シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

知能は単一の尺度ではない

人工知能の「知能」に関する議論において最もよくある誤解は、人工知能の知能が「向上」ないし「拡大」し、「人間を越える」という考え方です。この種の誤解の裏にある前提は、「知能を測定する単一の尺度が存在する」という仮定であると言えます。

いや、人間の知能を測る知能指数 (IQ; Intelligence Quotient) が定義されているではないか、と思う人もいるかもしれません。けれども、そもそもIQの数値は知能の定義を回避した指数であると言えます。

人間の知能を測定する知能指数には、大きく2種類存在します。子供の知能の発達を、生活年齢 (実年齢) と精神年齢 (知的能力から換算される年齢) の比で表した従来のIQと、同一年齢集団内での偏差値に相当する偏差知能指数 (DIQ; Deviation IQ) です。これらの知能指数は年齢に対する発達の度合い、あるいは集団内における相対的な位置を測定するものであり、知能そのものを直接測定するものではありません。また、この2つはどちらも年齢や集団などが定義できない人工知能には、適用できない指数です。

また、IQテストをうまく処理できるコンピュータは、必ずしも普通の人がイメージするような意味で「知能が高い」とは言い難いことにも注意が必要です。たとえば、ある種のIQテストの項目には、数字の列を暗唱したり暗算をさせるテストがあります。人間の場合であれば、数字の暗唱や暗算は、多数の情報を一度に扱う能力や学習能力を測る目安となります。一方、数値の記憶や計算はコンピュータにとってはたやすいものですが、けれども、電卓に「知能がある」と思う人はいないでしょう。

人間の知能は、さまざまに異なる機能を果たすモジュールの寄せ集めであり、単一の尺度で測定できるような量ではありません。実際のところ、人間の知能は多次元量、つまり、それぞれ異なる多数の指標によって測定される量であると言えます。

 

知能を測定する単一の指標は存在しないため、「人間を越える人工知能」という言い方は意味のある表現ではありません。実際のところ、コンピュータはいくつかの点において既に人間を越えています。計算力においては、既に100年以上も前から人間はコンピュータに勝つことはできませんし、検索エンジンは人間よりもはるかに多数のウェブページや画像を「記憶」することができます。

これは、物理的な力についても同様のことが言えます。産業革命は200年以上前であり、あらゆる機械を合わせた集合は、人間の走る速度、物を持ち上げる腕力、物を切断する力などにおいて人間を負かすことができます。けれども、一人の人間ができる全てのタスクにおいて、人間を打ち負かす機械は存在しません。コンピュータの「知能」も同様です。

知能は単一の基準ではないため、コンピュータが持つ「知能」に関しての正しい捉え方は、人間とは異なるタイプの新たな「知能」、しかもそれぞれが様々に異なる種類の「知能」が多数生まれてくるというものでしょう。

 

さて、そうは言っても「あらゆる点において人間を越える人工知能」が存在し、更なる知能爆発を引き起こすことは想像できるではないか、という反論はありうると思いますので、次回以降のエントリでは、「知能爆発」について考えてみたいと思います。