シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

カーツワイル氏の将来予測についての考察

以前の2つの記事で、私は1999年時点でのカーツワイル氏による2009年、2019年の予測を検討しました。

全体を通して予測の印象を述べると、以下の通りです。

  • コンピュータ関連のテクノロジー自体に関する予測は先見の明がある
  • テクノロジーの使われ方に関する予測は、必ずしも正しいとは言えない
  • テクノロジーの「発明」と「普及」の間にある隔りを無視している
  • 臨床医療についての予測はほとんど外れている
  • 政治、経済、社会の予測は考慮範囲が狭すぎる
  • 全体的にあいまいで時期予測は楽観的すぎる

 

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カーツワイル氏の過去の予測を検証する ─ 2019年 (結果)

こちらは、フューチャリストレイ・カーツワイル氏が、1999年 (邦訳は2001年) の著書『スピリチュアルマシーン』の中で発表した、20年後 (2019年) の将来予測の検証です。

本文は、以下の記事をご覧ください。


概要

f:id:liaoyuan:20180317100007p:plain

注意事項

  • 予測文の区切りは、意味の区切りに従い私が独自に定めたものです。
  • 評価は、1 (正しい)、2 (やや正しい)、3 (判定不能/判断保留)、4 (やや誤り)、5 (誤り) の5段階の主観評価です。
  • 2019年はまだ「未来」であるため、私の判定自体にも予測が含まれます。約2年後の2020年時点で、もう一度予測の成否を判定してみたいと思います 。
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カーツワイル氏の過去の予測を検証する ─ 2009年 (結果)

こちらは、フューチャリストレイ・カーツワイル氏が、1999年 (邦訳は2001年) の著書『スピリチュアルマシーン』の中で発表した、10年後 (2009年) の将来予測の検証です。

本文は、以下の記事をご覧ください。


概要

f:id:liaoyuan:20180311155323p:plain

注意事項

  • 予測文の区切りは、条件を合わせて比較するため、以前取り上げたスチュアート・アームストロング氏の区切りに従いました。
  • 評価は、1 (正しい)、2 (やや正しい)、3 (判定不能)、4 (やや誤り)、5 (誤り) の5段階の主観評価です。
  • 可能な限り、2009年時点の技術レベルおよび社会情勢に基づいて評価するように試みましたが、現在2018年時点における技術開発、社会情勢の変化も含めて評価しています。
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書評:来世としての『全脳エミュレーションの時代』(ロビン・ハンソン)

 

全脳エミュレーションの時代(上):人工超知能EMが支配する世界の全貌

全脳エミュレーションの時代(上):人工超知能EMが支配する世界の全貌

全脳エミュレーションの時代(下):人工超知能EMが支配する世界の全貌

全脳エミュレーションの時代(下):人工超知能EMが支配する世界の全貌

 

著者のロビン・ハンソン氏は、現在では経済学の教授を務めていますが、物理学と哲学の修士号も持ち、ロッキード社とNASA人工知能開発のキャリアを積んだ後、社会科学の博士号を取得したという多彩な経歴を持つ人物です。本書『全脳エミュレーションの時代 (The Age of Em: Work, Love and Life when Robots Rule the Earth)』は、いわゆるポストヒューマニズム/トランスヒューマニズムものであり、現在の人類の後継者となる未来の超人類「エム」の姿とその社会や経済について、学際的な視点からの「予測」を試みた本です。

 

ハンソン氏の主張の中で特に際立っている点は、他のシンギュラリタリアンやトランスヒューマニストとは異なり、いわゆる「汎用人工知能」の実現可能性と、知能爆発型のシンギュラリティ仮説に対して極めて懐疑的であることでしょう。プログラマによってハンドコーディングされた「汎用人工知能」の実現はきわめて困難であり、過去の進捗状況を外挿すると、人工知能の実現までには400年から800年を要するかもしれないと述べています。

そこで、ハンソンが超知能の出現方法として想像している方法が、本書の邦題でもある「全脳エミュレーション」あるいは「マインドアップローディング」です。マインドアップローディングは近い将来 (1世紀以内) にも可能となり、脳エミュレーションをベースとしたソフトウェアである超知能「エム」が未来社会を形作るのであると主張しています。

これは、極めて奇妙な主張であると感じます。私自身は、汎用人工知能はいずれ実現してもおかしくない (ただし、現在想像されているよりもはるかに時間を要するだろう) と考えていますが、マインドアップローディングは遠い未来に渡ってもほぼ実現不可能であると、かなり強く確信しています。

 

既に本書の過去の連載でその理由を説明しましたが、ここで簡単にポイントを要約します。

まず第一に、マインドアップローディングの提唱者は、脳の情報処理機構がニューロンシナプスといった細胞レベルの構造に存在すると主張する傾向にあります。けれども、私は脳の情報処理機構は細胞にではなく分子のレベルにあり、完全な「アップロード」のためには分子レベルの構造を再現する必要があると考えています。

その傍証は、体内の分子が論理回路として動作することを示す研究があること、神経細胞を持たない単細胞生物も原始的な知能や記憶の存在を示すこと、人間のような多細胞生物も進化の過程を通して分子の情報処理機構を保持し続けていることです。

生物の情報処理機構が分子レベルに存在するならば、その動作を再現できるハードウェアも、エミュレーションに必要な初期状態を取得できる脳の測定手法、あるいは分子機械も、妥当な将来の技術進歩のはるか範囲外にあります。

第二に、人間の精神活動と脳機能においては、明確な抽象レイヤーが存在しないことです。

上記の通り、分子レベルの情報処理は人間の精神活動において本質的な役割を担っていると考えられます。そのため、分子レベルの情報処理を抽象化して扱うことはおそらく不可能です。天気予報のシミュレーションにおいて大気の分子を統計的に扱うこと、あるいは論理回路の設計において半導体の物性を無視できることとは異なります。なぜならば、人間の脳は進化の産物であり、その情報処理においてはハードウェアとソフトウェアの処理が密接に絡み合っているからです。

第三に、仮に前提となる技術開発がなされたとしても、マインドアップローディングの成功判定という哲学的な問題が残ります

全く処理方法の異なるハードウェアに脳を移し替えた場合、コピーしたファイルの差分や同期を取るようにして成功を判定することはできません。また、精神疾患患者が自身の異常性を認識できない(病識がない)場合があるように、アップローディング被験者自身ですら主観的に自分自身の異常を検知できない可能性もあります。被験者の内観と自己申告ですら信頼できないという問題は、たとえ脳の一部を少しずつ人工物に入れ替えていくといった方法を取ったとしても解決できません。

どんな手法、指標、タイムスパンで成功判定ができるのか定義できない限りは、人間を対象とした臨床実験としてマインドアップローディングを実施できる可能性は完全にゼロです。


そしてもう一点、ハンソンは現在の社会科学がほぼそのまま「エム」の社会に対しても適用できると主張しており、社会科学をベースとして「エム」社会の組織、労働、政治、経済などの予測を試みています。他のトランスヒューマニストは、超知能の出現は「特異点」であり、その後は予測不可能であると (ある意味潔く) 放棄していることと比較すると、この点もハンソンの特徴的な議論と言えます。

けれども、社会科学の観点からも「予測」に説得力があるとは感じませんでした。

とりわけ問題含みと思われるのが、「狩猟採集民」「農民」の価値観の二分法です。ハンソンは、人類の価値観は、個人主義的、自由主義的でリベラルな「狩猟採集民」から、集団主義的、権威主義的、保守的な「農民」へと移り代わってきたと主張しています。そして、現代の「工業」時代において一時的に「狩猟採集民」の価値観が復興したものの、「エム」の時代においては再び「農民」の価値観が支配的になるかもしれないと言います。「エム」は増殖が容易であるため比較的短期間にリソースを喰い潰し過酷な競争に陥り、ほとんどの「エム」の生活は最低生活水準近くまで落ち込み、一種の農奴、奴隷のような生活を送るとされているからです。

ところが、「狩猟採集民」がリベラルな価値観を持つという主張の実証的な根拠は乏しいと言えます。狩猟採集民は自らの歴史を書き残さず、有史時代において存在していた狩猟採集民のうちで周囲の「農民」から影響を受けていない集団はごく僅かであり、彼らの価値観を記録した「農民」の学者は自身の価値観からのバイアスを受けています。

考古学的な観点から言えば、「先史時代の平等主義的な小規模社会」という見方には疑問が示されています。たとえば、考古学者キャスリーン・キャメロンは、先史時代の小規模コミュニティにおいてすら集団襲撃、虐殺と (特に生殖可能な若年女性の) 誘拐が珍しいものではなく、捕虜として扱われる人が存在していたこと、捕虜の存在による権力偏在と富の蓄積が初期の都市国家を生み出す基盤となった可能性があることを示しています。

比較的史料が残っている「農民」時代と近現代の「工業民」の歴史を見ても、その価値観や社会制度はさまざまです。科学技術の点ではハンソンが極めてラディカルでドラスティックな進歩と変化を予測していることを考慮すれば、社会科学的な方法論がほぼそのまま適用可能であるという主張には説得力がありません。

より端的に言えば、ソフトウェア化され自分自身の改造すら可能な「エム」が、何故旧来の人間の価値観に縛られると考えているのか、理解できませんでした

 

全体を通して見れば、前提となる技術的・社会科学的な根拠は極めて疑わしく、ハンソンの詳細かつ緻密な未来予測は成功していないと考えます。


未来予測ではないとすれば、この本は一体何なのでしょうか? 私は、この本は来世を描いた本であると捉えました。

マインドアップローディング劇的な寿命延長の実現可能性は著しく過大評価され歪められていること、その裏に人間の不死を望む感情があることを、これまでにも指摘してきました。そして、本書の中でハンソン自身もクライオニクスの予約者であることを述べています。クライオニクスとは、将来のテクノロジーの進歩による復活を期待し、死体を冷凍保存する技術 (あるいは、ちょっと風変わりな新興宗教に基づいた遺体の埋葬儀礼) です。

論拠の怪しさと、にもかかわらずその「社会予測」のディテールを考えると、これはハンソンが信仰し、ハンソン自身が生きる (ことになると信じている) 来世の姿であると考えると納得ができます。

ハンソンの描く「来世」のあり方は、伝統的宗教の天国とは多くの点で異なっています。労働環境や経済競争は厳しく、純粋な知性のみに基いた超能力主義社会であり、計算能力を購入して自身の動作速度を向上させられる少数のエリート以外は、数兆人のエムがかつての農奴のような生活を送るのだと言います。

 

このような「来世」の姿は、現代社会のいかなる状況を反映しているのだろうか、と考えざるにはいられません。

未来予測をどう読むか

これから先の記事で、カーツワイル氏による過去の将来予測を取り上げ、彼の「収穫加速の法則」を元にした予測の精度を検証してみたいと考えています。ただし、本題に入る前に、未来予測の検証において、注意しておくべきことを挙げたいと思います。(これには自戒の意味もあります)

  • 予測の一部だけを取り上げない
    カーツワイル氏による2009年、2019年の予測は、かなり分量が多いものです。そのため、発言の一部だけを恣意的に取り上げれば、当たっている、または外れていると主張することができてしまいます。未来予測を評価する際には、発言の一部分だけを取り上げるのではなく、予測の全体を通した印象あるいは正答率を元にして検討する必要があると考えます。(これは、肯定派・懐疑派双方共に言えることです。)

  • 後知恵バイアスに注意する
    『スピリチュアル・マシーン』におけるカーツワイル氏の予測は、2018年現在時点から見れば、ごく当たり前のことを言っているようにしか聞こえないものもあります。たとえば、2009年の予測、「人々はおもにポータブル・コンピュータを使っている。」「ほとんどのポータブル・コンピュータにはキーボードがない。」といった予測などが挙げられます。これらの予測は瑣末で当然だとして、低い評価を下す人もいます。けれども、1999年時点ではこれらの予測は「ごく当然」であるとは言えなかったはずです。現在時点での知識を元に、過去の予測を「瑣末なものでしかない」と切り捨てることは避けなければいけません。

    何かが起こった後で、それは予測可能だったと考えてしまう傾向は「後知恵バイアス」と呼ばれています。
    一方で、また別の方向への後知恵バイアスも存在します。外れた予測に対して、「予測の方向性は正しい」、「本質的には正しい」という擁護がなされることがありますし、実際にカーツワイル氏の自己評価の中にもこのタイプの自己弁護が見られます。一例を挙げれば、2009年には「ほとんどの人が少なくとも10個のコンピューターを身につけており、それらは「ボディーLAN」でネットワーク化されている」という予測が挙げられるでしょう。この予測は、文字通りに捉えれば正しいとは言い難いものですが、「スマートフォンには10個以上の機能が搭載されているから、本質的には予測は正しいのだ」という擁護がされることがあります。

    けれども、時間の経過後でないと理解できず、後の時代において何らかの解釈を必要とする言葉は、将来予測として意義があるとは言えません。これもまた別種の「後知恵バイアス」であり、未来予測の帰結を評価する際には注意するべきものです。

  • あいまいさに注意を払う
    カーツワイル氏の予測を注意して読んでみると、予測のほとんどは定量的ではありませんし、「多くの」、「日常的に」といった量を表す修飾語や現在進行形が頻繁に用いられており、かなりのあいまいさが含まれています。
    実際、カーツワイル氏自身が発表した2009年時点の予測の振り返りの中でも、「メガネに組み込まれたコンピュータ・ディスプレイも使用されている。」という予測に対して、「私はこの種の技術が普及するとも一般的になるとも言っていない」という言い訳が使われています。これらの予測を都合良く解釈するのではなく、あいまいさが存在していたということを認識し明らかにする必要があります。

  • タイミングは重要である
    カーツワイル氏自身が何度も述べている通り、技術の未来予測において時期は非常に重要です。早すぎれば技術は普及せず、遅すぎれば利益を失います。また、失敗した予測に対して「今後実現する可能性がある」と言って時期を後倒しすれば、予測が外れたことを認めずいつまでも判断を先延ばしすることができるでしょう。
    特に、カーツワイル氏の予測手法において、そして「2045年にシンギュラリティを迎える」という予測などにおいても、テクノロジーの指数関数的な成長をベースとした方法を採っているため、方向性のみならずタイミングも予測成否に対する判定の重要な要素であると考えます。
    (ただし、2019年の予測はまだ「未来」のことであるため、私の判定自体にも予測が含まれます。約2年後の2020年時点で、もう一度予測の成否を判定してみたいと思います)


総合的には、以前にも取り上げたアームストロング氏が言う通り、未来予測もまたコミュニケーションであると言えます。未来の予測は、発表の時点で同時代の人々に理解され、何らかの行動や対策に繋げられてこそ意味があります。極端な例を挙げれば、ノストラダムスの謎めいた四行詩を後から解釈した「予言」のように、その時点では何を言っているのか理解できず、事象が起きた後でしか理解できない「予測」は無意味です。

端的に言えば、正確に予測を検証するためには、予測発表時点で読まれた通りに読む必要があります。

カーツワイル氏の過去の予測を検証する ─ 2019年

以下の引用は、フューチャリストレイ・カーツワイル氏が、1999年 (邦訳は2001年) の著書『スピリチュアルマシーン』の中で発表した、20年後 (2019年) の将来予測です。

予測の評価結果は、以下の記事をご覧ください。

 

 

コンピュータ

コンピュータはほとんど目に見えない。壁、テーブル、机、椅子、衣類、宝石、そして身体など、いたるところに組み込まれている。

 

人々はごく普通にメガネやコンタクトレンズに組み込まれた三次元ディスプレイを使用している。この「ダイレクト・アイ・ディスプレイ」はきわめてリアルな仮想環境をつくり出し、それを「現実の」環境上に投影する。このディスプレイ技術は、人間の網膜に直接イメージを投影するものだ。そのイメージは、人間の視覚感度の限界を超えるぐらい高品位なため、視覚障害の有無とは関係なく広く利用されている。

ダイレクト・アイ・ディスプレイには、つぎの3つのモードがある。

1. ヘッド追従モード
(...)
2. 仮想現実重ね合わせモード
(...)
3. 現実環境遮断モード
(...)
[引用注 : 詳細説明は省略。現在、1.はいわゆる三次元仮想ディスプレイ、2.は拡張現実(AR)、3.は仮想現実(VR)と呼ばれているもの]

 

この工学的レンズに加えて聴覚的「レンズ」もある。これは三次元環境の特定の場所に、正確に高品位の音を流す。メガネに組み込んだり、宝石として身につけたり、耳管に移植したりすることができる。

 

キーボードはまだ存在するが、ほとんどお目にかからない。コンピュータとの対話は、おもに手、指、顔の表情によるジェスチャーや、自然言語を使った双方向の会話をとおして行なわれる。つまり、われわれが言葉や仕草で人間のアシスタントとコミュニケーションを取るのと同じ方法で、コンピュータとコミュニケーションを取る。

 

コンピュータ・アシスタントの「人格」がかなり注目されている。ユーザーは、自分自身を含めた実在の人物をモデルにしたり、または有名人、友人、同僚などの特徴を自由に組み合わせてモデルにしたりして、コンピュータ・アシスタントに人格をもたせることができる。

 

人々は特別な「パーソナル・コンピュータ」をたった1台もっているわけではない。とは言え、コンピュータはひじょうにパーソナルである。コンピュータと超広帯域幅の通信装置はいたるところに埋め込まれている。ケーブル類はほとんどなくなった。

 

4000ドル (1999年のドル価) のコンピュータの計算能力は、人間の脳 (毎秒2000万x10億回の計算) とほぼ等しい。すべての人間の脳の全計算能力と、コンピュータを足し合わせると、そのうちの10パーセント以上を非人間の計算能力が占めることになる。

 

回転型記憶装置をはじめとする電気機械的なコンピュータ装置は、いまや完全に電子的な装置と置き換わっている。三次元のナノチューブ格子が、コンピュータ回路の一般的な形である。

 

コンピュータによる計算の大半が、大規模に並列的なニューラルネット遺伝的アルゴリズムに使われている。

 

スキャニングを基本にした脳の逆工学が目覚しい進歩を遂げている。脳は数多くの専門化された領域からなっており、それぞれが独自の構造をしたニューロン間結合をもっていることがよく理解されている。また、脳の大規模に並列的なアルゴリズムが解明されはじめており、それらの成果がコンピュータを基礎にしたニューラルネットの設計に応用されている。どの領域のニューロン間結合も遺伝情報によって規定されてはいないこと、また、遺伝情報がセットしているのは急速な進化のプロセスであって、その中でニューロン間結合が決まり生存競争が繰り広げられることが認識されている。コンピュータにおけるニューラルネット結合の標準的なプロセスも、同じような遺伝的・進化的アルゴリズムを使っている。

 

量子ベースの回折装置を使用した、コンピュータ制御の新しい光イメージング技術によって、ほとんどのレンズが、どんな角度の光も検出する小さな装置に取って代わる。こうした針の頭ほどのカメラが、いたるところにある。


ナノ・エンジニアリングによる自律的マシーンはみずからの動きを制御することができ、かなりの計算エンジンを有する。こうしたマイクロ・マシーンは、とくに製造業やプロセス制御において商業的に応用されはじめたが、まだ主流にはなっていない。

教育

ハンドヘルド・ディスプレイはひじょうに薄く、高品位な画像、そして重さはわずか数十グラムだ。人々は文書をこのハンドヘルド・ディスプレイで読むか、さらに一般的には、いまやどこにでもあるダイレクト・アイ・ディスプレイを使って、仮想現実に文章を投影して読む。紙の本や文書はほとんど利用されない。20世紀の重要な紙文書はほとんどがスキャンされ、ワイヤレス・ネットワークを通じて入手できる。

 

学習はほとんど、インテリジェント・ソフトウェアによる模擬教師を使って行なわれている。人間の教師が教える場合も、教師は生徒の近くにいない場合が多い。教師は学習や知識の源というよりも、助言者やカウンセラーの役割を担っている。

 

生徒たちは、アイデアを交換したり交友を深めるために集まるが、じつはこの集まりでさえ、物理的、地理的に離れている場合がしばしばある。

 

すべての学生がコンピュータを使っている。コンピュータはどこにでもあるので、自分のコンピュータをもっていなくてもまず問題はない。

 

労働者のほとんどは、新しい技能と知識の習得のためにかなりの時間を割いている。

障害者

視覚障害者は、メガネ型のリーディング・ナビゲーション・システムを使用している。このシステムには、デジタル制御された新しい高分解光センサーが組み込まれている。これを使うと、現実世界のテキストを読むことができる。ほとんどの文書が電子的になり、印字文朗読はそれほど必要とされていない。このシステムのナビゲーション機能は10年ほど前に登場したが、完全に実用化されている。こういった自動リーディング・ナビゲーション・アシスタントは、音声と触覚インジケーターを通じて視覚障害者に文章内容に伝える。このシステムは視覚世界を高画質で映し出すので、視覚障害者以外の人にも広く利用されている。

 

網膜や視覚神経の移植が行なわれるようになったが、まだいくつか制限があり、少数の視覚障害者にしか利用されていない。

 

聾唖者は、聴覚障害者用レンズ・ディスプレイを通して話の内容を読む。また、音楽のような別の聴覚体験を視覚的・触覚的に解釈するシステムもある。ただし、このようなシステムが健聴者に匹敵するほどの聴覚体験をどの程度提供できるかどうかは、さまざまな議論がある。聴力を向上させるための蝸牛殻やその他の移植がひじょうに効果的で、広く行なわれている。


両下肢や四肢を麻痺している人々が、コンピュータ制御の神経刺激装置や外骨格ロボット装置によって歩いたり階段をのぼったりしている。

通信 (コミュニケーション)

物理的距離に関係なく、だれとでもあらゆることができる。これを可能にする技術は使いやすく、どこにでもある。

 

「電話」にはダイレクト・アイ・ディスプレイと聴覚レンズにより投影される高画質の三次元イメージがついている。三次元ホログラフィ・ディスプレイも登場した。両者とも、相手が実際にそばにいるように感じることができる。解像度は人間の視覚と同等かそれ以上になる。相手が実際にそばにいるのかそれとも電子通信によって投影されているのか区別がつかない。「会う」という行為は、ほとんどの場合、実際に近くにいる必要はない。

 

日常的に利用できる通信技術に質の高い会話翻訳があり、ほとんどの主要言語の組み合わせが可能だ。

 

本、雑誌、新聞、ウェブの文書などを読む、テレビや映画のような三次元動画を観る、三次元テレビ電話をかける、一人または地理的に離れているだれかと一緒に仮想環境に入る、あるいは、これらを組み合わせる ─ こうしたことは、すでに日常となっているコミュニケーション・ウェブをとおして行なわれる。ただし、何か特別な機器や装置は必要ない。身に着けているもの、移植されているもの、それだけで十分だ。

 

体全体を包み込む触覚環境が広く利用されており、できもよい。その感度は人間の触覚に並ぶか、それを上回る。この触覚環境は、圧力、温度、手ざわり、湿気など、あらゆる種類の触覚刺激をシミュレートする。視覚的・聴覚な仮想環境においては、ダイレクト・アイ・レンズや聴覚レンズなど、身に着けたり体内に組み込まれた装置のみが必要となる。

 

これに対して完全な触覚環境を体験するには、仮想現実ブースに入らなければならない。これらの技術は、健康診断や、本物の人間のパートナーや仮想パートナーとの性行為などによく使われている。性行為については、快感やさらに安全性が高まるという理由で、人間のパートナーがたとえそばにいても好まれる。

ビジネスと経済

急速な経済発展と繁栄がつづいている。

業務のほとんどに模擬人間がかかわっている。この模擬人間の特徴は、リアルなイメージ・キャラクタ、そして高度な自然言語処理を用いた双方向コミュニケーションである。業務に人間がかかわっていないことも多い。担当者は業務を自動アシスタントに代行させて、別の自動アシスタントとやりとりさせている。これらのアシスタントは自然言語を省略し、業務と関連する知識構造そのものを直接やり取りしている。

 

掃除などの雑用をこなす家庭用ロボットは、いまや広く普及し、頼りにされている。

 

自動運転システムは高い信頼性を得ており、そのシステムはほとんどすべての道路に設置されている。一般道路でなら人間が運転することも許可されてはいるものの (高速道路では許可されていない)、自動運転システムはつねに関与しており、事故回避が必要なときは、自動運転システムが介入するようになっている。

 

マイクロフラップ (小型の下げ翼) を利用した効率的な自家用飛行機が実証されており、おおむねコンピュータで制御されている。交通事故はまれにしか起こらない。

政治と社会

人々は「自動パーソナリティ」の友人、教師、管理人、恋人とかかわるようになっている。この自動パーソナリティは、いくつかの点で人間よりも優れている。たとえば、ひじょうに信頼性の高い記憶力をもっており、希望すれば、予測したりプログラムしたりすることも可能だ。機微という点では、人間ほどではないと見られているが、見解はさまざまだ。

 

機械知能の影響に対しては、人々に何かしらの不安のようなものがある。人間と機械知能には依然として異なる部分があるが、人間の知能の方が優れていると明言するのは難しくなっている。コンピュータ知能は文化のメカニズムに完全に組み込まれている。表面上は人間の指示に従うよう設計されており、人間の業務や意思決定においては、最初は完全に知能機械に依存していたとしても、法律により人間が責任をもつよう決められている。しかし現実には、機械知能の多大な関与と助言なしに意思決定がなされることはほとんどない。

 

公共の場もプライベート空間も、暴力事件がおこらないよう機械知能によって監視されている。人々は解読不能な暗号技術を使って自身のプライバシーを守ろうとしているが、各個人の実際の行動は、どこかにあるデータベースに保存されており、プライバシーの問題は依然として大きな政治的・社会的問題となっている。

 

下層階級の存在も、なお大きな問題だ。経済を大きくゆがめることなく、基本的に必要なもの (とりわけ、安全な住まいと食料) を提供するだけの経済的繁栄はあるものの、責務と出世という古くからある論争は、あいかわらず存在している。この問題を複雑にしているのが、大半の仕事が従業員の学習と技能習得にかかわっているという、徐々に表面化しつつある問題だ。つまり、「生産的に」従事している従業員とそうでない人との区別が、必ずしも明確でないということである。

アート

すべての分野に仮想アーティストが登場し、人々もそれを真剣に受け入れている。これらサイバネティック・ビジュアル・アーティスト、サイバネティック・ミュージシャン、サイバネティック作家は、たいてい、各知識ベースやテクニックに貢献した人間や組織と密接に結びついている。しかし、こうした創造的マシーンがつくる作品への関心は、マシーンが創造的であるという物珍しさの域をすでに超えている。

 

人間のアーティストによる美術や音楽、文学作品は、ほとんどが人間と機械知能との共同でつくられている。

 

一番需要の多いアートとエンタテイメント関連の製品は依然として仮想体験ソフトであり、それらは現実の体験をシミュレーションするものから、この世にはほとんど存在しない、あるいはまったく存在しない抽象的環境をシミュレートするものまで、さまざまある。

戦争

国家の安全に対する第一の脅威は、解読不可能な暗号技術を使用して人間と機械知能を合体させるいくつかの小集団からくる。そうした脅威には、

1. ウイルス・ソフトを使いながら公的な情報チャネルの破壊
2. 生物工学的につくりだされた病原体

などがある。

 

ほとんどの飛行兵器はひじょうに小型だが(昆虫ほどの大きさのものもある)、さらにミクロの飛行兵器も研究されている。

健康と医療

ヒトゲノムに暗号化されている生命のプロセスの多くは10年以上前に解読されたが、現在おもにそれらは、老化現象の、あるいはガンや心臓病のような変性症状の根底にある、情報処理メカニズムとともに理解されている。最初の産業革命(1780年〜1900年)と二番目の第一期(20世紀)の結果として、人間の寿命は40歳弱からほぼ2倍に伸びたが、現在ふたたび大きく伸び、100歳を超えている。

 

生物工学技術の広範な普及による危険性が、次第に認識されつつある。大学院生と同程度の知識と能力さえあれば、潜在的に大きな破壊力をもつ病原体をだれでもつくることができる。そうした危険性は、生物工学による抗ウィルス治療の恩恵を考えれば、ある程度相殺されるとする考えが不安をまねいている。

 

急性・慢性の両症状を診断してくれる、コンピュータ処理によるヘルス・モニターが広く利用されている。このモニターは、腕時計、宝石、衣服などに組み込まれており、診断だけでなく、治療や処置のさまざまなアドバイスもする。

哲学

コンピュータがチューリングテストに合格したという報告が相次いでいるが、有識者がつくった基準 (人間による判定の緻密さ、インタビュー時間の長さ、等々に関する基準) を満たすまでにはいたっていない。コンピュータは未だ有効なチューリングテストに合格していない、という合意があるが、これに関していま議論が高まりつつある。

 

コンピュータ知能の主観的経験が真剣に論じられているが、機械知能の権利については大きな議論になっていない。機械知能は依然として人間と機械との共同の産物であるが、それをつくり出した人間への従属関係を維持するようにプログラムされている。

 

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

カーツワイル氏の過去の予測を検証する ─ 2009年 (2)

以下の引用は、フューチャリストレイ・カーツワイル氏が、1999年 (邦訳は2001年) の著書『スピリチュアルマシーン』の中で発表した、10年後 (2009年) の将来予測の後半部分です。

予測の詳細な検証は、後の記事をご覧ください。

 

ビジネスと経済

ときおり修正はあったものの、2009年までの約10年間、製品やサービスの知識コンテンツの台頭により、継続的な経済成長と繁栄が見られた。もっとも伸びているのは相変わらず株式相場である。2000年代初期、物価の下落がエコノミストに不安を抱かせたが、彼らはすぐにそれが悪いものではないことに気づいた。何年にも前にコンピュータのハードウェア、ソフトウェア産業に著しい物価下落が生じたが、ハイテク業界は、損失はなかったと指摘したからである。

 

アメリカは、その大衆文化の影響力と創造的なビジネス環境により、依然として経済をリードしつづけている。情報市場はおもに世界を相手にする市場であるから、アメリカにとってその移民の歴史は大いに役立ってきた。アメリカが世界中の民族--つまり、よりよい生活のために大きな危険を冒しつつ世界各地から集まってきた人々の子孫--で構成されていることは、知識ベースの新しい経済にとって理想的な遺産である。
中国もいまや強力な経済国になっている。ヨーロッパーは、ベンチャー精神を促進させるベンチャー・キャピタル、従業員ストック・オプション、税制において、日本や韓国の数年先を行っている。ただし、こうした動きは世界的に広まりつつある。

 

少なくとも取引の半分はオンラインで行なわれている。連続音声認識自然言語理解、問題解決、イメージ・キャラクタなどを統合した「インテリジェント・アシスタント」が情報を探したり、質問に答えたり、取引を行なったり、といった手助けをしている。インテリジェント・アシスタントは情報ベースのサービスにおいて主要なインターフェイスになっており、幅広い選択もできるようになっている。
最近の世論調査によると、男性ユーザーも女性ユーザーも、インテリジェント・アシスタントには女性を好むという。そしてもっとも人気のあるイメージ・キャラクタは、自称ハーヴァード・スクウェアのカフェで働く「マギー」というウェイトレスと、ニューオーリンズ出身のストリッパー「ミッシェル」だそうだ。キャラクター・デザイナーの需要は高く、ソフトウェア開発において成長分野になっている。

 

本、音楽アルバム、ビデオ、ゲームなどのソフトを購入する場合、実際に物理的に「物」をやりとりする場合はほとんどない。こうした情報提供を行うための新しいビジネスも登場している。
これらの情報オブジェクトを買うには、まず仮想ショッピング街を散歩し、興味を引いたものをチェックする。そしてすぐに (そして安全確実に) オンラインで取引をし、つぎに高速ワイヤレス通信によって即座にその情報をダウンロードする。こういった商品へのアクセス権を入手するための取引方法には、じつにさまざまなものがある。本、音楽アルバム、ビデオなどを買い、それによって永久かつ無制限にこれらへのアクセス権を手にすることもできるし、1回または数回、読んだり、見たり、聴いたりするアクセス権を借りることもできる。アクセスは1人か1グループ (たとえば家族や仲間) に限られる場合もあるし、特定のコンピュータに限られる場合もある。またコンピュータそのものは任意だが、特定の1人または特定の何人かがアクセスするコンピュータに限られることもある。

 

仕事のメンバーが、地理的に離れて仕事をする傾向が強くなっている。異なる場所に住んで仕事をしているにもかかわらず、グループでうまく仕事を進めている。
平均的家庭には、100台以上のコンピュータがあるだろう。そのほとんどは家庭用電化製品や備え付けの通信システムに組み込まれている。家庭用ロボットも登場しているが、まだ十分には受け入れられていない。

 

「インテリジェント・ロード」(コンピュータで自動車の動きを制御する道路) が主として長距離移動に使用されている。自動車のコンピュータガイダンスシステムが、インテリジェント・ロード上にあるコントロールセンサーにロックインすると、あとはゆっくり座っていられる。ただし、一般道はほとんど従来のままである。

 

ミシシッピー川の西、メーソン-ディクソン線の北にあるとある企業 [これはマイクロソフト社を指している] は、マーケット・キャピタライゼーション (企業の市場価値) が1兆ドルを超えた。

 

政治と社会

プライバシーが大きな政治問題になっている。事実上間断なく電子通信技術が使われているため、各個人の動き1つひとつが詳細な痕跡となって残りつつある。すでに起きている多数の訴訟により、個人データの広範な流出にある程度の歯止めがかけられている。しかし役所は依然として、個人のデータ・ファイルヘのアクセス権をもっているため、結果として解読不可能な暗号技術が一般的になっている。

 

技術の梯子が上方へ伸びるにつれ、ネオ・ラッダイト運動が盛んになりつつある。過去のラッダイト運動と同じように、その影響は、新しいテクノロジーによって可能になる繁栄により制限を受けている。ただしネオ・ラッダイト運動は、教育を、雇用と関連するもっとも重要な権利として継続させることにおいて、まちがいなく成功をおさめている。

 

技術の梯子に取り残された下層階級に対する懸念はいまもある。しかし下層階級の規模は変わらないように見える。政治的に評判は悪いが、公的援助と、全体として高いレベルの豊かさによって、下層階級は政治的に無力化している。

アート

高品位のコンピュータ画面と描画ソフトによって、いまや、コンピュータの画面はビジュアル・アートの選択メディアの1つになっている。たいていのビジュアル・アートが、人間のアーティストと知的なアートソフトとの合作である。仮想絵画--高品位の壁掛け型ディスプレイ--が人気を博している。従来の絵画やポスターのようにいつも同じ作品を展示するのではなく、声による命令で展示品を変えたり、アートコレクションを順番に展示することもできる。展示される作品は人間のアーティストによるものもあるし、サイバネティック・アートソフトによってリアルタイムにつくられるオリジナル作品もある。
人間のミュージシャンはたいてい、サイバネティック・ミュージシャンと一緒に演奏している。音楽創作はミュージシャンでない人でもできるようになった。音楽をつくる場合、従来のように、筋肉の動きを微妙に協調させながらコントローラを使う、といったことは必ずしも必要ではなくなったのだ。サイバネティック音楽創作システムにより、音楽は好きだけれど音楽理論に疎いといった人でも、自動作曲ソフトを使って音楽をつくれるようになっている。人間の脳波と聴いている音楽との間に共鳴を生み出す双方向的な「脳生成音楽」も人気のあるジャンルの1つだ。

 

ミュージシャンは古いアコースティック楽器 (ピアノ、ギター、バイオリン、ドラムなど) の演奏スタイルを模倣するエレクトロニック・コントローラを使っているが、手、足、口などの身体部分を動かして音楽をつくる新しい「エアー・コントローラ」にも大きな関心が集まっている。このほか、特別に設計されたデバイスと対話するようなコントローラもある。

 

作家は音声入力ワープロを利用している。文法チェック機能は、本当に使えるものになっている。また論文から本にいたるまで、文書の配布には紙やインクを必要としない。文書の質を上げるために、文体チェックや自動編集ソフトが広く利用されている。さまざまな言語の文書を翻訳するソフトも広く使われている。しかし、書き言葉を生み出す中心的プロセスは、ビジュアル・アートや音楽ほど、インテリジェントソフトに影響されてはいない。とは言え、サイバネティック作家も登場しつつある。

 

音楽、画像、ビデオ映画以外でもっとも人気のあるデジタル・エンタテイメント・オブジェクトは、仮想体験ソフトだ。こうした双方向仮想環境によって、たとえば仮想の川で水しぶきを浴びながら川下りをしたり、仮想のグランドキャニオンでハングライダーを楽しんだり、さらに好きな映画スターとご親密になったりすることができる。
仮想現実の視覚的、聴覚的体験はなかなかのものだが、触覚的体験の方はまだ十分ではない。

戦争

コンピュータと情報通信におけるセキュリティは、アメリカ国防総省の最大の焦点である。コンピュータの能力の完全性を維持できる側が戦場を制する、というのが一般的な認識である。
人間は戦場から遠く離れた場所に控えており、戦闘は無人の飛行装置によって支配される。こうした飛行兵器の多くは小鳥ぐらいの大きさか、それより小さいものである。

 

アメリカは依然として世界一の軍事大国である。このことは広く世界に認められているので、ほとんどの国は経済競争に専念している。国家間の軍事衝突はごくまれで、衝突はほとんどの場合、国家と小さなテロリスト集団との間で起きている。国家安全の最大の懸念は生物工学兵器である。

健康と医療

生物工学的治療によって、ガン、心臓病、その他さまざまな病気による死亡者数が減少している。病気の情報処理基盤の理解がいちじるしく進歩しつつある。
遠隔医療が広く利用されている。医師は遠方から視覚的、聴覚的、触覚的な診断を利用して、患者を診察することができるようになっている。比較的安い装置と、技師が1人いるだけの病院が、それまで医者のいなかった遠隔地に医療を提供している。

 

コンピュータによるパターン認識を使って画像化データを解釈している。非侵襲的画像化技術がかなり増えてきた。診断はほとんどの場合、人間の医師と、パターン認識を基本にしたエキスパートシステムとの連携で行なわれている。通常医師は知識ベースのシステムを調べ (たいてい双方向の音声コミュニケーションを使う)、システムは自動化された指示、最新の医学研究、実践ガイドラインなどを提供してくれる。

 

患者の障害の記録は、コンピュータのデータベースに保存されている。他の多くの個人情報データベースと同様、こうした患者の記録に関するプライバシーの不安が、大きな問題として浮上している。

 

医師はたいてい、触覚的インターフェイスを備えた仮想現実環境で腕を磨いている。これらのシステムは、たとえば手術のような医療処置の視覚的、聴覚的、触覚的体験をシミュレートするものだ。模擬患者は、引き続き医学教育、医学生、さらには医者を体験してみたい人に利用されている。

哲学

機械の知能をテストするために1950年にアラン・チューリングによって提唱されたチューリングテストへの関心がふたたび高まりつつある。前にも触れたように、チューリングテストは、人間の判定員が、コンピュータと人間に端末を使ってインタビューする状況を観察するテストだ。もしその判定員が、人間と機械を区別できなければ、機械は人間と同レベルの知能をもっているということになる。コンピュータはまだこのテストをパスしていないが、この先10年か20年のうちにパスできるだろうという考えが強くなってきている。

 

知的なコンピュータが知覚 (つまり意識) をもつがどうかが、真剣に考えられている。ますます歴然としてきたコンピュータの知能が、哲学への関心に拍車をかけている。

 

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき

スピリチュアル・マシーン―コンピュータに魂が宿るとき