シンギュラリティ教徒への論駁の書

"Unending exponential growth? What drugs are those people on?" - Linus Torvalds

人間に似た人工知能は、人間と似た制限を持つ(のでは?)

既に繰り返して述べている通り、私は「人間と同等の知能を持つ人工物」を実現することが不可能だと示されているわけではないことは肯定します。ただし、その「人工物」が実現されるまでには、現在喧伝されているよりも、ずっと長い期間を要するだろうと考えています。

 

改めて、カーツワイル氏は『ポスト・ヒューマン誕生』において、汎用人工知能の設計と実装について、何ら具体的な指針や方針を示していないということは指摘しておきたいと思います。以前確認した通り、カーツワイル氏は、拡張ムーアの法則に基いた計算力のコスト効率の指数関数的な向上と、脳の機能の一部をシミュレーションするために必要な計算力から、汎用人工知能が作成可能となる時期を2029年と見積っていました。それ以外には、出版当時研究されていた機械学習の手法をいくつか挙げ、これらの方法を使うことで人工知能が作れるかもしれない、と推測を述べているのみです。

けれども、狭義のムーアの法則は既に破綻していること、脳の非侵襲スキャンとリバースエンジニアリングは、必ずしもカーツワイル氏の予想する通りの指数関数的成長を示しているわけではないこと、更には計算力向上と知能の間に直接的な因果関係が存在しないことは、既にここまで私が指摘してきた通りです。それゆえ、汎用人工知能が実現されるまでには、おそらくカーツワイル氏の予想よりも長い時間を要するでしょう。

私は、現在のノイマン型コンピュータでヒトと同等の人工知能を実現することは、コスト効率と規模の面から現実的には困難だろうと信じています。


それでは、非ノイマン型コンピュータ、つまり、現在のコンピュータとは根本的に異なる原理で計算を行なうコンピュータであれば、ヒトと同等の知能を持つ機械ができるのではないか、という指摘があるかもしれません。実際に、2014年には、IBM社が「TrueNorth」という半導体チップを開発したことを発表しています。これは、人間のニューロンの働きをハードウェア的に (緩く) 模倣した「ニューロモーフィックチップ」と呼ばれる半導体です。

この種のアプローチを更に進めて、人間に類似したウェットなハードウェアを作ることができれば、人間と同等の知能を持つ機械が作れるだろうという主張があります。このようなハードウェア技術は、未だサイエンス・フィクションかせいぜいが概念実証の範疇を出ないものですが、一種の思考実験としてここで取り上げてみます。

確かに、機械論の立場を取る限り、人間の脳とまったく同等のコピーを (ハードウェア的にであれソフトウェア的にであれ) 作ることができれば、原理的には人間と同じ知的能力を持つ人工知能が作成できることは否定しません。そして、ヒトの脳の完全な再現ができなくとも、いくらかそれに類似した機械が人間と似た知的能力を発揮できる可能性は十分にあると考えられます。けれども、この種の未来技術の想像が持ち出される場合には、意図的に無視されている論点があります。人間に似た人工知能は、人間と似た制限を持つかもしれないという可能性です。

人間の天然知能は、ごくわずかな食料でも動作することができ、エネルギー効率の点で優れています。けれども、人間の知能には特有の欠点と制約が存在することも事実です。

  • 連想記憶や事象の間の関連性を発見することには優れるものの、ものごとを正確に記録し再現することには不向きである
  • 言語を用いた情報伝達ができるものの、情報処理と記憶にはハードウェア的な処理とソフトウェア的な処理が混合されており、外部から容易に記録を読み出したり書き込んだりすることができない
  • 直感的な状況把握や計画には優れるものの、論理的な思考や大量のデータの統計的処理は不得手である
  • 有用な活動に従事できるようになるまでに、10〜20年の育成、教育と訓練を必要とする

未来の技術にどれだけの可能性があるのか、現時点で明確に予測することは困難です。同様に、未来技術にどのような制約があるのかについても、現時点で実証的に明確に述べることは困難でしょう。人間に似せたハードウェアは、上で挙げたような人間に似た制限を持つ可能性は否定できません。更に言うならば、あえて人間と同等の能力と制約を持つ機械をわざわざ作り出すメリットは薄いように感じられます。人間を人工的に再現するのではなく、生物的に人間そのものを生み出すための方法は、既に太古の昔から存在しているからです。

結局のところ、人間が持つ知能と機械が持つ知能は種類が異なるものです。この種類の違いは、制限ではなくむしろ特長として捉えるべきです。また、人間と機械の知能は異なるものであるため、単純な優劣の比較には意味がないと言えるでしょう。