シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

未来予測をどう読むか

これから先の記事で、カーツワイル氏による過去の将来予測を取り上げ、彼の「収穫加速の法則」を元にした予測の精度を検証してみたいと考えています。ただし、本題に入る前に、未来予測の検証において、注意しておくべきことを挙げたいと思います。(これには自戒の意味もあります)

  • 予測の一部だけを取り上げない
    カーツワイル氏による2009年、2019年の予測は、かなり分量が多いものです。そのため、発言の一部だけを恣意的に取り上げれば、当たっている、または外れていると主張することができてしまいます。未来予測を評価する際には、発言の一部分だけを取り上げるのではなく、予測の全体を通した印象あるいは正答率を元にして検討する必要があると考えます。(これは、肯定派・懐疑派双方共に言えることです。)

  • 後知恵バイアスに注意する
    『スピリチュアル・マシーン』におけるカーツワイル氏の予測は、2018年現在時点から見れば、ごく当たり前のことを言っているようにしか聞こえないものもあります。たとえば、2009年の予測、「人々はおもにポータブル・コンピュータを使っている。」「ほとんどのポータブル・コンピュータにはキーボードがない。」といった予測などが挙げられます。これらの予測は瑣末で当然だとして、低い評価を下す人もいます。けれども、1999年時点ではこれらの予測は「ごく当然」であるとは言えなかったはずです。現在時点での知識を元に、過去の予測を「瑣末なものでしかない」と切り捨てることは避けなければいけません。

    何かが起こった後で、それは予測可能だったと考えてしまう傾向は「後知恵バイアス」と呼ばれています。
    一方で、また別の方向への後知恵バイアスも存在します。外れた予測に対して、「予測の方向性は正しい」、「本質的には正しい」という擁護がなされることがありますし、実際にカーツワイル氏の自己評価の中にもこのタイプの自己弁護が見られます。一例を挙げれば、2009年には「ほとんどの人が少なくとも10個のコンピューターを身につけており、それらは「ボディーLAN」でネットワーク化されている」という予測が挙げられるでしょう。この予測は、文字通りに捉えれば正しいとは言い難いものですが、「スマートフォンには10個以上の機能が搭載されているから、本質的には予測は正しいのだ」という擁護がされることがあります。

    けれども、時間の経過後でないと理解できず、後の時代において何らかの解釈を必要とする言葉は、将来予測として意義があるとは言えません。これもまた別種の「後知恵バイアス」であり、未来予測の帰結を評価する際には注意するべきものです。

  • あいまいさに注意を払う
    カーツワイル氏の予測を注意して読んでみると、予測のほとんどは定量的ではありませんし、「多くの」、「日常的に」といった量を表す修飾語や現在進行形が頻繁に用いられており、かなりのあいまいさが含まれています。
    実際、カーツワイル氏自身が発表した2009年時点の予測の振り返りの中でも、「メガネに組み込まれたコンピュータ・ディスプレイも使用されている。」という予測に対して、「私はこの種の技術が普及するとも一般的になるとも言っていない」という言い訳が使われています。これらの予測を都合良く解釈するのではなく、あいまいさが存在していたということを認識し明らかにする必要があります。

  • タイミングは重要である
    カーツワイル氏自身が何度も述べている通り、技術の未来予測において時期は非常に重要です。早すぎれば技術は普及せず、遅すぎれば利益を失います。また、失敗した予測に対して「今後実現する可能性がある」と言って時期を後倒しすれば、予測が外れたことを認めずいつまでも判断を先延ばしすることができるでしょう。
    特に、カーツワイル氏の予測手法において、そして「2045年にシンギュラリティを迎える」という予測などにおいても、テクノロジーの指数関数的な成長をベースとした方法を採っているため、方向性のみならずタイミングも予測成否に対する判定の重要な要素であると考えます。
    (ただし、2019年の予測はまだ「未来」のことであるため、私の判定自体にも予測が含まれます。約2年後の2020年時点で、もう一度予測の成否を判定してみたいと思います)


総合的には、以前にも取り上げたアームストロング氏が言う通り、未来予測もまたコミュニケーションであると言えます。未来の予測は、発表の時点で同時代の人々に理解され、何らかの行動や対策に繋げられてこそ意味があります。極端な例を挙げれば、ノストラダムスの謎めいた四行詩を後から解釈した「予言」のように、その時点では何を言っているのか理解できず、事象が起きた後でしか理解できない「予測」は無意味です。

端的に言えば、正確に予測を検証するためには、予測発表時点で読まれた通りに読む必要があります。

カーツワイル氏の過去の予測を検証する ─ 2019年

以下の引用は、フューチャリストレイ・カーツワイル氏が、1999年 (邦訳は2001年) の著書『スピリチュアルマシーン』の中で発表した、20年後 (2019年) の将来予測です。

予測の評価結果は、以下の記事をご覧ください。

 

 

コンピュータ

コンピュータはほとんど目に見えない。壁、テーブル、机、椅子、衣類、宝石、そして身体など、いたるところに組み込まれている。

 

人々はごく普通にメガネやコンタクトレンズに組み込まれた三次元ディスプレイを使用している。この「ダイレクト・アイ・ディスプレイ」はきわめてリアルな仮想環境をつくり出し、それを「現実の」環境上に投影する。このディスプレイ技術は、人間の網膜に直接イメージを投影するものだ。そのイメージは、人間の視覚感度の限界を超えるぐらい高品位なため、視覚障害の有無とは関係なく広く利用されている。

ダイレクト・アイ・ディスプレイには、つぎの3つのモードがある。

1. ヘッド追従モード
(...)
2. 仮想現実重ね合わせモード
(...)
3. 現実環境遮断モード
(...)
[引用注 : 詳細説明は省略。現在、1.はいわゆる三次元仮想ディスプレイ、2.は拡張現実(AR)、3.は仮想現実(VR)と呼ばれているもの]

 

この工学的レンズに加えて聴覚的「レンズ」もある。これは三次元環境の特定の場所に、正確に高品位の音を流す。メガネに組み込んだり、宝石として身につけたり、耳管に移植したりすることができる。

 

キーボードはまだ存在するが、ほとんどお目にかからない。コンピュータとの対話は、おもに手、指、顔の表情によるジェスチャーや、自然言語を使った双方向の会話をとおして行なわれる。つまり、われわれが言葉や仕草で人間のアシスタントとコミュニケーションを取るのと同じ方法で、コンピュータとコミュニケーションを取る。

 

コンピュータ・アシスタントの「人格」がかなり注目されている。ユーザーは、自分自身を含めた実在の人物をモデルにしたり、または有名人、友人、同僚などの特徴を自由に組み合わせてモデルにしたりして、コンピュータ・アシスタントに人格をもたせることができる。

 

人々は特別な「パーソナル・コンピュータ」をたった1台もっているわけではない。とは言え、コンピュータはひじょうにパーソナルである。コンピュータと超広帯域幅の通信装置はいたるところに埋め込まれている。ケーブル類はほとんどなくなった。

 

4000ドル (1999年のドル価) のコンピュータの計算能力は、人間の脳 (毎秒2000万x10億回の計算) とほぼ等しい。すべての人間の脳の全計算能力と、コンピュータを足し合わせると、そのうちの10パーセント以上を非人間の計算能力が占めることになる。

 

回転型記憶装置をはじめとする電気機械的なコンピュータ装置は、いまや完全に電子的な装置と置き換わっている。三次元のナノチューブ格子が、コンピュータ回路の一般的な形である。

 

コンピュータによる計算の大半が、大規模に並列的なニューラルネット遺伝的アルゴリズムに使われている。

 

スキャニングを基本にした脳の逆工学が目覚しい進歩を遂げている。脳は数多くの専門化された領域からなっており、それぞれが独自の構造をしたニューロン間結合をもっていることがよく理解されている。また、脳の大規模に並列的なアルゴリズムが解明されはじめており、それらの成果がコンピュータを基礎にしたニューラルネットの設計に応用されている。どの領域のニューロン間結合も遺伝情報によって規定されてはいないこと、また、遺伝情報がセットしているのは急速な進化のプロセスであって、その中でニューロン間結合が決まり生存競争が繰り広げられることが認識されている。コンピュータにおけるニューラルネット結合の標準的なプロセスも、同じような遺伝的・進化的アルゴリズムを使っている。

 

量子ベースの回折装置を使用した、コンピュータ制御の新しい光イメージング技術によって、ほとんどのレンズが、どんな角度の光も検出する小さな装置に取って代わる。こうした針の頭ほどのカメラが、いたるところにある。


ナノ・エンジニアリングによる自律的マシーンはみずからの動きを制御することができ、かなりの計算エンジンを有する。こうしたマイクロ・マシーンは、とくに製造業やプロセス制御において商業的に応用されはじめたが、まだ主流にはなっていない。

教育

ハンドヘルド・ディスプレイはひじょうに薄く、高品位な画像、そして重さはわずか数十グラムだ。人々は文書をこのハンドヘルド・ディスプレイで読むか、さらに一般的には、いまやどこにでもあるダイレクト・アイ・ディスプレイを使って、仮想現実に文章を投影して読む。紙の本や文書はほとんど利用されない。20世紀の重要な紙文書はほとんどがスキャンされ、ワイヤレス・ネットワークを通じて入手できる。

 

学習はほとんど、インテリジェント・ソフトウェアによる模擬教師を使って行なわれている。人間の教師が教える場合も、教師は生徒の近くにいない場合が多い。教師は学習や知識の源というよりも、助言者やカウンセラーの役割を担っている。

 

生徒たちは、アイデアを交換したり交友を深めるために集まるが、じつはこの集まりでさえ、物理的、地理的に離れている場合がしばしばある。

 

すべての学生がコンピュータを使っている。コンピュータはどこにでもあるので、自分のコンピュータをもっていなくてもまず問題はない。

 

労働者のほとんどは、新しい技能と知識の習得のためにかなりの時間を割いている。

障害者

視覚障害者は、メガネ型のリーディング・ナビゲーション・システムを使用している。このシステムには、デジタル制御された新しい高分解光センサーが組み込まれている。これを使うと、現実世界のテキストを読むことができる。ほとんどの文書が電子的になり、印字文朗読はそれほど必要とされていない。このシステムのナビゲーション機能は10年ほど前に登場したが、完全に実用化されている。こういった自動リーディング・ナビゲーション・アシスタントは、音声と触覚インジケーターを通じて視覚障害者に文章内容に伝える。このシステムは視覚世界を高画質で映し出すので、視覚障害者以外の人にも広く利用されている。

 

網膜や視覚神経の移植が行なわれるようになったが、まだいくつか制限があり、少数の視覚障害者にしか利用されていない。

 

聾唖者は、聴覚障害者用レンズ・ディスプレイを通して話の内容を読む。また、音楽のような別の聴覚体験を視覚的・触覚的に解釈するシステムもある。ただし、このようなシステムが健聴者に匹敵するほどの聴覚体験をどの程度提供できるかどうかは、さまざまな議論がある。聴力を向上させるための蝸牛殻やその他の移植がひじょうに効果的で、広く行なわれている。


両下肢や四肢を麻痺している人々が、コンピュータ制御の神経刺激装置や外骨格ロボット装置によって歩いたり階段をのぼったりしている。

通信 (コミュニケーション)

物理的距離に関係なく、だれとでもあらゆることができる。これを可能にする技術は使いやすく、どこにでもある。

 

「電話」にはダイレクト・アイ・ディスプレイと聴覚レンズにより投影される高画質の三次元イメージがついている。三次元ホログラフィ・ディスプレイも登場した。両者とも、相手が実際にそばにいるように感じることができる。解像度は人間の視覚と同等かそれ以上になる。相手が実際にそばにいるのかそれとも電子通信によって投影されているのか区別がつかない。「会う」という行為は、ほとんどの場合、実際に近くにいる必要はない。

 

日常的に利用できる通信技術に質の高い会話翻訳があり、ほとんどの主要言語の組み合わせが可能だ。

 

本、雑誌、新聞、ウェブの文書などを読む、テレビや映画のような三次元動画を観る、三次元テレビ電話をかける、一人または地理的に離れているだれかと一緒に仮想環境に入る、あるいは、これらを組み合わせる ─ こうしたことは、すでに日常となっているコミュニケーション・ウェブをとおして行なわれる。ただし、何か特別な機器や装置は必要ない。身に着けているもの、移植されているもの、それだけで十分だ。

 

体全体を包み込む触覚環境が広く利用されており、できもよい。その感度は人間の触覚に並ぶか、それを上回る。この触覚環境は、圧力、温度、手ざわり、湿気など、あらゆる種類の触覚刺激をシミュレートする。視覚的・聴覚な仮想環境においては、ダイレクト・アイ・レンズや聴覚レンズなど、身に着けたり体内に組み込まれた装置のみが必要となる。

 

これに対して完全な触覚環境を体験するには、仮想現実ブースに入らなければならない。これらの技術は、健康診断や、本物の人間のパートナーや仮想パートナーとの性行為などによく使われている。性行為については、快感やさらに安全性が高まるという理由で、人間のパートナーがたとえそばにいても好まれる。

ビジネスと経済

急速な経済発展と繁栄がつづいている。

業務のほとんどに模擬人間がかかわっている。この模擬人間の特徴は、リアルなイメージ・キャラクタ、そして高度な自然言語処理を用いた双方向コミュニケーションである。業務に人間がかかわっていないことも多い。担当者は業務を自動アシスタントに代行させて、別の自動アシスタントとやりとりさせている。これらのアシスタントは自然言語を省略し、業務と関連する知識構造そのものを直接やり取りしている。

 

掃除などの雑用をこなす家庭用ロボットは、いまや広く普及し、頼りにされている。

 

自動運転システムは高い信頼性を得ており、そのシステムはほとんどすべての道路に設置されている。一般道路でなら人間が運転することも許可されてはいるものの (高速道路では許可されていない)、自動運転システムはつねに関与しており、事故回避が必要なときは、自動運転システムが介入するようになっている。

 

マイクロフラップ (小型の下げ翼) を利用した効率的な自家用飛行機が実証されており、おおむねコンピュータで制御されている。交通事故はまれにしか起こらない。

政治と社会

人々は「自動パーソナリティ」の友人、教師、管理人、恋人とかかわるようになっている。この自動パーソナリティは、いくつかの点で人間よりも優れている。たとえば、ひじょうに信頼性の高い記憶力をもっており、希望すれば、予測したりプログラムしたりすることも可能だ。機微という点では、人間ほどではないと見られているが、見解はさまざまだ。

 

機械知能の影響に対しては、人々に何かしらの不安のようなものがある。人間と機械知能には依然として異なる部分があるが、人間の知能の方が優れていると明言するのは難しくなっている。コンピュータ知能は文化のメカニズムに完全に組み込まれている。表面上は人間の指示に従うよう設計されており、人間の業務や意思決定においては、最初は完全に知能機械に依存していたとしても、法律により人間が責任をもつよう決められている。しかし現実には、機械知能の多大な関与と助言なしに意思決定がなされることはほとんどない。

 

公共の場もプライベート空間も、暴力事件がおこらないよう機械知能によって監視されている。人々は解読不能な暗号技術を使って自身のプライバシーを守ろうとしているが、各個人の実際の行動は、どこかにあるデータベースに保存されており、プライバシーの問題は依然として大きな政治的・社会的問題となっている。

 

下層階級の存在も、なお大きな問題だ。経済を大きくゆがめることなく、基本的に必要なもの (とりわけ、安全な住まいと食料) を提供するだけの経済的繁栄はあるものの、責務と出世という古くからある論争は、あいかわらず存在している。この問題を複雑にしているのが、大半の仕事が従業員の学習と技能習得にかかわっているという、徐々に表面化しつつある問題だ。つまり、「生産的に」従事している従業員とそうでない人との区別が、必ずしも明確でないということである。

アート

すべての分野に仮想アーティストが登場し、人々もそれを真剣に受け入れている。これらサイバネティック・ビジュアル・アーティスト、サイバネティック・ミュージシャン、サイバネティック作家は、たいてい、各知識ベースやテクニックに貢献した人間や組織と密接に結びついている。しかし、こうした創造的マシーンがつくる作品への関心は、マシーンが創造的であるという物珍しさの域をすでに超えている。

 

人間のアーティストによる美術や音楽、文学作品は、ほとんどが人間と機械知能との共同でつくられている。

 

一番需要の多いアートとエンタテイメント関連の製品は依然として仮想体験ソフトであり、それらは現実の体験をシミュレーションするものから、この世にはほとんど存在しない、あるいはまったく存在しない抽象的環境をシミュレートするものまで、さまざまある。

戦争

国家の安全に対する第一の脅威は、解読不可能な暗号技術を使用して人間と機械知能を合体させるいくつかの小集団からくる。そうした脅威には、

1. ウイルス・ソフトを使いながら公的な情報チャネルの破壊
2. 生物工学的につくりだされた病原体

などがある。

 

ほとんどの飛行兵器はひじょうに小型だが(昆虫ほどの大きさのものもある)、さらにミクロの飛行兵器も研究されている。

健康と医療

ヒトゲノムに暗号化されている生命のプロセスの多くは10年以上前に解読されたが、現在おもにそれらは、老化現象の、あるいはガンや心臓病のような変性症状の根底にある、情報処理メカニズムとともに理解されている。最初の産業革命(1780年〜1900年)と二番目の第一期(20世紀)の結果として、人間の寿命は40歳弱からほぼ2倍に伸びたが、現在ふたたび大きく伸び、100歳を超えている。

 

生物工学技術の広範な普及による危険性が、次第に認識されつつある。大学院生と同程度の知識と能力さえあれば、潜在的に大きな破壊力をもつ病原体をだれでもつくることができる。そうした危険性は、生物工学による抗ウィルス治療の恩恵を考えれば、ある程度相殺されるとする考えが不安をまねいている。

 

急性・慢性の両症状を診断してくれる、コンピュータ処理によるヘルス・モニターが広く利用されている。このモニターは、腕時計、宝石、衣服などに組み込まれており、診断だけでなく、治療や処置のさまざまなアドバイスもする。

哲学

コンピュータがチューリングテストに合格したという報告が相次いでいるが、有識者がつくった基準 (人間による判定の緻密さ、インタビュー時間の長さ、等々に関する基準) を満たすまでにはいたっていない。コンピュータは未だ有効なチューリングテストに合格していない、という合意があるが、これに関していま議論が高まりつつある。

 

コンピュータ知能の主観的経験が真剣に論じられているが、機械知能の権利については大きな議論になっていない。機械知能は依然として人間と機械との共同の産物であるが、それをつくり出した人間への従属関係を維持するようにプログラムされている。

 

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

カーツワイル氏の過去の予測を検証する ─ 2009年 (2)

以下の引用は、フューチャリストレイ・カーツワイル氏が、1999年 (邦訳は2001年) の著書『スピリチュアルマシーン』の中で発表した、10年後 (2009年) の将来予測の後半部分です。

予測の詳細な検証は、後の記事をご覧ください。

 

ビジネスと経済

ときおり修正はあったものの、2009年までの約10年間、製品やサービスの知識コンテンツの台頭により、継続的な経済成長と繁栄が見られた。もっとも伸びているのは相変わらず株式相場である。2000年代初期、物価の下落がエコノミストに不安を抱かせたが、彼らはすぐにそれが悪いものではないことに気づいた。何年にも前にコンピュータのハードウェア、ソフトウェア産業に著しい物価下落が生じたが、ハイテク業界は、損失はなかったと指摘したからである。

 

アメリカは、その大衆文化の影響力と創造的なビジネス環境により、依然として経済をリードしつづけている。情報市場はおもに世界を相手にする市場であるから、アメリカにとってその移民の歴史は大いに役立ってきた。アメリカが世界中の民族--つまり、よりよい生活のために大きな危険を冒しつつ世界各地から集まってきた人々の子孫--で構成されていることは、知識ベースの新しい経済にとって理想的な遺産である。
中国もいまや強力な経済国になっている。ヨーロッパーは、ベンチャー精神を促進させるベンチャー・キャピタル、従業員ストック・オプション、税制において、日本や韓国の数年先を行っている。ただし、こうした動きは世界的に広まりつつある。

 

少なくとも取引の半分はオンラインで行なわれている。連続音声認識自然言語理解、問題解決、イメージ・キャラクタなどを統合した「インテリジェント・アシスタント」が情報を探したり、質問に答えたり、取引を行なったり、といった手助けをしている。インテリジェント・アシスタントは情報ベースのサービスにおいて主要なインターフェイスになっており、幅広い選択もできるようになっている。
最近の世論調査によると、男性ユーザーも女性ユーザーも、インテリジェント・アシスタントには女性を好むという。そしてもっとも人気のあるイメージ・キャラクタは、自称ハーヴァード・スクウェアのカフェで働く「マギー」というウェイトレスと、ニューオーリンズ出身のストリッパー「ミッシェル」だそうだ。キャラクター・デザイナーの需要は高く、ソフトウェア開発において成長分野になっている。

 

本、音楽アルバム、ビデオ、ゲームなどのソフトを購入する場合、実際に物理的に「物」をやりとりする場合はほとんどない。こうした情報提供を行うための新しいビジネスも登場している。
これらの情報オブジェクトを買うには、まず仮想ショッピング街を散歩し、興味を引いたものをチェックする。そしてすぐに (そして安全確実に) オンラインで取引をし、つぎに高速ワイヤレス通信によって即座にその情報をダウンロードする。こういった商品へのアクセス権を入手するための取引方法には、じつにさまざまなものがある。本、音楽アルバム、ビデオなどを買い、それによって永久かつ無制限にこれらへのアクセス権を手にすることもできるし、1回または数回、読んだり、見たり、聴いたりするアクセス権を借りることもできる。アクセスは1人か1グループ (たとえば家族や仲間) に限られる場合もあるし、特定のコンピュータに限られる場合もある。またコンピュータそのものは任意だが、特定の1人または特定の何人かがアクセスするコンピュータに限られることもある。

 

仕事のメンバーが、地理的に離れて仕事をする傾向が強くなっている。異なる場所に住んで仕事をしているにもかかわらず、グループでうまく仕事を進めている。
平均的家庭には、100台以上のコンピュータがあるだろう。そのほとんどは家庭用電化製品や備え付けの通信システムに組み込まれている。家庭用ロボットも登場しているが、まだ十分には受け入れられていない。

 

「インテリジェント・ロード」(コンピュータで自動車の動きを制御する道路) が主として長距離移動に使用されている。自動車のコンピュータガイダンスシステムが、インテリジェント・ロード上にあるコントロールセンサーにロックインすると、あとはゆっくり座っていられる。ただし、一般道はほとんど従来のままである。

 

ミシシッピー川の西、メーソン-ディクソン線の北にあるとある企業 [これはマイクロソフト社を指している] は、マーケット・キャピタライゼーション (企業の市場価値) が1兆ドルを超えた。

 

政治と社会

プライバシーが大きな政治問題になっている。事実上間断なく電子通信技術が使われているため、各個人の動き1つひとつが詳細な痕跡となって残りつつある。すでに起きている多数の訴訟により、個人データの広範な流出にある程度の歯止めがかけられている。しかし役所は依然として、個人のデータ・ファイルヘのアクセス権をもっているため、結果として解読不可能な暗号技術が一般的になっている。

 

技術の梯子が上方へ伸びるにつれ、ネオ・ラッダイト運動が盛んになりつつある。過去のラッダイト運動と同じように、その影響は、新しいテクノロジーによって可能になる繁栄により制限を受けている。ただしネオ・ラッダイト運動は、教育を、雇用と関連するもっとも重要な権利として継続させることにおいて、まちがいなく成功をおさめている。

 

技術の梯子に取り残された下層階級に対する懸念はいまもある。しかし下層階級の規模は変わらないように見える。政治的に評判は悪いが、公的援助と、全体として高いレベルの豊かさによって、下層階級は政治的に無力化している。

アート

高品位のコンピュータ画面と描画ソフトによって、いまや、コンピュータの画面はビジュアル・アートの選択メディアの1つになっている。たいていのビジュアル・アートが、人間のアーティストと知的なアートソフトとの合作である。仮想絵画--高品位の壁掛け型ディスプレイ--が人気を博している。従来の絵画やポスターのようにいつも同じ作品を展示するのではなく、声による命令で展示品を変えたり、アートコレクションを順番に展示することもできる。展示される作品は人間のアーティストによるものもあるし、サイバネティック・アートソフトによってリアルタイムにつくられるオリジナル作品もある。
人間のミュージシャンはたいてい、サイバネティック・ミュージシャンと一緒に演奏している。音楽創作はミュージシャンでない人でもできるようになった。音楽をつくる場合、従来のように、筋肉の動きを微妙に協調させながらコントローラを使う、といったことは必ずしも必要ではなくなったのだ。サイバネティック音楽創作システムにより、音楽は好きだけれど音楽理論に疎いといった人でも、自動作曲ソフトを使って音楽をつくれるようになっている。人間の脳波と聴いている音楽との間に共鳴を生み出す双方向的な「脳生成音楽」も人気のあるジャンルの1つだ。

 

ミュージシャンは古いアコースティック楽器 (ピアノ、ギター、バイオリン、ドラムなど) の演奏スタイルを模倣するエレクトロニック・コントローラを使っているが、手、足、口などの身体部分を動かして音楽をつくる新しい「エアー・コントローラ」にも大きな関心が集まっている。このほか、特別に設計されたデバイスと対話するようなコントローラもある。

 

作家は音声入力ワープロを利用している。文法チェック機能は、本当に使えるものになっている。また論文から本にいたるまで、文書の配布には紙やインクを必要としない。文書の質を上げるために、文体チェックや自動編集ソフトが広く利用されている。さまざまな言語の文書を翻訳するソフトも広く使われている。しかし、書き言葉を生み出す中心的プロセスは、ビジュアル・アートや音楽ほど、インテリジェントソフトに影響されてはいない。とは言え、サイバネティック作家も登場しつつある。

 

音楽、画像、ビデオ映画以外でもっとも人気のあるデジタル・エンタテイメント・オブジェクトは、仮想体験ソフトだ。こうした双方向仮想環境によって、たとえば仮想の川で水しぶきを浴びながら川下りをしたり、仮想のグランドキャニオンでハングライダーを楽しんだり、さらに好きな映画スターとご親密になったりすることができる。
仮想現実の視覚的、聴覚的体験はなかなかのものだが、触覚的体験の方はまだ十分ではない。

戦争

コンピュータと情報通信におけるセキュリティは、アメリカ国防総省の最大の焦点である。コンピュータの能力の完全性を維持できる側が戦場を制する、というのが一般的な認識である。
人間は戦場から遠く離れた場所に控えており、戦闘は無人の飛行装置によって支配される。こうした飛行兵器の多くは小鳥ぐらいの大きさか、それより小さいものである。

 

アメリカは依然として世界一の軍事大国である。このことは広く世界に認められているので、ほとんどの国は経済競争に専念している。国家間の軍事衝突はごくまれで、衝突はほとんどの場合、国家と小さなテロリスト集団との間で起きている。国家安全の最大の懸念は生物工学兵器である。

健康と医療

生物工学的治療によって、ガン、心臓病、その他さまざまな病気による死亡者数が減少している。病気の情報処理基盤の理解がいちじるしく進歩しつつある。
遠隔医療が広く利用されている。医師は遠方から視覚的、聴覚的、触覚的な診断を利用して、患者を診察することができるようになっている。比較的安い装置と、技師が1人いるだけの病院が、それまで医者のいなかった遠隔地に医療を提供している。

 

コンピュータによるパターン認識を使って画像化データを解釈している。非侵襲的画像化技術がかなり増えてきた。診断はほとんどの場合、人間の医師と、パターン認識を基本にしたエキスパートシステムとの連携で行なわれている。通常医師は知識ベースのシステムを調べ (たいてい双方向の音声コミュニケーションを使う)、システムは自動化された指示、最新の医学研究、実践ガイドラインなどを提供してくれる。

 

患者の障害の記録は、コンピュータのデータベースに保存されている。他の多くの個人情報データベースと同様、こうした患者の記録に関するプライバシーの不安が、大きな問題として浮上している。

 

医師はたいてい、触覚的インターフェイスを備えた仮想現実環境で腕を磨いている。これらのシステムは、たとえば手術のような医療処置の視覚的、聴覚的、触覚的体験をシミュレートするものだ。模擬患者は、引き続き医学教育、医学生、さらには医者を体験してみたい人に利用されている。

哲学

機械の知能をテストするために1950年にアラン・チューリングによって提唱されたチューリングテストへの関心がふたたび高まりつつある。前にも触れたように、チューリングテストは、人間の判定員が、コンピュータと人間に端末を使ってインタビューする状況を観察するテストだ。もしその判定員が、人間と機械を区別できなければ、機械は人間と同レベルの知能をもっているということになる。コンピュータはまだこのテストをパスしていないが、この先10年か20年のうちにパスできるだろうという考えが強くなってきている。

 

知的なコンピュータが知覚 (つまり意識) をもつがどうかが、真剣に考えられている。ますます歴然としてきたコンピュータの知能が、哲学への関心に拍車をかけている。

 

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

カーツワイル氏の過去の予測を検証する ─ 2009年 (1)

以下の引用は、フューチャリストレイ・カーツワイル氏が、1999年 (邦訳は2001年) の著書『スピリチュアルマシーン』の中で発表した、10年後 (2009年) の将来予測の前半部分です。

予測の詳細な検証は、後の記事をご覧ください。

 

コンピュータ

時は2009年。人々はおもにポータブル・コンピュータを使っている。それは10年前のノート型よりはるかに軽くて薄い。コンピュータは、その大きさ形とも、さまざまな種類があり、洋服や、腕時計、指輪、イヤリングといった装飾品に普通に組み込まれている。高品位なビジュアル・インターフェイスを備えたコンピュータは、指輪、ブローチ、クレジットカードから薄い本のものまで、いろいろある。
ほとんどの人が少なくとも10個のコンピュータを身につけており、それらは「ボディーLAN」(ローカル・エリア・ネットワーク) でネットワーク化されている。これらのコンピュータは携帯電話やポケットベルに似た通信機能を持ち、さらに身体機能をチェックしたり、金融関係の取引やセキュリティ・エリアへ立ち入る際に必要となる自動人物識別を行なったり、ナビゲータの役割を果たしたりと、さまざまなことをこなす。

 

たいていの場合、こういった真に「パーソナルな」コンピュータには、動く部品がついていない。メモリは完全に電子的であり、ほとんどのポータブル・コンピュータにはキーボードがない。
回転型記憶装置 (つまり、ハード・ドライブ、CD-ROM、DVDなどのような回転盤を使用するメモリ) は、いまや廃れつつある。ただし回転型磁気記憶装置は、大量の情報を保持するサーバーではまだ使用されている。ユーザーのほとんどが自宅やオフィスにサーバーをもち、ソフトウェア、データベース、文書、音楽、映画、仮想現実環境 (ただしこれはまだ初期の段階のものだが) のような「デジタル・オブジェクト」を大量に保存している。個人のデジタル・オブジェクトを保管してくれるサービスセンターもあるが、ほとんどの人がプライベート情報は自分自身で管理するのを好む。

 

ケーブル類は姿を消しつつある。ポインティング・デバイス、マイク、ディスプレイ、プリンタ、そして時にはキーボードといったコンポーネント同士の通信には、短距離のワイヤレス技術が使用されている。

 

コンピュータにはたいてい、ワールドワイド・ネットワークに接続するためのワイヤレス技術が内蔵されている。一方、このワールドワイド・ネットワークは、即時に利用できて信頼性の高い超広帯域幅 (つまり、回線容量がひじょうに大きい) の情報伝達を提供している。本、音楽アルバム、映画、ソフトウェアなどのデジタル・オブジェクトは、データファイルとしてワイヤレス・ネットワークを通して即座に配信される。それらがデジタル・オブジェクトから連想されるような「実物」はないのが一般的だ。
文章の大半は連続音声認識 (CSR) 書き取りソフトを使ってつくられているが、依然としてキーボードも使われている。CSRはひじょうに正確で、数年前まで利用されていた入力代行屋のはるか上をいく。

 

また、いまやどこにでもあるのが、CSR自然言語処理を組み合わせたランゲージ・ユーザーインターフェイス (LUI) だ。LUIは、単純なビジネス業務や情報の問い合わせといった日常的なことにきわめて反応がよく正確だ。しかし、どちらかと言えば特定の仕事に焦点が当てられている。またLUIは、しばしばイメージ・キャラクタとも結びついている。イメージ・キャラクタと対話しながら買い物をしたり何かの予約をしたりする行為は、そのキャラクタがシミュレーションであるという点を除けば、まるでテレビ会議で人間と話をしているようだ。

 

コンピュータ・ディスプレイは高品位、ハイ・コントラストで視野が広く、ちらつきもなく、紙がもつすべての質を備えている。であるので、本、雑誌、新聞などは、文庫本程度の大きさのディスプレイ上で読まれるのが一般的だ。
メガネに組み込まれたコンピュータ・ディスプレイも使用されている。この特殊なメガネは、普通に景色も見られるが、さらに仮想イメージをつくり出す。この仮想イメージは、ユーザーの網膜に直接イメージを投影する小さなレーザーによって生み出されている。

 

コンピュータにはたいてい動画カメラが組み込まれており、顔からそのコンピュータの所有者を確実に識別する。
回路に関しては、一般に立方体チップが使われており、古い単層型チップからの移行が進行しつつある。
従来型のスピーカーは、ひじょうに小さなチップをベースにしたデバイスにその座をゆずりつつある。このデバイスは、三次元空間のどこにでも高品位なサウンドを生み出してくれる。これは、ひじょうに高い周波数の音の相互作用により生み出されるスペクトルから可聴音をつくり出す技術で、かなり小さいスピーカーでも重厚感ある三次元サウンドをつくることができる。

 

1999年のドル価で1000ドル程度のコンピュータは、毎秒約1兆回の計算をすることができる。またスーバー・コンピュータは、少なくとも人間の脳のハードウェア性能--毎秒2000万x10億回の計算--に並んでいる。またインターネット上の未使用のコンピュータが利用されることにより、人間の脳のハードウェア性能に匹敵する仮想の並列型スーパー・コンピュータが出現している。

 

大規模に並列的なニューラルネット遺伝的アルゴリズム、その他カオスや複雑系のコンピューテーション理論への関心がますます高まりを見せている。ただし、コンピュータの計算はほとんどがまだ従来型の逐次処理 (シーケンシャル・プロセッシング) を用いており、並列計算 (パラレル・プロセッシング) を使ったものはそう多くない。

 

人間の脳に対する逆工学の研究がはじまっている。この研究では、死亡して間もない人間の脳を破壊的にスキャンするだけでなく、磁気共鳴映像装置 (MRI) によって、生きた人間の脳を非侵襲的にスキャンすることも行なわれている。

 

ナノ・エンジニアによる自立的マシーン (つまり、原子単位、分子単位でつくられたマシーン) が実証されている。これらのマシーンは、それ自体がコンピュータでコントロールされている。ただし、ナノ・エンジニアリングはまだ実用的な技術とは見なされていない。

教育

20世紀、学校にあるコンピュータの大半は脇役で、コンピュータによるもっとも効果的な学習は自宅で行なわれていた。しかし2009年のいま、学校はまだコンピュータの最前線にはいないものの、知識の道具としてのコンピュータの重要性が広く認知されている。コンピュータは、生活全般においてそうであるように、教育においてもあらゆる側面で中心的な役割を果たしている。

 

インストールされた文書は依然として多いものの、読む行為の大半はディスプレイ上で行なわれている。しかし、おもに20世紀の書物やその他の文書は急速にスキャンされてコンピュータに保存されており、紙文書の時代は終わりつつある。2009年ごろの文書には、たいてい動画や音が取り込まれているだろう。

 

あらゆる年齢の学生が、自分のコンピュータをもっている。重さ500グラム以下の薄いタブレット状のもので、ひじょうに高解像度のディスプレイがついており、読書にはうってつけである。子供たちはおもに音声を使ったり、また鉛筆に似たデバイスで画面を指したりしながら、コンピュータと対話をする。キーボードはまだ存在しているが、テキスト文のほとんどは音声によりつくり出されている。学習教材には、ワイヤレス通信でアクセスしている。

 

知的な教育ソフトが学習の一般的な手段として登場している。最近の研究によると、読みや算数といった基礎的技能に対話型学習ソフトを使うと、とくに生徒対教師の比率が一対一以上のときは、教師に教わる場合と同じぐらい早く学習できるという。これらの研究はいろいろ批判を浴びているが、もう何年もの間、ほとんどの学生と父兄がこうした考えを受け入れている。一人の教師が何人もの生徒を教えるという伝統的な方法は、いまだに広く行なわれているが、学校は次第に教育ソフトに依存するようになっており、教師は生徒のやる気 (モチベーション)、精神的安定、社会性といった問題にまず目を向けるようになっている。

 

幼稚園児や小学生は、読む力が向上するまで、各自のレベルに合ったテキスト朗読ソフトを使って読む練習をしている。このテキスト朗読システムは文書全体を表示しながら読み上げるもので、その間、読んでいる箇所をマーカーで強調するようになっている。合成音声は、ほぼ完全な人間の声に聞こえる。21世紀に入って数年間、教育関係者の中には、子供たちが朗読ソフトに頼りすぎるようになるのではないかと危惧する向きもあったが、いまや子供も父兄もこうしたシステムを喜んで受け入れるようになっている。さらにさまざまな研究により、映像と音声を合わせた文章を提示することで、子供たちの読む力が向上することも明らかになっている。

 

遠隔地学習 (たとえば、地理的に離れている学生たちが同じ講義やセミナーを受ける) も普通に行なわれている。

 

一方、学習は多くの仕事において重要な一部になりつつある。雇用の際に求められる技能レベルがどんどん上がっているなか、新しい技能の訓練や向上は、ときおり補足的に行なわれるものではなく、ほとんどの仕事において、つねに行なわれるべき義務になりつつある。

障害者

2009年の知的なテクノロジーにより、障害をもった人たちが急速にハンディキャップを克服しつつある。読む力に障害のある学生は、テキスト朗読システムを使うことにより障害を乗り越えつつある。

 

視覚障害者のためのテキスト朗読機は、いまやひじょうに小型で安価なパーム・サイズのデバイスになっており、(まだ紙の形で残っている) 本などの印刷文書、さらに標識や広告印刷物などの文字を読むことができる。これらの朗読システムは、広く普及しているワールドワイド・ネットワークから即座に入手できる無数の電子文書を読むことにも長けている。

 

何十年もの試みを経て、ようやく便利なナビゲーション・システムが登場した。これは、人工衛星による位置測位システム (GPS) 技術を利用し、行く手の障害物を避けながら道を探し出し、視覚障害者をアシストするものだ。視覚障害者は朗読ナビゲーション・システムとも対話できるから、何かを読んだり話をしたりする盲導犬を連れているようなものだ。

 

聾唖者--あるいは難聴の人--は、たいてい、話した言葉を即座に文字表記してくれる携帯型音声テキスト変換マシーンをもっている。このマシーンは、話している内容をリアルタイムでテキスト文字に変換する。聾唖者は文字に変換された会話文を読むか、手話をするイメージ・キャラクタの、いずれかを選択できるようになっている。いまやこのマシーンにより、聾唖者が抱えるコミュニケーション・ハンディキャップという問題はなくなった。さらに、話している内容をリアルタイムに他の言語に翻訳することもできるので、耳が不自由でない人にも利用されている。

 

コンピュータ制御の歩行支援マシーンが登場している。これらの「歩く機械」により、両足が麻痺している人でも歩いたり、階段を上ることができるようになっている。ただし多くの身体障害者が、長い間動かさなかったことによる関節機能障害をおこしているので、両足が麻痺しているすべての身体障害者が義肢を利用できるわけではない。しかし歩行支援システムの登場により、機能障害を起こしている関節を取り替えようという動きも、以前よりも活発になってきている。

 

盲目、聾唖をはじめとする身体的障害は必ずしもハンディキャップにはつながらないという認識が次第に高まりつつある。身体障害者もその障害を語るとき、ちょっと不便なもの、という程度になっている。いまや知的なテクノロジーは、障害者と健常者の壁を取り除くものになっている。

通信 (コミュニケーション)

翻訳電話 (たとえば、こちらが英語で話すと日本人の友人がその内容を日本語で聞けるもの) の技術が、多くの言語で利用されている。たいていの場合、個人のパソコンでもその機能が実現されており、パソコンを電話としても使えるようになっている。

 

電話は基本的にワイヤレスであり、高品位の動画が使えるようになっている。これにより、地理的に離れている者同士が、さまざまな種類・規模の会議を行なっている。

 

あらゆるメディア--少なくとも本やCDのような「ハードウェア」とその中身の「ソフト」--が、効率よく統合されている。つまり、いまやそれらは広帯域のワイヤレス・ウェブから配信される「デジタル・オブジェクト」(つまりファイル) として存在している。これにより、本、雑誌、新聞、テレビ、ラジオ、映画などのソフトを、個人用の携帯型通信デバイスに簡単にダウンロードできるようになっている。

 

事実上すべての通信がデジタルに暗号化されており、行政機関は公開鍵を利用している。さらに個人、そして犯罪組織を含む多くの団体が、事実上解読不可能な暗号コードを使っている。

 

離れた場所にある物や人間に触れているような感覚を与える触覚技術が登場しはじめている。この「フォース・フィードバック装置」は、ゲームや訓練用シミュレーション・システムで広く利用されている。

 

双方向型 (対話型) ゲームには十分な視覚・聴覚環境が組み込まれているが、触覚環境はまだ対応されていない。1990年代後半のオンライン・チャットルームに代わり、視覚的にはきわめてリアルに人と出会える仮想環境が登場している。
遠方の人間や仮想パートナーと性的体験をするようになっている。しかし触覚環境がまだ十分ではないので、こうしたバーチャル・セックスはまだ主流ではない。仮想パートナーは性のエンタテイメントとして人気はあるが、まだゲームのようなものだ。電話は通話している相手を高品位の動画でリアルタイムに映し出せるため、テレフォン・セックスのほうがずっと人気がある。

 

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

翻訳:シリコンバレーのシンギュラリティ大学はいくつかの深刻な現実の問題を抱えている

この文章は、Bloomberg Businessweekの記事、"Silicon Valley’s Singularity University Has Some Serious Reality Problems" の翻訳です。

シリコンバレーのシンギュラリティ大学はいくつかの深刻な現実の問題を抱えている

Googleからの資金供給の喪失、暴行と詐欺の訴えへの対応

宣伝文句はシンプルだった。認定大学院は忘れて、シンギュラリティ大学で大きく考えよう。Googleの共同創業者ラリー・ペイジフューチャリストレイ・カーツワイルといった人たちが、シンギュラリティ大学の卒業研究プログラム講師の中にいるかもしれません。大学の名前の由来は、いつの日にか人間が機械と融合するという概念だ。あなたはシンクタンクとスタートアップインキュベーターを組み合わせたようなところで働くことになり、再生可能エネルギー宇宙旅行といった壮大な課題に挑戦するのです。カーツワイルは2009年のTEDトークでこのプログラムを発表し、シンギュラリティ大学チームがNASAからキャンパスを借りたことも付け加えた。キャンパスは、カリフォルニア州マウンテン・ビューのNASAの歴史的な第一格納庫 (ハンガー・ワン) のすぐ東にある。その年の終わりに、チームは最初の40クラスに対して1200通の出願を受け取った。

現実は誇大広告と一致していなかった。過去の未公開警察資料、他の文書、そして現在と過去の生徒と職員に対するインタビューによって、ほとんど開校直後から、シンギュラリティ大学の何名かのスタッフは自身の最悪の衝動を抑えることができなかったと暴露されている。講師は元生徒に対する性的暴行容疑を訴えられ、役員は15000ドル以上を横領し、元職員は性差別と障害者差別を訴えている。そして、シンギュラリティ大学は170名の職員のうち14人を解雇し、GSP、現在の呼び方はグローバルソリューションプログラムを中断した。それは昨年Googleが資金提供を終了した後のことである。

営利目的のシンギュラリティ大学は、カンファレンスとエグゼクティブセミナーを行う平凡なオーガナイザーになりつつある、と卒業生は述べている。同社は、セミナー企業のAbundance 360の買収を検討している。その企業はシンギュラリティ大学の共同創立者であるPeter Diamandisが起業したものだ。「シンギュラリティ大学は理念を失なってしまった」とVivek Wadhwaは語る。彼は2013年まで教職員を務め、現在はカーネギーメロン大学に勤務している。「いまや金儲けの会社になった。」

 

もしも我々が真のインパクトを生み出したいのなら… 持続可能な方法で行う必要がある

 

一方で、シンギュラリティ大学はコミュニティの安全と関連する訴えを真剣に受け止めていると述べ、これらの問題のほとんどは遠い過去のことなのです、と最高経営責任者のRob Nailは語る。彼によれば、GSPの一時停止と再評価は、Googleが年次の援助を打ち切る以前から既に計画されていたものであるという。Googleからの援助はプログラムのおよそ半分のコストをまかなっており、その使途は受領者に任されている。Googleのシニア・マネージャであるJen Phillipsは、昨年末にシンギュラリティ大学の相談役を辞任しており、Google社は、その代わりにシンギュラリティ大学の起業プログラムに注力する計画であると述べている。

Nailによれば、GSPの大部分はオンラインで再開されるかもしれないが、カンファレンスとエグゼクティブ向け教育 (学費:1週間のプログラムで14,500ドル) がシンギュラリティ大学の活動の大部分となるという。昨年、シンギュラリティ大学は10件のカンファレンスを開催し、2018年には18件が計画されている。2月15日には、ボーイング社と投資会社WestRiverグループに率いられるベンチャーファンドから3200万ドルの資金を調達したことを公表した。WestRiver社のCEOであるErik Andesonは、Diamandisの後任としてシンギュラリティ大学の代表者となった。これらの変化は、会社が利益を上げ、そしてそれゆえにより多くの人を援助するために役立つだろうとNailは述べている。「もしも我々が真のインパクトを生み出したいのなら、持続可能な方法で行う必要があるのです」と彼は言う。

シンギュラリティ大学とNASAのコネクションは、建物の賃貸のみではない。初期のGSPの学生は、元宇宙飛行士のDan Barryの講義を高く評価している。彼は、13回の不合格の後にスペースシャトルプログラムに参加した医師である。何名かは彼がメンターを務めたと述べている。Barryは、2013年以来GSPの生徒を教えていない。当時、Yasemin Baydarogluという2011年にGSPに参加したフランス人学生への性的暴行の疑いで、会社は彼を調査したのだ。

Baydarogluによれば、Barryは2013年にパリでミートアップを企画した。彼らは自転車ツーリングに行き、そのとき彼女は背中の痛みを訴えた。その後、彼女はBarryのホテルへ行って会話した。彼は自分が医者であるとほのめかし、厳密な医学用語を用いた話しぶりでマッサージをすると申し出たという。彼はメンターであったので、彼女はBarryを信用した。--彼女が言うには、彼が胸部と性器に触れるまでは。彼女は逃げた。「私は本当にそんなことが起こると予想していなかったし、私はとても慎重です」と彼女は言う。「そのときはガードが低かったのです。」数日後、彼女はこの事件を警察に通報し、その後医師の診断を受けた。

Barryは「私は彼女の告発を完全に否定している」と述べ、その後に続いた取り調べが「私と妻にとって苦難の時」につながったと付け加えた。

Bloomberg Businessweek誌が確認した2013年5月31日の医師の診断書のコピーによると、Baydarogluは精神的苦痛の兆候を示しており、彼女の主張ではそれは身体的暴行に関連しているものだと言う。フランスの検察局から送付された手紙のコピーによると、当局がBarryを発見できなかったため、事件の捜査を中止したとされている。

シンギュラリティ大学は、Baydarogluが別途同社に対して暴行容疑を報告した後、内部調査を開始した。Barryは6月にその夏のプログラムを去った。彼の妻は病気であり、同社は学生に対して彼は個人的事情によって辞任したと説明した。Bloomberg Businessweek誌が確認した2013年6月22日のBaydaroglu宛てメールにおいて、シンギュラリティ大学の人事代表者は、「意に沿わない性的接触の核心的な主張に関連する事実は、確定的なものではない」とNailは信じている、と書いた。また、NailはBarryに対して、この状況は「稚拙な判断」を示していると伝えたという。シンギュラリティ大学の代表者はメールでBarryは2013年のGSPの残りの期間に出席しないと記し、Baydarogluに対してこの件を他の関係者と話さないよう求めた。

メールでは、キャンパスでスタッフが「潜在的に親密な状況」に置かれる可能性を減らすために、シンギュラリティ大学が実施しつある施策の概略が説明されていた。その中には、プログラム日の終了時にスタッフが生徒と一人で居ることを禁止することや、教室を監視するためにウェブカメラを設置することが含まれていた。Baydarogluは、シンギュラリティ大学の反応は、憂鬱な、裏切られた感情を残したと語る。特にいらだたしいのは、彼女が言うには、「私にそのことについて話をしないように求めたことです。」会社は、2013年以来Barryは現役の講師ではないと言う以外は、この件についてのコメントを避けた。

シンギュラリティ大学のリーダーには、ずさんな財務的活動の歴史がある。2009年、組織が初期段階にある頃、財務管理者だったAlicia Isaacは、会社のクレジットカードを13,500ドルの個人的支払いに使用した。また、後の警察報告によれば、彼女は2000ドルの現金をシンギュラリティ大学宛ての小切手から引き出したとされている。更に彼女は、人工知能研究所の所長による約80,000ドルの横領未遂を幇助したという。警察は2009年にIsaacを逮捕した。彼女は、重大な詐欺行為の容疑に対して何も否認しなかった。Isaacはコメント要請に応じなかった。

別の初期のシンギュラリティ大学の立案者であるBruce Kleinは、2012年にアラバマ州で信用詐欺行為を働いたとして有罪判決を受けた。彼はもはや同社と関係がない。取締役のNaveen Jainは、2003年にインサイダー取引で有罪判決を受けた。彼は2億4700万ドルの判定を訴え、最終的には和解した。

Nailは、かつて自動化企業の設立を支援していたが、最高戦略責任者 (Chief Strategy Officer) であるGabriel Bladinucciと共に2011年に着任した。Gabriel Bladinucciは、以前はVirginグループの役員だった。すぐに彼らはシンギュラリティ大学を非営利組織からB営利企業へと変更した。これは、民間の認定者によって一定の社会的・経済的な基準を満たしていると証明されたことを意味している。

数年間、Bladinucciと近しいスタッフは、カリフォルニア州AthertonとWoodsideにあるSU Villaと呼ばれる一連の賃貸住宅で、彼と共に住んでいたという。他の従業員は、そのグループは好意的な扱いを受けており、一般的な雰囲気は女性にとって友好的なものではなかったと語る。

Kastner Kim LLPの弁護士であるEleanor Schuermannは、ある女性職員の代理人を務めている。女性職員は、シンギュラリティ大学によって性別と障害を理由とした差別を受け、同等のポジションの男性よりも少ない給与しか支払われず、異議申し立てに対して報復を受けたと主張している。弁護士が州の規制当局者に提出した書類は、これは訴訟に向けた最初の段階であるが、まだ公表されていない。Schuermannは、クライアントの名前は挙げなかったものの、シンギュラリティ大学の職員他2名から同様の訴えを受けていると明かした。同社はこの件に関するコメントを拒否したが、女性を支援するために強く努力していると述べた。

シンギュラリティ大学は、2009年以来の長い道程にある。当時、最初のGSPがGetaroud社の創業につながったのである。Getaround社はカーシェア企業であり、トヨタ自動車を含む投資家から8500万ドルを調達した。「ここで起こった全てのことは驚きだ。」Googleラリー・ペイジは、翌年のプログラムの開会式でそう語った。「それは私の期待全てを超えた。」最近では、ペイジはシンギュラリティ大学に関与していない。カーツワイルはこのことについて議論しておらず、彼は取締役会に出席しているもののほとんど発言していないという。

新しい代表者のAndersonは、同社が収益と社会的目標とを達成することを期待していると語っている。Nailは、国連の飢餓撲滅運動を引用し、シンギュラリティ大学はその壮大な野望のいくらかに対してよくやっていると述べる。けれども、彼が言うには、シンギュラリティ大学はもっと上手くできるだろうという。「我々の生徒が話す通りに、10億人の人々にインパクトを与えることからはほど遠い。」

 

結論 シンギュラリティ大学は3200万ドルの命綱を利用して、一連のエグゼクティブ向けセミナーとカンファレンスのプログラムを強力に推し進めている。

カーツワイル氏の予測的中率は本当に86%なのか?

カーツワイル氏は、1990年代から未来予測を発表しているため、一部の予測の期限は既に到来しています。彼の予測手法は、直近の過去におけるテクノロジーの進歩のトレンドを、未来へと外挿するという手法です。それゆえ、カーツワイル氏が過去に発表した予測と、現在2018年時点における予測の結果を見ることによって、今後の将来予測の妥当性を検討する上で重要な示唆を得られると考えています。

実際のところ、カーツワイル氏自身も、過去の予測の的中率を評価しています。1999年の書籍『スピリチュアル・マシーン』中の予測について、2010年に評価を行なったものです。この自己評価はウェブ上で公開されていますが、147件の予測のうち127件が的中しており、すなわち予測の的中率は86%であると主張しています。この的中率は、カーツワイル氏を紹介する記事においても広く引用されています。この数字だけを見れば、カーツワイル氏は未来をかなり正しく予測していたように聞こえるかもしれません。

けれども、また別の見方もあります。近年の認知心理学が教えるところによれば、人間の知能が持つ大きな機能として、「自己正当化」があるとされています。さまざまな心理的バイアスによって、自分自身の評価と他者からの評価が食い違うことはしばしば見られる状況であり、それはカーツワイル氏も例外ではないでしょう。単に人々に夢を見させるための未来予想ではなく、実証的根拠に基いた妥当な未来予測を目指すのであれば、自己評価のみではなく、第三者からの視点を用いた評価が必要となります。

実際に、カーツワイル氏の予測に対する第三者の主観評価は、既に実施されています。これは、シンギュラリタリアンでもあるエリエゼル・ユドコウスキー氏が主催するコミュニティサイトLess Wrong上で、人工知能研究者・フューチャリストスチュアート・アームストロング氏によって、2013年に実施されたものです。

評価の手法としては、カーツワイル氏が『スピリチュアル・マシーン』の中で、2009年 (刊行からおよそ10年後) の未来予測として提示した文章を1文ごとに区切り、合計172件についてそれぞれ予測の成否を判定するというものです。また、判定の分類としては「True (正しい)」、「Weakly True (やや正しい)」、「Cannot decide (判定不能)」、「Weakly False (やや誤り)」、「False (誤り)」の5段階で評価を行ないます。評価を行なった対象者は9名で、各対象者は172件の予測の一部または全部を評価しています。(なお、詳細な評価手法については原文を参照してください)

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図:全ての評価の平均値

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図:全ての評価者の平均値 (評価者が評価した個数の差異による影響を除くためのもの)

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図:別サイト (Youtopia) で募集されたボランティアによる評価

 

結果を見ると、カーツワイル氏の予測的中率は「正しい」、「やや正しい」の2つを合わせても50%程度に留まっています。また、誤りとして判定されている予測は調査によって40%〜50%程度となっています。また、特筆するべきはどのアンケートを見ても10%程度「判定不能」という評価があることです。


もちろん、アームストロング氏も述べている通り、カーツワイル氏が試みている将来予測は有限の事象に対するものではありません。つまり、コインの裏表や競馬の着順のように有限個の選択肢から1つを選ぶものではなく、またあるいは株価予想のように1つの数値の大小を予測するものでもなく、限り無く存在する未来世界の姿を予想するものです。この種の予測において、的中率が低いからと言って未来予測者としての能力に劣っているとか、予測手法が誤りであると断定するつもりはありません。

そして、以前私が述べた通り未来予測の本当の目的は、現在時点における人々の認識を変えることであるとするならば、予測の的中率は問題ではなく、自身の予測を広く世間に広めることができれば目的は達成されていると言えるかもしれまえん。少なくとも、未来の世界をある程度説得的かつ魅力的に語り、それを広く届けることができるカーツワイル氏は、優れたフューチャリストであると言えるでしょう。

けれども、ここで1つだけ強調しておきたいのは、カーツワイル氏自身による評価と、第三者による評価が大きく食い違っていることです。「予測者としての能力はともかく、自己評価と他者からの判定は異なっている」と評価せざるを得ないですし、少なくとも「的中率86%」という主張を額面通りに受け取ることは難しいと考えています。

さて、次回は私自身も『スピリチュアルマシーン』中の未来予測を具体的に紹介し、その内容を検証してみたいと思います。

参考

Assessing Kurzweil: the results - Less Wrong

Assessing Kurzweil: the gory details - Less Wrong Discussion

カーツワイル氏の不老不死に関する何度も何度も外れた予言

カーツワイル氏は、20年後には人類の平均寿命は100歳を超え、30年後には120歳を超えると主張しています。

ただし、これは1999年の『スピリチュアル・マシーン』の中の予測です。つまり、ここで言われている「20年後」は2019年、「30年後」とは2029年を意味しています。2018年現在の平均寿命を確認してみれば、先進国に限っても85歳程度に留まっており、近い将来において平均寿命が10年単位で伸びる合理的な理由を想像することはできません。

そして、カーツワイル氏は、更に大胆に「10年以内に、人間の余命は1年ごとに1年以上延長され、死は遠ざかっていくと信じている。」と発言しています。

これは、2002年の発言です *1。既にこの発言から15年以上経過していますが、裕福な先進国、あるいはもっと小規模で健康的な集団を考えてみても「1年間に余命が1年以上伸びていく」という現象は観察できません。

同様に2001年にも、エッセイ『収穫加速の法則』において、10年以内に人間は「寿命の脱出速度」を迎える、すなわち、全ての人の平均余命*2が1年経過するごとに1年以上伸びていくため、その年まで生存していられれば不慮の事故がない限り望むだけ長く生きていられるようになる、と予測していました。

そして、2003年にも、2005年*3にも、2009年*4にも、2013年*5にも、2016年*6にも、最近2018年*7にも「寿命の脱出速度」到達と「実質的な不老不死」の実現まであと10年〜20年程度必要と述べています。

もちろん、最近の発言については、未だその期限が到来していない予測もあります。けれども、近い将来において「寿命の脱出速度」へ達することができるという合理的な見込みは存在せず、10年後も20年後も、あるいはカーツワイル氏が生きている限り「あと10〜20年必要」と主張していることでしょう。

私は、「寿命の脱出速度到達」が永遠に無理だとは断言しませんが、直近の数十年程度というタイムスパンで実現する見込みは完全にゼロだと考えています。現在の医学的知見に基づく限りは、長期的には120歳程度までは十分に寿命が延長されうるでしょう。けれども、予見できる範囲の近い将来においては、何ら定義も実証的根拠もない収穫加速の法則を安直に適用する以外に、寿命が望むだけ延長されると考える合理的な理由はありません。*8

結局のところ、カーツワイル氏は「死を克服して無限に生き続ける」ということに強い執着心を持っているため、医療技術に対して全く正確な評価ができていないように見えます。これまでも何度か取り上げた、カーツワイル氏に対する辛辣な批判者であるダグラス・ホフスタッター氏は、2008年に自身の新刊に関するインタビューの中で以下のように述べています。

レイ・カーツワイルは、自分が死ぬ運命にあるのを恐れており、死を避けたくてたまらないのだろう。彼の生命への執着は私も理解するし、執念の強烈さにはいくらか心を動かされるけれども、それが彼のものの見方を歪めてしまっているのだと思う。私が考えるに、カーツワイルの絶望的な望みは、彼の科学的客観性を深刻に曇らせてしまっている。*9

こと医療と人間の寿命に限って言えば、カーツワイル氏の予測は完全な誤りであり、自分が間違えた理由を理解しておらず、過去に間違えた予測と同じことを繰り返し、何度も何度も同じ間違いを犯しているように見え、最低限の知的な誠実ささえ欠いているように見えます。

実際のところ、フューチャリストとしてのカーツワイル氏の能力と知的誠実さに私が疑いを持った理由は、不老不死に関する過去の予測が何度も何度も外れているだけでなく、予測が外れた理由について何ら振り返っていないことです。

以前、マインドアップローディングに関連した記事において、この種の不死技術が実現されるまでの時間が過少評価され、しばしば予測者の寿命前後 (誕生から約100年以内) に実現すると「予測」される傾向があることを指摘しました。カーツワイル氏は、まさにこの罠にはまっているように見えます。

医療と寿命に関する「予測」においては、「願望」と「目標」と「予測」が著しく混同されているように見えます。永遠に生きたいという願望を持つことそれ自体は、否定できるものではないでしょう。そして、実現できないかもしれない高い目標を掲げ、そこへ向かって努力すること自体も、悪いことであるとは思いません。けれども、自分の願望や目標を未来の「予測」として提示することは、誤りというだけではなく、極めて不誠実な行為であると考えています。

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

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