単位の投資が必要であり、次世代プロセスでは1兆円を超えるでしょう。この規模の設備投資を投げられるのは、世界でもごく少数の企業 (台湾TSMC, 韓国Samsung, 米国Intelなど) に限られます。以前、「成果増大に関するプランクの原理」を取り上げ、指数関数的な成長には指数関数的なコスト増が伴うことを指摘しましたが、これはムーアの法則にも同様に適用できます。

 

ここまでの議論をまとめます。トランジスタの微細化が進み集積密度が増加することのメリットは、プロセッサ性能とコスト効率が向上することにありました。けれども、近年では、微細化・高密度化と性能向上・コスト低下の間には、かつてほどの因果関係は存在しません。トランジスタの微細化と高密度化はまだしばらくの間は続くでしょうが、経済的な意味においては、既にムーアの法則はその意味を失なっていると言えます。

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