小鳥遊りょうさん (@jaguring1) から、何件か私の記事へのコメントを頂きましたので、いくつかの点、主に「特異点へのカウントダウン」のグラフと「収穫加速の法則」について返信します。
べき関数か指数関数か
まず渡辺さんは「両対数グラフで直線になれば、それは指数関数」だと誤解されているようだけど、実際はべき関数では?片対数グラフで直線になればそれは指数関数で、両対数グラフで直線になればそれはべき関数です。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年7月10日
まず、「両対数グラフでの直線は指数関数ではなくべき関数」という点は、私の誤認ですのでご指摘の通り修正します。
けれども、少し弁解をしておくと、これはカーツワイル氏自身が指数関数とべき関数を区別せず使っていることが理由です。つまり、「指数関数とべき関数を混同している」という批判は、そのままカーツワイル氏に対しても適用できることになります。(原文を確認していないので、翻訳の問題である可能性はあります)
「特異点はいつも近い」について
さて、ここで、両対数グラフでの直線があった場合、y切片はどこで交わるでしょうか。渡辺さんは「未来のどんな時点でも、いつでもシンギュラリティと言えてしまう」というような批判をしているが、それは間違いでは?例えば、今現在がホモサピエンスのパラダイムがあった頃だとしましょう。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年7月10日
そして、未来のどんな時点でもシンギュラリティと言えるでしょうか?いえ、言えません。実際、カーツワイルのパラダイムに従ってデータを取ると、ホモサピエンスの次のパラダイムはホモ・サピエンス・サピエンスなので、次の事象までの時間は10^5年ということになります。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年7月10日
現在をホモ・サピエンスがいた時代だとすると、対数グラフにおいてy切片(現在における、次の事象までの時間)の値は5(つまり、10^5年)ということになるわけです。なので、「未来のどんな時点でもシンギュラリティと言えてしまう」という批判は間違いだと思います。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年7月10日
『「未来のどんな時点でもシンギュラリティと言えてしまう」という批判は間違い』と言われていますが、挙げられている事例は過去のもの (ホモ・サピエンス) となっています。ここでは、「(過去から見た) 未来」を意図していると私は解釈しました。
さて、これらのツイートの主張には、「現在」つまり西暦2017年時点の視点が既に含まれてしまっています。仮に現在がホモ・サピエンスがいた時代 (30万年前) だとすると、次の事象がホモ・サピエンス・サピエンスだということは、30万年前現在の時点では分かりようがありません。「ホモ・サピエンスの存在した時点」から次の事象までの時間が10^5年であるということは、(2017年時点の)現在から過去を見返しているからこそ分かることです。
実際に、ホモ・サピエンスが登場した時代の直後において、次のパラダイムが分からない状態で、宇宙と生命の指数関数的な成長が続くという前提でグラフを描けば、次の通りになります。
けれども、生命の進化現象は時間的にかなり大きな広がりを持った事象なので、反例としてはやや不適切でしょう。そこで、人類の歴史時代において、同等の前提のもとに「カウントダウン」グラフを描いてみます。約2000年前の古代ローマ人にとっては、グラフはこんな形になるはずです。
あるいは、ベンジャミン・フランクリンが1800年ごろにグラフを描けば、こうなります。
指数関数に特異点は存在しないため、宇宙が常に指数関数的な (あるいはべき関数的な) 成長を遂げているという前提のもとでこのグラフを描けば、常に「原点= (その時点での) 現在」において、無限大へと向かうグラフが得られます。すなわち、(その時点での)「現在あるいはごく直近の未来」において「特異点」が発生するかのように見えます。
この論点は私のオリジナルではなく、ケヴィン・ケリー氏による指摘が元になっていますので、もう一度彼のエッセイを引用しておきます。
驚いたことに、それは今現在が特異点であることを示唆している。さらに不思議なことは、そのグラフに沿ってほとんどすべての時点で、同じ見解が正しいように思われる。もしも、ベンジャミン・フランクリン(昔のカーツワイルみたいな人)が1800年に同じグラフを描いたとしたら、フランクリンのグラフも、そのときの「たった今」の時点で、特異点が発生していることを示すだろう。同じことはラジオの発明のとき、あるいは都市の出現のとき、あるいは歴史のどの時点でも起こるだろう。グラフは直線であって、その「曲率」すなわち増加率はグラフ上のどこでも同じなのだから。
特異点とは、指数関数的増加を過去にさかのぼって観察するときに、いつでも現れる幻影に過ぎない。グラフは宇宙の始まりに向かって、正確に指数関数的増加をさかのぼっているから、これは何百万年にもわたって、特異点はまもなく起ころうとしていることになる!言い換えれば、特異点はいつも近い。今までいつも「近い」ままであったし、将来もいつも「近い」のだ。
結局このグラフから言える予想は何?
カーツワイルの主張する「パラダイム」というのは、地球科学に造詣の深い人間が、「進化のプロセスのなかで特に重要だと認識した出来事」のことです。つまり、「物理現象を人間が眺めたときに、その中で人間の概念形成・パターン認識上で重要だと判断されたデータ点」のことなので、心理データです。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年7月10日
「特異点へのカウントダウン」のグラフを見て「パラダイムが定義されていないから非科学だ」と述べる人もいるが、一方で、「カーツワイルという物理的実体が何をパラダイムと認識したのか?」をプロットした心理学的なデータとしてみれば、これもれっきとした科学的なデータである。
— 小鳥遊りょう(jagurimath) (@jaguring1) 2017年7月10日
私は、このグラフが非科学的だから問題であるとは考えていません。ムーアの法則のように、科学的根拠が明確でなくても有用な予測を述べられる経験則は存在します。ここで問題としているは、結局このグラフは何を予測しているのかということです。前節で述べた通り、このグラフ上のあらゆる点において「今現在が特異点である」と言うことができます。また、次に来る「パラダイム」が何かということも分かりません。「パラダイム」の定義は「心理学的なデータ」であると主張しても、結局何の有用な予測を述べられないということに変化はありません。(それどころか、更に悪化しています)
もちろん、やはり約30年後にシンギュラリティが発生する可能性自体は否定できません。けれども、もし仮にシンギュラリティと呼べる事象が発生しなかったとしても、到来時期を後倒しして、いくつか新しいパラダイムを選んで追加すれば、「なおこのグラフは成立している」と主張することができます。
私の主張は、このカウントダウンのグラフの情報量は0であり、ここから未来を予測することはできないということです。
「20世紀全体vs2000年~2014年までの進歩が等しい」とは何を意味するのか
この論点に一切触れてもらえなかったので私から取り上げますが、カーツワイル氏は、「20世紀全体の100年に達成されたこと」と「西暦2000年から2014年までの進歩」が等しいと主張しています。けれども、何の量が等しいのかは私にはよく分かりません。
わたしのモデルを見れば、パラダイム・シフトが起こる率が10年ごとに2倍になっていることがわかる。(中略) 20世紀の100年に達成されたことは、西暦2000年の進歩率に換算すると20年で達成されたことに相当する。この先、この西暦2000年の進歩率による20年分の進歩をたったの14年でなしとげ(2014年までに)、その次の20年分の進歩をほんの7年でやってのけることになる。別の言い方をすれば、21世紀では、100年分のテクノロジーの進歩を経験するのではなく、およそ2万年分の進歩をとげるのだ(これも今日の進歩率で計算する)。もしくは、20世紀で達成された分の1000倍の発展をとげるとも言える。(『ポスト・ヒューマン誕生』p.22-23)
素直にカーツワイル氏の言葉を読めば、これはコンピュータや機械学習などの単独のテクノロジーについて述べているのではなく、人類文明全体に亘るパラダイムシフトについて述べているものと考えられます。既に2014年を過ぎた現在においては、この主張は実証的に検証できるものです。
人類文明全体の進歩の量を間接的に推定できる量として、私はエネルギー消費量、発表論文数、GDP推計値や科学的発見などを調べましたが、この主張を肯定するデータを見つけることができませんでした。私自身はこの主張の成立は疑わしいと考えていますが、何か実証的データをお持ちでしたら教えてください。
この項続きます。