シンギュラリティ教徒への論駁の書

“Anyone who believes that exponential growth can go on forever in a finite world is either a madman or an economist.” - Kenneth Boulding

ムーアの法則の次に来るもの「量子コンピュータ」

ムーアの法則の終了後、次に来たるべき「パラダイム」として、ここ数年、量子コンピュータが盛んに取り上げられています。特に、米Google社傘下のD-wave社が生産、販売している量子コンピュータの名前は、おそらくテック系のメディアをチェックしている人であれば一度は目にしたことがあるかと思います。

もちろん、量子コンピュータの将来性は大きな可能性があり、今後も研究開発が進んでいくことには私も疑いはありません。けれども、「拡張ムーアの法則」の延命というタイムスパンで検討したとき、その意義はやはりごく小さいだろうと考えています。

 

まず最初に、近年実用化が進んでいる量子コンピュータは、量子アニーリングマシンと呼ばれる特殊な量子コンピュータです。量子アニーリングマシンが高速に計算できる問題クラスは、組み合わせ最適化問題などごく限られたものであることは研究者の意見が一致しています*1

つまり、量子アニーリングマシンは特殊な問題を高速に解くことができるアクセラレータとでも呼ぶべきものです。真空管トランジスタ集積回路などのように、汎用的な計算を高速で実行できるデバイスではありません。
もちろん、組み合わせ最適化問題が産業的に大きな応用事例を持っていることは確かです。将来、現時点では思いもよらない方向の技術へ影響を与え、何かしら全く新しい技術が開発される可能性は否定しせん。けれども、実際問題として量子計算による高速化が与える影響は、間接的なものに留まります。量子アニーリングマシンは、「拡張ムーアの法則」のグラフ上において、即座にプロットされるような計算機にはなりえません。

そして、量子回路方式と呼ばれるチューリング万能性*2を持つ量子コンピュータも研究が進められています。けれども、2017年現在においては、まだ基礎研究の段階にあります。もちろん、量子回路方式についても数年以内に巨大なブレークスルーがあり、一気に汎用量子コンピュータが実用化される可能性は否定しません。けれども、拡張ムーアの法則を延命するタイムスパン、つまりここ2, 3年以内での量子コンピュータの実用化は、かなり可能性が低そうだと言えるのではないかと思います。

また、将来仮に量子回路コンピュータが実用化されたとして、それがプログラマブルなデジタルコンピュータである必然性はありません。そもそも、シンギュラリティ論に好意的な論者も認めている通り*3人工知能の実現 (人間の脳のシミュレーション/エミュレーション) には、力技の、真の意味で汎用的で膨大な並列計算能力が必要となります。量子コンピュータによって高速化が可能な計算クラスの中に、脳のシミュレーションは (おそらく) 含まれていません。

そして、量子コンピュータが汎用的ではないことは、カーツワイル氏自身も認めています。

 量子コンピュータが果たす究極的な役割はまだ見えていないだが、数百の絡み合った量子ビットからなる量子コンピュータが実現可能となったとしても、特別な目的だけに使われる装置であるのに変わりはないだろう。たとえ、他のやり方では決してまねのできない、すばらしい性能をもっていても。*4

 

私自身は、近い将来において汎用人工知能が開発される可能性は十分にあると予測しています。けれども、仮に汎用人工知能が実現されたとしても、それを計算しているデバイスはおそらく量子コンピュータではないだろうと考えています。

  

量子コンピュータが人工知能を加速する

量子コンピュータが人工知能を加速する

シンギュラリティ:人工知能から超知能へ

シンギュラリティ:人工知能から超知能へ

*1:量子アニーリング (西森秀稔)

*2:普通のコンピュータで計算できる問題が全て計算できるコンピュータと考えてください

*3:マレー・シャナハン(2016) 『シンギュラリティ』p.43

*4:『ポスト・ヒューマン誕生』p.128

未来は既に我々の手の中にある(はず)

最新テクノロジーに関するインターネットメディアの報道を見ていると、多数のテクノロジーの研究開発が進んでおり、明日にでも研究室という滑走路を離陸して、市場の大空へ飛び立って世間に普及するかのように喧伝されています。

けれども、実際に技術開発に関わっている研究者なりエンジニアたちは、やや異なる捉え方をしていることでしょう。新技術が発明・開発段階を経て市場投入され、古い「パラダイム」を追い越すまでには、非常に長い期間が必要となるからです。

 

下記の画像は、国際半導体技術ロードマップ (ITRS) の委員長であり、元インテル社幹部のパオロ・ガルジーニ氏が2015年に発表した資料*1から引用したものです。ここで挙げられている技術は、全て半導体トランジスタの製造プロセスで使用されている技術であり、最初に研究論文で提案されてから市場投入までに要した時間を表しています。

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挙げられた技術のうち、歪みシリコン (Strained Silicon) とHKMG (High-Kメタルゲート) は、実用化まで11年の期間を要しています。ソース/ドレイン電圧比の向上は16年、マルチゲートは14年の開発期間を経ています。平均すれば、研究から実用化までは12〜15年の期間が必要とされます。

 

実際のところ、研究で有用性が示された技術であっても、実用化・量産化までには多くの壁を乗り越えなければなりません。研究から製品開発、製品の生産プロセスを進めるためには長い時間を要します。そして、やっと発売され市場投入に辿りついた技術も、既存のテクノロジーを置き換えて真価を発揮するまでには、やはり時間を要します。

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これは、カーツワイル氏が提示している (拡張) ムーアの法則を示したグラフに、真空管トランジスタ集積回路の発明年を書き加えたものです。グラフ上で、あるパラダイムが始まるよりも10年以上前に、既に次の「パラダイム」の元になる技術が発明されていることが分かります。
つまり、あるパラダイムにおいて指数関数的な成長が続いている間に、次世代のパラダイムが発明されていなければ、(拡張) ムーアの法則は維持することができません。過去の事例から逆算して考えると、新技術の発明、製品開発、市場への普及には最低でも10年程度の期間を要します。

(狭義の)ムーアの法則の終焉が、6〜7年 (2ノード世代, 7/5nm) ないし2〜3年 (1ノード, 10nm) 以内に迫っていることを考慮すると、既に次の「パラダイム」の研究が完了しており、商品化されている必要があると言えます。

 

今日のテクノロジーは、ある日突然に天才のひらめきから飛び出してくるわけではなく、長い時間を要する、企業と大学の投資計画と組織的な研究開発活動によって生み出されるものです。未来のテクノロジー (の一部) は、既に現在市場に存在していなければならないと言えます。けれども、ここ10年程度の範囲で研究段階を超え市場投入された技術の中に、シリコン製の半導体集積回路の性能を即座に超えて代替することが可能な技術は、現在のところ見当りません。

もちろん、明日にでも新しい技術が開発され、爆発的に普及が進む可能性は否定しません。けれども、実際に今現在見えているテクノロジーとその成長速度を検討すると、どうやら(拡張)ムーアの法則を維持するほどの将来性があるテクノロジーは存在しないように見えます。

 

そこで、次回のエントリでは研究開発段階にある具体的なテクノロジーを取り上げ、その将来性を議論してみます。

ムーアの法則は一般化できるか

このエントリは少し長くなってしまったため、最初に結論を述べておきましょう。

  • 『(拡張) ムーアの法則』の過去の実績は、将来に渡ってそれが継続するということの証明にはならない
  • (拡張) ムーアの法則自然法則ではなく、将来に渡って単一の基準で継続する根拠は何もない
  • もし過去の実績から未来について述べることを許すのなら、『これまであらゆるテクノロジーの成長は永続しなかった。だから、情報テクノロジーの成長もいずれ止まる』という主張も、同様に論理的に肯定しなければならない


情報テクノロジーの指数関数的成長が永続するはずがない、という私の指摘に対して「これまでいかなる状況においても過去、計算能力は指数関数的に成長してきたのだ。」という反論がありました。

まず述べておきたいのは、過去実際に起きた「計算性能の指数関数的成長」という歴史的事実に対しては、私のようにシンギュラリティ到来に懐疑的な論者でさえ疑いを持っているわけではないということです。(おそらくそんなことを言うのは頑迷な反実在論者だけでしょう)
この再反論は、私の反論の重要なポイントを無視しています。「シンギュラリタリアンは、物理的、経済的、社会的なあらゆる制約を無視して将来も指数関数的成長が続くと主張していること」が、私の批判対象です。つまり、将来予測としての妥当性を疑問にしています。

ヒュームの帰納法への懐疑論

さて、ここで取り上げた再反論は、本ブログでも以前に取り上げ批判した帰納法を用いた推論が元となっています。つまり、「過去ある傾向に従ってきた。だから、今後もこの傾向が続く」という論理です。けれども、18世紀スコットランドの哲学者デイヴィット・ヒュームが批判した通り、帰納的推論を用いて確実な知識に至ることは不可能です。

ヒュームによる帰納的推論に対する懐疑論の論旨を簡単に紹介しておきましょう。
帰納的な推論は、「自然の斉一性」を暗黙の前提としています。自然の斉一性とは、端的に言えば「これまで観察したものと、まだ観察されていないものは似ている」という原理であり、この原理のもとで、有限の事例から一般法則を導くという帰納的推論が根拠付けられます。

「自然の斉一性」は、自明のこととして前提にして良いように感じられます。けれども、ヒュームが批判するところによると、自然の斉一性、「これまで観察したものと、まだ観察されていないものは似ている」という原理自体が、世界に対するこれまでの観測結果から導き出されたものであり、これ自体が帰納的推論の構造を持っています。
けれども、そもそも「自然の斉一性」は、枚挙的帰納法を根拠付けるために必要とされた原理なのでした。つまり、帰納法の原理自体が帰納法に依存していることになります。これは、聖書の記述の正しさを聖書自体を用いて証明するような、一種の循環論法ではないかとヒュームは批判しています。


ただし、私は自然科学については自然の斉一性を前提にしても認識論上の大きな問題は生じないだろうと考えていますし、実際の科学研究において自然の斉一性自体が真の問題になるような領域 (宇宙論や高エネルギー物理学など) はそれほど多くありません。
けれども、人間の意思や意図によって左右される事象に対して斉一性を前提として帰納法を使用すると、しばしば問題を引き起こします。

 

人間の意思は斉一性を前提にできない

20世紀イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、特に人間の意思が絡む事象について帰納的推論を用いることの問題点について、ある寓話を残しています。

ある鶏が毎日朝9時に餌を与えられていた。餌が与えられる時間は、あたたかな日にも寒い日にも雨の日にも晴れの日にも9時であることが観察された。そこでこの鶏はついにそれを一般化し、餌は9時になると出てくるという法則を確立した。
そして、クリスマスの前日、9時近くなった時、鶏は餌が出てくると思い喜んだが、餌を与えられることはなく、かわりに首を切られてしまった。

前回のエントリで詳細に述べた通り、(狭義の) ムーアの法則は歴史を扱う経験則であり、半導体企業の事業戦略、技術開発戦略、広告戦略上の意思決定によって左右されるものです。半導体企業が経済的合理性を曲げてまで (狭義の) ムーアの法則を維持すると考える根拠は何もありません。まして、(狭義の) ムーアの法則の停滞に見合う速度で、(拡張) ムーアの法則を維持できる新技術が開発され、速やかに市場に投入されるという予測を肯定する根拠もありません。
もちろん、可能性としては私も新技術の登場を否定するものではありません。けれども、現代の高度化・専門化した技術開発においては、技術開発から市場投入までのリードタイムは長期化しています。また、新しく開発される技術が「計算速度のコスト効率が指数関数的に成長する」という (拡張) ムーアの法則を維持する技術である必然性は存在しません。

なお、誤解しないで欲しいのですが、私は今後人類の歴史において「鶏が首を切られる」レベルの破局的な事象が起きると主張したいわけではありません。(それこそ予測不可能な事象です) ただし、あくまで蓋然性の問題としては、今後いずれかの時点で技術開発のペースが穏やかになるという予測が最も妥当であると考えています。


実際的な帰納的推論

これまで、帰納的推論に関する問題を2点挙げて批判してきました。けれども、私自身も実生活においては当たり前のように帰納的推論を使用しますし、実際のところ、工学においても帰納的推論は非常に有用なものです。

思い出してほしいのですが、ゴードン・ムーア氏のオリジナルの「ムーアの法則」において、ムーア氏は6, 7年の間、たった5つのプロセッサの集積密度を観察して法則を定式化したのでした。
論文発表当時には、これは早すぎる一般化であり、こんな少数の事例から今後の傾向を予測することなど不可能だ、とムーア氏は批判されたと言われています。けれども、結果的にはムーア氏が正しかったことは歴史が証明しています。

 

さて、そこで私もこれまでの議論は脇に置いて、帰納的推論を大いに活用することとしましょう。

過去のテクノロジーの成長を確認してみれば、これまであらゆるテクノロジーの指数関数的な成長は永続していないことは明白です。化学、医療、機械、建築、運輸、エネルギーや食料など、現代社会を支えるありとあらゆる技術について、指数関数的な成長が続いていないという証拠を挙げることができますし、化学反応、生命現象や質量の移動に必要とされるエネルギーがゼロにならない以上、今後も指数関数的な成長を遂げると考える合理的な根拠はありません。

過去、あらゆるテクノロジーにおいて成長の停滞が観察されたことから、「今現在成長が継続している情報テクノロジーも、いずれは成長が止まるだろう」と (帰納的に) 予測することができます。
けれども、今後どれだけの期間において情報テクノロジーの成長が継続されるかは不明ですが、「テクノロジーの成長速度が無限大となった」事例は、過去において1件たりとも存在せず、まして人類文明全体のテクノロジーの成長速度が無限大になるという「シンギュラリティ」は、帰納的に肯定できない主張です*1

純粋な論理の上での議論では、どちらの将来予測を肯定することも否定することもできません。予測の妥当性は、現実の世界の観察によって、実証的に示す必要があります。

 

そこで、具体的な要素技術について、将来性の検討を行うことにします。

次のエントリにおいては、(拡張) ムーアの法則を延命できる可能性があると喧伝されている技術を取り上げ、直近の将来における将来性を検討します。現在における私の暫定的な結論として、たとえ技術革新が進んだとしても「計算速度のコスト効率が2年で2倍になる」という(拡張) ムーアの法則を満たすタイムスパンでの市場投入はあまり見込めない、そもそも新しく開発される技術が同一の比較基準で「進歩」する必然性は何も無い、と考えています。

  

人間知性研究―付・人間本性論摘要

人間知性研究―付・人間本性論摘要

疑似科学と科学の哲学

疑似科学と科学の哲学

*1:もちろんこの論証には明確な不備があります。けれども、今示そうとしているのは、帰納法の論理を用いて正反対の主張ができるということです。

自然法則と歴史性

自然科学や工学分野には、さまざまな法則や経験則が存在しています。けれども、「ムーアの法則」と一般的な科学・工学法則とを比較すると、やや異なる性質を持っていることが分かります。ムーアの法則は歴史性を、つまり人間の意思や目的、外的環境によって左右される一回限りの事象を扱うものであるため、常に成立する必然性があるとは言いがたい「法則」であるからです。


(情報)工学分野でよく使われる法則の例としては、たとえば、これまでにも言及した並列処理に関するアムダールの法則や、デナードのスケーリング則、パレートの法則などが挙げられるでしょう。

並列処理に関するアムダールの法則は、一部分が並列処理可能なタスクを並列処理した際に、全体としてどれだけ性能向上 (処理時間の短縮) が期待できるかを数理的に考察したものです。この法則は、「並列化可能なタスク」など定義から導かれる演繹的な法則であり、数学的な定理に近い性質を持っていると言えます。

次に、パレートの法則デナードのスケーリング則を例に取ります。情報工学分野では、パレートの法則は「プログラムの処理にかかる時間の80%は、コード全体の20%の部分が占める。」として述べられることが多いものです。プログラムの処理においては重要な処理とそうではない処理が存在し、偏りが存在するため、全体の中の一部分が重要性を持っていることが多いという経験的な傾向を述べたものです。デナードのスケーリング則も、トランジスタを縮小した際に観察される性能向上や消費電力低下を定量的に表現したものです。

これらの法則は、多数観測された事実をもとにして、その傾向を法則として述べた帰納的な経験則であると言えます。


さて、ここまでに取り上げた演繹的な法則や帰納的な経験則と「ムーアの法則」を比較してみると、ムーアの法則は特殊な性質を持っていることが明らかになります。ムーアの法則は、帰納的経験則の一種ではあるものの、本質的に1回限りの時間的な発展が明示的に含まれており、またそれが人間の意思や目的によって左右されるからです。要するに、ムーアの法則は歴史を扱うものです。

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半導体微細化の限界

ここで、(狭義の)ムーアの法則の限界、すなわち半導体プロセスの微細化の限界について述べておきます。予め断わっておきますが、このエントリは、集積回路トランジスタ密度向上について述べた(狭義の)ムーアの法則に関する限界であり、カーツワイル氏が主張する「パラダイムシフト」を含む拡張されたムーアの法則を扱うものではありません。

フォトリソグラフィ

現代の半導体業界における製造技術について簡単に解説しておきます。半導体のマイクロプロセッサは、シリコンや半導体からできています。その製造原理自体は比較的簡単で、端的に言えば写真と同じであり、フォトリソグラフィと呼ばれています。

フォトリソグラフィの工程は次の通りです。ウェハーと呼ばれるシリコン製の円盤の上に、フォトレジストと呼ばれる薬剤を散布します。それとは別に、透明なガラス製のフォトマスクの上に、半導体上で作成したい回路のパターンを作成します。フォトレジストは光に反応して溶ける、または硬化する性質があるため、フォトマスクを通して強力なレーザー光線を当てると、フォトマスク上の影のパターンがウェハー上に投影されます。
この後、形成された回路パターンに従ってウェハーの表面を溶かし、別の半導体を添加してトランジスタの素子を作成したり、あるいは素子同士を配線することによってプロセッサを製造します。

実際のところ、一つ一つの工程自体が最先端技術の塊なのですが、ごく単純化して述べればこの通りに半導体は作られています。

 

極端紫外線リソグラフ

上記の通り、半導体フォトリソグラフィでは光線を使用します。そのため、使用する光の波長によって回路の線幅、プロセスルールの下限が決定されます。微細化が進めば、より短波長の光線を使わなければ回路のパターンを形成することができません。

現在は、このリソグラフィの露光のため、波長の短い紫外線を用いる極端紫外線リソグラフィ (Extream Ultraviolet Lithography) と呼ばれる次世代技術の開発が進められています。
けれども、EUVLの技術開発はあまり上手く進捗していません。高いエネルギーを持っている紫外線を安定して発する光源の開発が難しいこと、紫外線のような短波長の光線はレンズや鏡といった光学系内部どころか空気中でさえ著しく減衰する*1ことがその理由として挙げられています。2017年現在、EUVLはまだ量産プロセスには導入されておらず、リソグラフィ機器メーカーから半導体ロジックメーカーに出荷が始まった段階です。2016年現在の半導体メーカーのロードマップでは、2020年頃の10nmプロセス以降からの量産プロセスでの本格利用開始が見込まれているようです。

 

実は、私はこの分野に近い領域の学生でした。私が学生だった頃の約10年前からずっと「あと2〜3年でEUVLは実用化される」と言われ続けてきた記憶があります。5, 6年前には、半導体メーカー各社は20nmプロセス以降でEUVLを導入するロードマップを描いていたはずであり、その開発は大きく遅延しています。

個人的な感覚を述べます。EUVLに関する技術的な問題は解決され、数年以内に量産プロセスでの利用は始まるでしょう。けれども、その設備投資に見合う規模の市場が果たして本当に存在するのかは疑問があると考えています。PCやスマートフォン市場は成熟しつつありますし、次世代のIoT (Internet of Things) で使われる半導体は、微細化、高性能化よりもむしろ安価、低機能、低消費電力が求められるものです。

そして、5〜7nmよりも先の微細化は、量子効果が顕在化するため相当に困難であると考えています。そもそもゴードン・ムーア氏自身でさえ2005年のインタビューで「ムーアの法則は永遠に続くものではない」と述べています。最新のIRDSロードマップでは、2024年ごろに微細化が限界に達すると想定されています*2

また、既に半導体製造プロセスルールの値は技術的・物理的な意味を失なっていること、微細化それ自体は計算性能向上とコスト低下をもたらさなくなっていることを指摘しました。

 

いずれにせよ微細化が物理的限界に達して停止することは自明ですが、ただしカーツワイル氏は (狭義の) ムーアの法則2045年まで継続されるとは主張していませんし、私の議論もその前提のもとで構成しています。

それを考える前に、次回は「工学における『法則』とは一体何なのか」について検討します。

*1:そのため、EUVリソグラフィ装置内部は真空とされます

*2:http://irds.ieee.org/images/files/pdf/2016_MM.pdf

小鳥遊りょうさんへの返信

小鳥遊りょうさん (@jaguring1) から、何件か私の記事へのコメントを頂きましたので、いくつかの点、主に「特異点へのカウントダウン」のグラフと「収穫加速の法則」について返信します。

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べき関数か指数関数か

まず、「両対数グラフでの直線は指数関数ではなくべき関数」という点は、私の誤認ですのでご指摘の通り修正します。
けれども、少し弁解をしておくと、これはカーツワイル氏自身が指数関数とべき関数を区別せず使っていることが理由です。つまり、「指数関数とべき関数を混同している」という批判は、そのままカーツワイル氏に対しても適用できることになります。(原文を確認していないので、翻訳の問題である可能性はあります)

特異点はいつも近い」について

『「未来のどんな時点でもシンギュラリティと言えてしまう」という批判は間違い』と言われていますが、挙げられている事例は過去のもの (ホモ・サピエンス) となっています。ここでは、「(過去から見た) 未来」を意図していると私は解釈しました。

さて、これらのツイートの主張には、「現在」つまり西暦2017年時点の視点が既に含まれてしまっています。仮に現在がホモ・サピエンスがいた時代 (30万年前) だとすると、次の事象がホモ・サピエンス・サピエンスだということは、30万年前現在の時点では分かりようがありません。「ホモ・サピエンスの存在した時点」から次の事象までの時間が10^5年であるということは、(2017年時点の)現在から過去を見返しているからこそ分かることです。

実際に、ホモ・サピエンスが登場した時代の直後において、次のパラダイムが分からない状態で、宇宙と生命の指数関数的な成長が続くという前提でグラフを描けば、次の通りになります。

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けれども、生命の進化現象は時間的にかなり大きな広がりを持った事象なので、反例としてはやや不適切でしょう。そこで、人類の歴史時代において、同等の前提のもとに「カウントダウン」グラフを描いてみます。約2000年前の古代ローマ人にとっては、グラフはこんな形になるはずです。

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あるいは、ベンジャミン・フランクリンが1800年ごろにグラフを描けば、こうなります。

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指数関数に特異点は存在しないため、宇宙が常に指数関数的な (あるいはべき関数的な) 成長を遂げているという前提のもとでこのグラフを描けば、常に「原点= (その時点での) 現在」において、無限大へと向かうグラフが得られます。すなわち、(その時点での)「現在あるいはごく直近の未来」において「特異点」が発生するかのように見えます。

この論点は私のオリジナルではなく、ケヴィン・ケリー氏による指摘が元になっていますので、もう一度彼のエッセイを引用しておきます。

驚いたことに、それは今現在が特異点であることを示唆している。さらに不思議なことは、そのグラフに沿ってほとんどすべての時点で、同じ見解が正しいように思われる。もしも、ベンジャミン・フランクリン(昔のカーツワイルみたいな人)が1800年に同じグラフを描いたとしたら、フランクリンのグラフも、そのときの「たった今」の時点で、特異点が発生していることを示すだろう。同じことはラジオの発明のとき、あるいは都市の出現のとき、あるいは歴史のどの時点でも起こるだろう。グラフは直線であって、その「曲率」すなわち増加率はグラフ上のどこでも同じなのだから。

特異点とは、指数関数的増加を過去にさかのぼって観察するときに、いつでも現れる幻影に過ぎない。グラフは宇宙の始まりに向かって、正確に指数関数的増加をさかのぼっているから、これは何百万年にもわたって、特異点はまもなく起ころうとしていることになる!言い換えれば、特異点はいつも近い。今までいつも「近い」ままであったし、将来もいつも「近い」のだ。

「特異点はいつも近い」: 七左衛門のメモ帳

結局このグラフから言える予想は何?

 私は、このグラフが非科学的だから問題であるとは考えていません。ムーアの法則のように、科学的根拠が明確でなくても有用な予測を述べられる経験則は存在します。ここで問題としているは、結局このグラフは何を予測しているのかということです。前節で述べた通り、このグラフ上のあらゆる点において「今現在が特異点である」と言うことができます。また、次に来る「パラダイム」が何かということも分かりません。「パラダイム」の定義は「心理学的なデータ」であると主張しても、結局何の有用な予測を述べられないということに変化はありません。(それどころか、更に悪化しています)

もちろん、やはり約30年後にシンギュラリティが発生する可能性自体は否定できません。けれども、もし仮にシンギュラリティと呼べる事象が発生しなかったとしても、到来時期を後倒しして、いくつか新しいパラダイムを選んで追加すれば、「なおこのグラフは成立している」と主張することができます。

私の主張は、このカウントダウンのグラフの情報量は0であり、ここから未来を予測することはできないということです。

「20世紀全体vs2000年~2014年までの進歩が等しい」とは何を意味するのか

この論点に一切触れてもらえなかったので私から取り上げますが、カーツワイル氏は、「20世紀全体の100年に達成されたこと」と「西暦2000年から2014年までの進歩」が等しいと主張しています。けれども、何の量が等しいのかは私にはよく分かりません。

わたしのモデルを見れば、パラダイム・シフトが起こる率が10年ごとに2倍になっていることがわかる。(中略) 20世紀の100年に達成されたことは、西暦2000年の進歩率に換算すると20年で達成されたことに相当する。この先、この西暦2000年の進歩率による20年分の進歩をたったの14年でなしとげ(2014年までに)、その次の20年分の進歩をほんの7年でやってのけることになる。別の言い方をすれば、21世紀では、100年分のテクノロジーの進歩を経験するのではなく、およそ2万年分の進歩をとげるのだ(これも今日の進歩率で計算する)。もしくは、20世紀で達成された分の1000倍の発展をとげるとも言える。(『ポスト・ヒューマン誕生』p.22-23)

素直にカーツワイル氏の言葉を読めば、これはコンピュータや機械学習などの単独のテクノロジーについて述べているのではなく、人類文明全体に亘るパラダイムシフトについて述べているものと考えられます。既に2014年を過ぎた現在においては、この主張は実証的に検証できるものです。

人類文明全体の進歩の量を間接的に推定できる量として、私はエネルギー消費量、発表論文数、GDP推計値や科学的発見などを調べましたが、この主張を肯定するデータを見つけることができませんでした。私自身はこの主張の成立は疑わしいと考えていますが、何か実証的データをお持ちでしたら教えてください。

 

この項続きます

空飛ぶ不可視のティーポット

シンギュラリティに関する懐疑論を書いていると、しばしば「シンギュラリティが発生しないという証拠を示せ」「○○という技術が実現不可能であるという根拠を、あなたは挙げられないじゃないか」という反論を受け取ることがあります。

けれども、このような主張は論理的に誤っています。存在しない、あるいは不可能であることは証明できない以上、立証責任は懐疑派にではなく肯定派の側に存在するからです。

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