過去数年間、日本とアメリカの (英語で書かれた) シンギュラリティ論を追っていくなかで気がついた、興味深い若干の差異があります。
アメリカのシンギュラリティ論では、知能爆発説、つまり「将来のある時点で人間を超えるシードAIが作成される。そのAIは爆発的に成長し、創造主たる人間が想像可能な範疇を超越する」というロジックを取る人が多いようです。そして、私も紹介したフランソワ・ショレ氏やケヴィン・ケリー氏をはじめとする懐疑論者も、知能爆発説を前提として反論の論理を組み立てています。確かに、彼ら2人も「指数関数的な成長論」について多少言及していますが、指数関数的成長論への懐疑は必ずしも主張の根幹ではなく、どちらかと言えば「知能」の捉え方に対する誤解の指摘がメインであると言えます。
一方で、日本におけるシンギュラリティ論の場合では、しばらく前に話題になった斎藤元章氏などを筆頭に『科学技術は指数関数的に加速しており*1 、将来のある時点で速度が「垂直(無限大)」に発散する*2』というタイプの主張、「収穫加速説」が多いように見えます。
そこで、私自身のシンギュラリティ懐疑論は「収穫加速」への検討から初めたわけです。また、「将来、シードAIが作られる」という主張は検証不能な未来の事象であり、証明も反証も原理的に困難であるのに対し、「過去、指数関数的に"収穫加速"してきている」という主張は、経験的根拠に基いて比較的容易に論駁可能だというテクニカルな理由もあります。
シンギュラリティ論は、ヴァーナー・ヴィンジから数えてもせいぜい30年程度の歴史しかありませんが、既にこのような分派が発生していることは面白いです。