残念なことに、強調と過剰な熱意と誇張の間には違いがある。ハイプは文字通りに理解するためのものではない。
デイヴィッド・M・ベルーベ著『ナノ・ハイプ狂騒』(上巻 p.32)
新たなテクノロジーの黎明期に、「ハイプ」--過大評価と誇大広告-- が見られるという観察は、何も新しいものではありません。というよりも、「過去一世紀ほどの間のテクノロジーで過剰宣伝されなかったものなど皆無だ」というシニカルな意見さえあります。
未来研究所(Institute for the Future)の共同創業者ロイ・アマラ博士は、既に1960年代〜70年代ごろ、「アマラの法則」として知られる言葉を述べたと言われています。
私たちは短期的にはテクノロジーの効用を過大評価し、長期的には過小評価する傾向にある。
そして、おそらく「ハイプ」を冠したものの中でも一番有名な (あるいは、悪名高い) のは、「ハイプ・サイクル」の分析手法 (および、情報通信業界の調査会社であるガートナー社が作成する同名のレポート)ではないかと思います。
個人的には、こういう類いの何を表しているのか訳が分からないグラフは好みではないのですが、それでも、「アマラの法則」が見抜いた短期的な過大評価と長期的な過小評価を視覚的に図示し、テクノロジー受容の社会的・心理的側面を表すものとして、一定の意義はあります。
一般に、新しいテクノロジーが発明されたり関心を集めるようになると (テクノロジーの引き金)、関心の集中自体が原因となって、テクノロジーは流行を迎えます(過剰な期待のピーク)。その次の段階では、期待に応えられなかったテクノロジーは幻滅され、世間の関心を失います (幻滅の谷)。その後、次第にテクノロジーの本質が理解され、世間に普及するようになり(啓蒙の坂)、主流の技術として受容されるようになります (生産性のプラトー)。もちろん、これはあくまで一種のマーケティング用ツールとして模式的に表現されたものであり、すべてのテクノロジーがこのような過程を辿るわけではありません。(たとえば、生産性のプラトーに辿りつく前に「死ぬ」テクノロジーもあります)
イノベーションの理論によれば、世間からの注目が集った後、「幻滅期」が発生する理由として次のような理由が挙げられています。
- あるテクノロジーへの注目が集まると、深い知見を持たないままにテクノロジーを利用する人間や企業が生じる
- 流行したテクノロジーにあやかるために、関連の無いテクノロジーや製品がその名前を借用するようになる
- 流行りや宣伝に飛び付いた深い知見のない人間は、テクノロジーの導入、利用に失敗する場合が多い
満たされなかった期待によって起こる「幻滅期」は、そのテクノロジーに対する信用と評価を傷つけ、しばしば研究開発を停滞させる場合があります。ここでも既に述べた通り、AIにおいてもかつて2度の「AIの冬」と呼ばれる「幻滅期」がありました。ほぼ確実に、近い将来にまた「第3のAIの冬」が発生するだろうと考えています。対象のテクノロジーが変わったとしても、それを使う企業や大学組織、そして人間の心理は、ほとんど変化しないものであるからです。
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