シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

指数関数的成長はごく稀である

前々回のエントリで、飛行機の巡航速度、充電池の容量、そしてエネルギー消費量とナノテクノロジーの特許数の推移について取り上げてきましたが、そのどれを取っても必ずしも指数関数的な成長は観察できませんでした。上記以外にも、指数関数的な成長をしていないテクノロジーは多数存在しています。また、比較的短期間の指数成長の後、停滞を迎えるテクノロジーも非常に多くあります。

カーツワイル氏は、「多数の人々は線形な成長予測に捕われているため、指数関数的に成長する未来の姿を思い描くことができない」と非難していますが、むしろカーツワイル氏が指数関数に捕われており、事実認識に歪みが生じているように見えます。一般的に言って、情報技術分野と「線形な性質」を持つ限られた問題以外では、カーツワイル氏の主張する「永続する指数関数的成長」は発生していません。それ以外の化学、医療、機械、建築、運輸、エネルギーや食料など、現代文明を支えるありとあらゆる技術に関して先入観を持たずに観察してみると、情報技術と同程度の速度で倍々に成長しているとは言えないことが分かります。

一般的に、成長する現象は、(カーツワイル氏も部分的に認めている通り) シグモイド曲線 (S字曲線)、ないしはベル型曲線 (典型的には正規曲線) を取ります。つまり、最初は急速に立ち上がりますが、成熟を迎えると成長速度は鈍化し、ついには停滞を迎えます。また、一部は崩壊して元の水準へと戻っていきます。シグモイド曲線やベル型曲線の最初だけを取り上げれば指数関数的な成長をしているように見えますが、その速度がずっと続くわけではありません。また、カーツワイル氏は、あるテクノロジーのパラダイムにおいて指数関数的成長が止まるとすぐに新たなパラダイムが生まれ、再び指数関数的な成長が続くと主張しています。けれども、情報以外のテクノロジーでは、必ずしもすぐにパラダイム転換が発生しているわけではなさそうです。

カーツワイル氏は、将来は他のテクノロジーも情報テクノロジーと融合して指数関数的な成長をするようになる、と主張しています*1。けれども、現在のところそれは単なる仮説であり、支持するデータに乏しいように見えます。

 

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図 指数曲線(青)とシグモイド曲線(赤)


それでは、なぜテクノロジーの指数関数的な成長はまれなのでしょうか。原則的な話をすれば、指数関数的な成長は成長の基礎となる環境内のエネルギーや資源というインプットを食い潰すからであり、成長に伴う廃棄物 (アウトプット) も指数関数的に増大するため、廃棄物が環境収容力 (外部環境が吸収できる容量) を超えることも無視できない要因です。

しかし、現実のテクノロジーの成長過程を見ていると、物理的な限界に達したことによって成長が停滞した例は、あまり多くないように見えます。例えば、現代の戦闘機はマッハ2程度の超音速で飛行できるため、超音速旅客機を設計し製造することは現在でも十分可能でしょう。また、石油の産出量が停滞したのは、石油が枯渇し、存在しなくなったからではありません。

これらのテクノロジーは物理的限界に達したのではなく、ただ投資の費用対効果が見合わなくなったために成長が停滞したのです。技術開発のために必要となる投資が莫大になる一方、収益はそれほど大きく上がらないために、技術開発の経済的な意味が失なわれたことが停滞の原因です。技術上は可能であっても、経済的な理由によって実現・普及しないテクノロジーは数多く存在し、ほとんどのテクノロジーは物理的な限界よりもはるか手前で成長を止めますが、カーツワイル氏はこの観点を無視しているように見えます。

情報技術だけが例外的に指数関数的に成長する

けれども、情報テクノロジーに限って言えば、ムーアの法則に代表される通りの指数関数的な成長が長期間続いています。この事実については私も否定しません。

長期間の指数関数的な成長は、ほぼ情報テクノロジーのみに限られた現象です。私は、指数関数的な成長は情報というものの持つ特殊な性質に由来するものであると考えています。

つまり、情報理論的には、あらゆる情報は0と1の組み合わせの論理演算に還元でき、物理的には、電子という比較的軽い物体を用いてスイッチのオンオフとして表現ができます。そのために、物理的なエネルギーの必要量はごく微量であり、理論的には0か1かを伝達できれば良く、電子1個の最小のエネルギー単位まで縮小することが可能です。

けれども、カーツワイル氏が、あるいはシンギュラリタリアンが主張するように、化学反応やエネルギー循環や生命現象は、情報処理的現象ではありません。それらは、原子の相互作用であり、複雑で巨大な分子の化学的な組み合わせであり、あるいはより大きな質量の移動であり、電子の移動と比較して相対的に大きなエネルギーと時間を要します。
確かに、その一部分を取り上げて情報処理のメタファー、たとえ話を用いて表現することは可能です。けれども、たとえ話の理解は、必ずしもたとえている対象の理解が進むことを意味していません。たとえ話を使えばものごとが理解できると言うのは、「人形の肌は塩化ビニルでできているから、塩化ビニルの形成過程を観察すれば皮膚病の治療薬ができる」と考えることに似ています。(これもまた一つのたとえ話ですね。)

エネルギー問題と環境問題のジャーナリストであるリチャード・ハインバーグ氏は、著書『End of Growth (成長の終わり)』(邦訳未刊) において、次のように述べています。

  それではなぜ、この期間の間にムーアの法則と同等の進歩がエネルギー、輸送や食料生産において起きていないのだろうか。もしもそれが起きていれば、現在では新車の価格は750ドルで、燃費はリッター当たり3000kmにも達しているだろう。けれども、当然そんなことは起きていない。このことは、コンピュータ以外のエンジニアが怠惰であるということを意味しているのだろうか。
  もちろんそうではない。マイクロプロセッサーが特殊な例だからなのである。電子を移動させるには、何トンもの鉄や穀物を移動させることと比較すれば、ごくわずかなエネルギーしか必要としない。2トンの乗用車を製造するためには大量の資源を必要とする。どのように工程を組み立て直してみても、それは変わらない。我々の生存に対して死活的な意義を持つほとんどのテクノロジーにおいては、ここ数十年の間にはごくわずかな改善しか見られない*2

ゆえに、情報テクノロジーの急激な成長曲線を、物理やエネルギーの法則に強く支配される他のテクノロジーに対して安易に類推することは避けるべきであると考えています。

The End of Growth: Adapting to Our New Economic Reality

The End of Growth: Adapting to Our New Economic Reality

*1:「「情報テクノロジー」という用語が対象とする現象は、ますます幅が広くなり、最終的には、経済活動と文化活動の全般を含むようになるだろう。」『ポスト・ヒューマン誕生』p.64

*2:Richard Heinberg (2011)『End of Growth』p.178