シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

コンピュータ産業の未来

本論では、技術開発の将来性に対するネガティブな見通しばかり述べていますので、少しばかり前向きな話もしておきましょう。

 私は、おそらく2020年代初頭に半導体ロジックメーカー各社が微細化と集積化のペース (狭義のムーアの法則) の維持を断念し、公式に放棄を宣言することになると予測しています。そして、拡張ムーアの法則を維持するようなパラダイムが、その時期にちょうど出現すると信じる根拠は特にありません。

けれども、私はそれが半導体とコンピュータ産業の停滞と終焉を意味するものになるとは考えていません。

既に、微細化のプロセスルールの値が物理的・技術的に意味を持たない値となっていることを述べました。私たちは、あまりに長い時間半導体プロセスの微細化と集積化が進んでいくことに慣れてしまったため、それ以外の進歩のあり方を考えられなくなってしまっています。

 

単一の基準で、ある一つの目的へ邁進していくことを「進歩」と捉えるのであれば、確かにそれは停滞であると言えます。

けれども、私は進歩に対してやや異なる捉え方をしています。樹の枝がさまざまな方向へ広がるように、多様な可能性の存在と、多数の問題解決手法を実装する多様性、その実現こそが真の意味での進歩ではないでしょうか。

コンピュータアーキテクチャだけを取ってみても、現在さまざまな手法が学術・産業界の両方で研究、実現されています。

ヘテロジニアスプロセッサ、不揮発性メモリや大容量メモリを利用した新たなアーキテクチャ、三次元積層プロセッサ*1、特定用途向けのアクセラレータ (GPU、AI向けチップや量子コンピュータもここに含まれるでしょう) など、これ以外にも多数の事例を挙げられます。

思い出してほしいのですが、技術の研究から商品化までは10年〜15年程度の時間を必要とします。また、これらの技術は特有の利点と欠点を持っており、特定の状況下においては有効かもしれませんが、物理的限界に達しつつある半導体の計算能力の向上を更に継続させられるものではありません。技術開発は進めば進むほど困難になりますが、それでも新たなイノベーションの速度がゼロになることはありません。

 

けれども、おそらくそのイノベーションの形は、カーツワイル氏が主張しているような「人間の知能レベルの計算能力実現」に向かう一直線の階梯を指数関数的な速度で邁進するようなものではないはずです。

私の大学院時代の研究テーマがこの辺りだったので少し思い入れがあるのですが、現在、産業界の研究の関心は、低性能化・低消費電力化に向かっています。一般消費者向けのデバイスにおいては、一部の用途を除いて既に計算能力は制約ではなく、消費電力や排熱が大きな問題になっているからです。デバイスが低消費電力化されれば、さまざまな用途に対してセンサやプロセッサを使用することができるはずです。

そして、さまざまな方向へ向かって広がっていくテクノロジーの進歩が、現在の私たちには思いもよらないような異なる場所へと進んでいく。ちょうど、1960年代の人々が飛行機や宇宙開発の将来性を過大評価し、半導体技術や情報処理の将来性をあまりに過小評価していたように。

そう考えるのが、テクノロジーの進歩の実体をよく捉えているのではないかと思います。

*1:半導体の三次元積層技術は、既に活性度と排熱の少ないDRAMでは一般的に使われています