直前の2節で、私は「脳の再現」と「機械学習」の手法による人工知能の実現の可能性について検討してきました。もちろん、汎用人工知能 (ヒトと同等の人工知能) を作成するためのアプローチは、この2つのみではありません。近年では、ある程度大まかに脳の核部位の機能を機械学習器によって模倣したモジュールを作成し、個々のモジュールを結合することによって人工知能を実現するアプローチが提案されており、世界中で盛んに研究が進んでいます。
本論では私は、この種のアプローチの有用性と限界と将来性について詳細に述べるつもりはありません。私自身がこの分野の専門ではなく知識が無いということもありますし、未だ存在しない未来技術の特性と限界について考察することは難しいという理由もあります。更には、既に何度も述べている通り、私は原理的な汎用人工知能の実現可能性自体は否定していないからです。そして、未知の事象や技術について研究する真摯な科学的営み自体を否定したり批判したりすることは、本論の目的でもないからです。
人工知能研究者の主張と予測はやや楽観的すぎる傾向がありますが、現代の研究資金配分に対する競争的な制度のもとでは、研究者が自身の研究の有用性と将来性を (嘘ではない範囲で) 過大に宣伝することは、褒められた行為ではないにせよ、強く非難するべきことでもないと考えています。
私がここで批判しているのは、本当のテクノロジーについて知る努力もせず技術進歩と未来に対して希望的観測を投影する無知蒙昧な愚か者どもと、自分ですら信じていない嘘を口にすることで研究資金、投資や注目を得ようとする詐欺師と扇動者だけであるということは、明確に述べておきたいと思います。
さて、公平のために述べておくならば、人間と同等の汎用人工知能が実現されるまでの時間予想について、カーツワイル氏を擁護する人は決して少数ではありません。2010年に人工知能の専門家に対して行なわれたインタビューでは、ここ10〜20年の間に汎用人工知能が実現できると考えている人も多く存在していることが示されています*1。
ただし、別の調査では、過去の専門家による外れた予測においても、予測時点から相対的に20年後程度の未来の人工知能実現を予測していたことが述べられています*2。
ウーバー社傘下のAIベンチャー、ジオメトリック・インテリジェンス社の共同創業社である認知心理学と脳科学研究者、ゲイリー・マーカス(Gary Marcus)氏はこう述べています。
「この世紀の終わりまでには、機械はおそらく我々人間よりも賢くなるだろう——チェスや雑学クイズだけでなく、数学や工学から科学や薬学までのあらゆることについて*3」
概して言えば、短期的な人工知能の実現可能性について、コンピュータ科学者は楽観的である傾向があり、認知心理学者、生物学者、脳科学者や哲学者はやや懐疑的である傾向が多いようです。いくつかの有用そうなアプローチはあるものの、研究者コミュニティで合意された人工知能の作り方に関する理論はなく、何が一番大きな問題であるのかについても研究者間で意見の相違が存在しています。
私自身の率直な感想を述べるなら、人工知能の将来予測は壮大な水掛け論でしかないという印象を受けます。
人工知能の楽観論者は、脳のシミュレーションは細部まで生物学的に忠実に模倣する必要は無い、と主張しています。飛行機は鳥のように翼を羽ばたかせはしないではないか、と言うのです。すると、懐疑論者は、「翼とプロペラ」を作れるほど、知能に対する「航空力学」はまったく理解できていないではないか、と指摘します。いやいや、ライト兄弟は高校を中退した無学な自転車屋で、高度な数学と航空力学など頼らなくとも、実験に基いてともかく作ってみるというアプローチで飛行機を作ったではないか。脳に似せた機械から知能が創発する可能性は、作ってみなければ否定できないだろう、と楽観論者は更に反論するでしょう。実際のところ、議論は延々と平行線を辿っています。
結局のところ、人工知能の実現可能性を判断するためには、クラークの第二法則が述べる通り、研究を続けていく以外にないのだろうと私は考えています。