シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

趣味や興行としての将棋や囲碁はAIがあっても残る

今年5月、世界最強と言われる囲碁棋士・柯潔氏と、Google傘下のDeepMindが開発する人工知能(AI)「AlphaGo」による対局で、AlphaGoが柯潔氏に対して3連勝を収めて注目を集めました。

 

また、日本でもプロの将棋棋士とAIの対戦が2012年から開催されていますが、近年ではAIが圧倒的な戦績を残しています。

 

これを受けて、インターネット上では、「囲碁や将棋では既にシンギュラリティを超えた」などという評価もされています。確かに、ほとんどのボードゲームにおいては、人間は (ある程度学習した) AIに勝つことはできないだろうと私も考えています。

それでは、将棋や囲碁はもはや解析し尽くされ、数年後にはもはや誰も省みる人も居なくなるような、終わったゲームとなってしまうのでしょうか。

 

ここで、ボードゲームの将来を考える上で参考になるゲームがあります。既に20年前に、人間のチャンピオンがAIに破れた、チェスです。

チェスは、一度取られた駒が再利用できないなど、盤面の複雑性が比較的小さく、また欧米で人気のあるゲームであるため、AIによるプレイが将棋や囲碁よりも先行して研究されていました。IBM社の開発したチェスマシンであるディープ・ブルーは、1997年に当時の世界チャンピオンであったガルリ・カスパロフを破っています。

それ以後のチェスの競技状況について、日本ではあまり報道されていません。けれども、決してチェスは終わったゲームなどではなく、むしろAI登場以前よりも盛んにプレイされ、ますます人間のチェスプレイヤーが強くなっているという事実があります。

AIが出てくることで、純粋な人間プレーヤーの技能が下がることはなかった。まったく逆だったのだ。安価で超スマートなチェスのプログラムは、いままでにないほど多くの人々をチェスに惹きつけ、より多くの試合が開催されて、人々はいままでになく強くなった。ディープ・ブルーが最初にカスパロフを破った当時と比べ、現在は倍以上の人数のグランドマスターがいる。中でも人間の最高位にいるチェスプレイヤーであるマグヌス・カールセンはAIで訓練しており、人間として最もコンピュータに近いプレーヤーと言われている。*1

 

あるいは、より古くからある例で言えば、格闘技や武道が挙げられるかもしれません。

おそらく、ボクシング、レスリングや剣道、柔道などは、もともとは軍事的な教練としての意義を持っていたのでしょう。けれども、銃器、戦車や航空機の発達により、身体的能力それ自体の持つ軍事的な意味は低下しています*2。けれども、現在においてさえ人々は格闘技を見て、また決して少くない人が自身でも格闘技を実践しています。
それ以外にも、陸上競技や水泳など、既に1世紀以上も前から機械が人間の能力を超えている例も存在しますが、これらの競技が意味を失なったわけではありません。

 

多くの人が見落としているのは、人間は人間と (ルールを決めて) 争うことが好きであり、強い人同士が高いレベルで戦っているのを見ることが好きであるということ、そして、機械やAIの利用によって人間の身体的・知的能力を向上させることができるということです。


将来、AIが発達し、機械による人間の代替が進み、社会が変化していくということは私も否定しません。その時になっても、やはり人間は将棋や囲碁などボードゲームで遊んでいることは疑いが無いだろうと思います。

 

 

私は4歳の息子とどうぶつしょうぎで遊んでいますが、抽象的なルールへ従うこと、勝ち負けに対する理解など、子供の発達段階を観察できて興味深いです。

どうぶつしょうぎ

どうぶつしょうぎ

 

これまでの何度か取り上げた、シンギュラリティ論とは異なる観点からテクノロジーと人間社会の未来像を考察している、WIRED誌創刊編集者のケヴィン・ケリー氏の著作です。

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

*1:ケヴィン・ケリー(2016) 『<インターネット>の次に来るもの』 p.58

*2:もちろん、私は21世紀においても白兵戦闘が発生し続けており、現代戦においても歩兵による領域支配が不可欠であることを軽視するつもりはありません。けれども、現在武道や格闘技をする人は、ほとんどは軍人ではないでしょう