シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

感想文: AI vs. 教科書が読めない子どもたち

「東ロボくんプロジェクト」と「リーディングスキルテスト(RST)」で一躍時の人となった感のある新井紀子氏の新刊。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

実を言えば、この本はあまり紹介するつもりはありませんでした。話題の書であるためわざわざ取り上げるまでもなく、著者本人による内容紹介も他の人による書評もあちこちで出ていますし、何より私は新井先生をシンギュラリティ懐疑論者のライバルだと思っているので(笑)

とはいえ、一応私の「感想」を散漫にまとめておきたいと思います。詳細な内容紹介や書評は別の方に譲ります。

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前半部分は、コンピュータに東大入試問題を解かせる「東ロボくんプロジェクト」の報告をベースにして、現在のAI技術と機械学習に関する解説を行なっています。

シンギュラリティ懐疑論としての議論は簡潔かつ妥当で、説得力のあるものだと思います。たびたび出てくる『この「だから」は論理的ではありませんが』という言葉には笑ってしまいました。

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私が思うに、著者が断固たるシンギュラリティ懐疑論者となったのは、2016年の内閣府タスクフォース*1での齋藤元章氏との接触がきっかけではないかと思います 。その点を考慮すると、本書の説明は「現状の技術の延長線上にシンギュラリティはない」ことの説明になっていても、齋藤氏が唱えるシンギュラリティ説 (と、そのベースになったカーツワイル氏の説) を正面から捉えた反論にはなっていないと感じました。

収穫加速の法則、つまり『「パラダイムシフト」なるものが指数関数的に加速するため、将来、現時点の想像を超えた新しい技術が開発される速度が上がる』という仮定が齋藤・カーツワイル説の核心であるからです。もちろん、彼らの言う「収穫加速の法則」にも「パラダイムシフト」にはまったく定義も根拠もなく、そもそも実証的な議論の対象にすらできない主張であるのは確かです。一方で、この種の与太話が注目を集め、産業界の投資や科学技術政策にすら若干の悪影響を及ぼしている現状を考えると、やはり発信力のある方にこの主張をきちんと論駁してほしいと感じました。

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本筋とまったく関係ないですが、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』、『自動人形の城』などの川添愛氏がオントロジーの作成で東ロボくんプロジェクトにかかわっていたそうです。

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後半部分では、小学生から高校生の読解力を測定した「リーディングスキルテスト(RST)」の手法説明とその結果の考察、および労働の将来に対する警告が論じられています。(むしろこっちがメイン)「読解力」はとらえどころがなく、分からないことも多いけど、分からない能力を測定するための実態に即した手法を作り出し、エビデンスをもとに着実に論考を進めていく流れはとても面白いものです。

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たぶん、著者は「読解力」や「人間の能力」が対象としているものが何 (what) なのか誰も理解していないのにもかかわらず、それらをどうすれば (how) 再現したり伸ばしたりできるのかが議論される、ナイーブなAI論と教育論の現状を強く警戒しているのでしょう。

whatを無視したままhowだけを問題にする議論は、AIの議論にも見られますし、教育論でも同様の主張があるようです。たとえば、AI技術で言えば、「なぜ人間が視覚的に物体を認識できるのか」、「言葉の意味とは一体何なのか」、「あるスコアが測定している人間の能力とは一体何なのか」を真剣に考察しないまま、「画像分類タスクの正答率がxx%で人間を超えた」、「機械翻訳のスコアが人間を超えた」などという宣伝があります。また、教育論でも「このドリルを使えば"読解力"が上がります」「スクリーンリーダ(文章読み上げ機)を使って文章を音声化すれば"読解力"が上がる」といった主張があります。

そして、「対象が何なのか分からない」ということを率直に認めているという点において、著者はとても知的に誠実だと思う。

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考えてみれば、人間の「話し言葉」は何らかの障害がない限り、誰もが誰からも教えられずとも習得できるのに対して、書き言葉は現在でさえ教育を受けなければ習得できないものです。そう考えると、文章を書けない・読めない人間が居るのは何も不思議ではないし、むしろ人間が「言葉」を使えることのほうが不思議です。

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ふと思ったのは、「読解力」について日本語以外の外国語話者の場合はどうなんだろうということ。英語のように綴りと発音の対応が悲惨になっている言語、表意文字を使う言語、アラビア語のように書き言葉と話し言葉がまるで別物になってしまっている言語など、世界の言語には読む力の妨げになりそうな特徴を持つ言語も多くあります。言語の表記体系の違いによって、「読解力」のスコアに差異は発生するのだろうか…と思いました。(条件を揃えて国際比較するのは難しそうだけど)

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そして、AI技術が将来の働き方に対して与える影響を論じた部分について。著者には、(ソフトな) 技術決定論者の傾向があるように思います。(一方ではシンギュラリティ懐疑論者で、この組み合わせを唱える論者は日本では結構珍しい) 技術の決定力に対する確信が強いため、現実の就業構造や経済情勢や労働法制にはそれほど関心がないのかな、という印象を受けます。とはいえ、私自身も技術的失業は(複合的な要因の一つとして)問題となるだろうと考える立場であり、結論に大きな異論はないのですが。

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細かいツッコミはあれど、非常に良い問題提起の本なので是非読みましょう。悔しいけど(笑)